第26話 預かりの夜
第三集結場に集まっている一団は、まさしく軍だった。
綺麗に並ぶ旗、揃う隊列、整備された荷車。
精悍な騎馬隊の一団、炊き出し場ですら整っている。
ヴェルナー子爵家軍は、僕が想像する軍そのものだった。
*
ヴェルナー子爵家の指揮官――オルステッドさんの導きにより、僕たちはヴェルナー子爵家預かりの一隊として、参加できそうな目処が立ちつつあった。
まだ正式な決定ではないのだけれど、オルステッドさん曰く、おそらく問題ないだろうとのことではある。今は、僕たちの受け入れについて相談してくるとのことで、第三集結場の少し手前で待機しているところだ。
「よく整っている」
前面に展開しているヴェルナー子爵家軍を眺めていたガレスが誰に言うでもなく、ぽつりとこぼす。
「ああ、数だけではないな」
ガレスと並んで眺めていたエルヴィンも感心した様子で同じように眺めている。
ヴェルナー子爵家軍は、先ほど聞いた話では戦える者だけでも千二百名、その他、支援や補助にあたる者も含めると千五百名を超える人数とのことで、さすがの大寄子だ。
しかも、ガレスらの言うように、とても整っている。
僕は、隊として戦に出るのは以前の黒棘が初めてで、前回の経験しかないのだけれど、まったくもってヴェルカ衛兵隊とは違いすぎて驚きを隠せない。
今は小休止中のようではあるので、雰囲気はやわらかく、各々が緩く会話もしているのだけれど、それでも乱れが見られない。指揮官が一声かければ直ちに動き出せる、そんなふうに見える。
「ああ、飯の匂いがする。腹減ってきたぜ」
僕の横にいるブルーノもヴェルナー子爵家軍を見ていると思ったけれど、炊き出し部隊を見ていたようだ。そう言われると僕も少し空腹な気がしてきてお腹をさすってしまう。
「うん、もう少し待とう。ヴェルナー子爵家の方針が決まったらね」
さすがに調整してもらっている最中に、僕らだけ食事というのは気が引けるというか、人としてどうかと思うところである。
一応、ノエルにその旨を伝えようと、視線を向けてみると、ノエルは食い入るように炊き出しやら、荷車やら、補給担当らしき人たちを観察しており、何かを木板にかりかりと書き込んでいる。今は話しかけるのは避けた方がいいかもしれない。
ふと、気配を感じたので後ろを振り向くと、そこにはいつものようにカインが控えていた。カインはいつものように涼しい顔をしてはいるものの、先ほど母上の名前が出てからは、少しだけ表情が硬いような気がするのは気のせいだろうか。
何もないかもしれないけれど、今は声をかけるのは控えて、僕は改めてヴェルナー子爵家軍へ視線を戻す。
正直なところ、非常にありがたく、嬉しい申し入れだったのだけれど、こんなまともな軍に僕たちのような半端な者たちが混ざってよいのか……僕は不安な気持ちになり始めていた。
*
「お待たせしてすみません」
しばらく待っていたところ、ヴェルナー子爵家軍から、若い伝令役が一名駆け寄ってきた。おそらく僕たちの預かりの件について何かしら決まったので伝えに来てくれたのだと思う。
「代表の方……アズール・エスター殿と、陣幕前までお付きの方数名でお越しいただけますか?」
案内します、という様子で伝令役が促してくるのだけれど、どういうことだろうか……。承諾されたのなら、前に見える一団の隅っこに皆で移動ではないのかな、と思うのだけれど。
「あ、あの。どういうことでしょうか?」
僕はその疑問を素直に聞いてみたところ、オルステッドさんから報告を受けたヴェルナー子爵が、僕たちの代表者……つまり僕だけれど、そちらと面談したいとのことだった。
えー……。他家の当主……同じルミナ家寄子とはいえ、エスター家とは比べるべくもない大領主のヴェルナー子爵と?
一応、ぎりぎりのところで貴族として名はあるけれど、正直根っこは村人と変わらない。大貴族の当主と面談なんて……。急に胃が痛くなってきた。
「わ、わかりました。すぐ準備しますので」
そうなると、誰を連れていくのかが問題だ。ブルーノは、今回は論外だとして、ガレスとノエルかな?
カインも礼儀作法的にも、見栄え的にも大丈夫そうだけれど、エルヴィンも悪くない気がする。
たぶん、二名くらいが妥当な気がするので、うーん。悩む時間はないけれど、だからこそ悩む。
「カイン、ノエル、一緒にきてくれるかな?」
この二人に決めた。ガレスとエルヴィンは隊を見ておいてもらうために残した方がいいと思ったし、ブルーノは言うまでもなく。あと、ニルスはたぶん行きたがらない。
一番、無難な面子を選んだと、自分では思うんだけれど、どうだろうか。
いったん、これで行ってみよう。
僕たちは、そのまま伝令役に率いられて、ヴェルナー子爵の陣幕へ向かうのだった。
*
「申し上げます。アズール殿、ほか二名をお連れいたしました」
伝令役が、まさしくこれぞ伝令といった様子で僕たちを連れてきたことを陣内に伝えている。
ヴェルナー子爵の陣幕はとても立派だった。綺麗な白地に、ヴェルナー子爵家の家紋が縫われ、下には鮮やかな青の横線が二本入っており、とても粋な仕上がりとなっている。
大きさもかなりのもので、ざっと見ても余裕をもって二十名以上は入るのではないかと思うくらいの規模感だ。さすが……大貴族は違う。エスター家にはそもそも陣幕なんてなかったしね。
「中へ案内せよ」
オルステッドさんだと思われる声が聞こえ、伝令役が「さ、こちらから」と入り口を開けて入るように言ってくる。
陣幕の外までは同行できるが、中に入れるのは僕だけなので、ノエルとカインは入り口で待つ形だ。
「し、失礼いたします」
少し緊張しながら、中へ入る。
中には、六名ほどの壮年から老年に差しかかったヴェルナー子爵家の方たちが待ち構えていた。
奥の一番偉い人がいそうな位置に、まだ老年とはいえないが、壮年期の終わりに差しかかったような男性がいる。おそらくヴェルナー子爵その人だろう。
そのヴェルナー子爵の前左右に並ぶように床几に腰を落としている家中の方々がおり、一番手前にオルステッドさんが掛けている。す、すごい圧だ……。
「さあ、前へ来られよ」
オルステッドさんがもっと近くへと促してくるので、おずおずと前に出て、膝をつき頭を下げた。
「アズール・エスターと申します。エスター家分遣隊を率いて参陣いたしました。この度は預かりの件をご検討いただけるとのことで誠にありがとうございます」
頑張った。ノエルに言われた最初の挨拶を、なんとか一言一句間違えずに言い切ることができた……。よかった。表情には出さず、心の中でほっと息を吐いた。
「よい、顔を上げて楽にしてくれ」
伏せているので間違っているかもしれないが、おそらくヴェルナー子爵が声をかけてくれたと思う。僕は、恐る恐る面を上げてヴェルナー子爵へと視線を向ける。
まじまじと見ると、ヴェルナー子爵は六十歳には届かないくらいだろうか、髪は白く染まっているが精悍な顔つきをしている。体格もしっかりとしていて、無駄な肉もなく、年齢を感じさせないとても頼りがいのありそうな見た目をしている。
「オルステッドから話は聞いている――」
ヴェルナー子爵はどこから仕入れたのか、僕たちについての情報をある程度理解しているようで、「負傷者がいるそうだな?」「立派な体躯の配下がいるらしいな」「若いが、手続きを丁寧に進められる者もいるそうだな」と、僕たちについていくつか質問を投げかけてきた。
僕は、失礼にならないよう言葉を選びながら答えた。
もともとはヴェルカ衛兵であったこと。黒棘討伐で敗れ、混乱の中で敗走兵を集め、故郷のエスター領へ落ち延びたこと。そこで一月ほど傷を癒やし、灰衣の招集に乗る形で、ここまで来たこと。
「なるほど。君自身に特別な才覚があるようには見えんが……」
話を聞き終えたヴェルナー子爵は、顎をさすりながら僕を見つめて、言葉を続ける。
「だが、負けても生きておる。そして同じく負けた者が君の後ろに付いて……今も残っている」
何かを考えこむように目を閉じて、しばらく黙り込むヴェルナー子爵。そして再び目を開けて、言葉を続けた。
「なかなかに面白いな」
面白い。面白いのだろうか……。
たぶん、僕とは見えている景色が違うのだろうな、とは思ったけれど、必死にやってきた結果だ。そして、特に何かを成せたわけでもない。皆の力を借りて今までやってこれただけだ。
「僕が何かをできたわけではありません。皆がいたから何とかやってこれただけです」
僕は偽らざる気持ちで、ヴェルナー子爵を見つめてそう告げる。
ヴェルナー子爵は、なるほどと、頷きながら顎を撫で、しばしの間僕の顔を眺めていた。
「……若いな。正直すぎるが、今はそのくらいが良いか。自分で全部やったと言う若者よりは信用できる」
うんうん、とヴェルナー子爵は何かを納得するように頷いて、オルステッドさんの方へ視線を向けて、声を上げた。
「アズール隊は、オルステッドに任せる。お前が拾ったのだ、面倒を見てやれ」
オルステッドさんは「はっ」と頭を下げる。
な、なんとか預かってもらえる形になったみたいだ。顔には出さないが……心の重りはだいぶ軽くなった気がする。
「して、負傷者がおるとの話だったが――」
ヴェルナー子爵は、改めて僕の方へ顔を向けて、次は負傷者の取り扱いについて話を切り出してきた。
「はい、ほとんどの者は戦えるか、戦いの補助を行えるくらいには回復してはおりますが、三名ほど未だ重く歩けぬ者がおります」
僕は、ある程度、簡単にまとめながらそれぞれ今は治りかけている負傷者の状態や、戦いに参加は難しい状態の者の説明を行った。
一応、荷車に積み込み参戦すること、できるだけ迷惑をかけないように立ち回ることなども、合わせて説明をしたのだが、ヴェルナー子爵の顔はやや曇り気味だった。
「重傷者三名を戦場へ連れていくことは許さぬ」
はっきりとした拒絶だった。
なぜ、とは思わない。理由はわかる。
しかし、ここまで一緒にやってきた者たちを無責任に放り出してしまってよいのか……。まだ誰かの助けが必要だ。港都に彼らをお願いできるほどのツテもない。
僕が、しかし、と言葉を上げようとすると、ヴェルナー子爵はかぶせるように言葉を続けた。
「戦えぬ者を連れていけば、守る者も削られる。荷車も遅れ、本人も苦しむ」
それは、わかっている……わかっているけれど、割り切れない。彼らを切り捨てるなど。でも、連れていくことで誰も救われなくなるかもしれないことも想像はつく。どうすれば……。
「我が館へ回す。飯と寝床、あと最低限の治療はさせよう。治るかどうかは医師と本人次第だが、道端で死なせるよりはよかろう」
はっと、ヴェルナー子爵を僕は見上げた。そんな、何故。先ほど会ったばかりの、一応、エスター家に縁はあるとはいえ、よそ者だ。そこまでしてもらう義理がない……。
僕が何とも言えない顔をしていたからだろうか、ヴェルナー子爵は顎を撫でながら口を開いた。
「なに、三名程度の負傷者を預かれずしては、ヴェルナー子爵家の名が泣くわ」
冗談めかした風にそう言うと、改めて僕の顔をまじまじと見つめ直してくるヴェルナー子爵。
な、なにか顔に付いているだろうか。今朝、顔を軽く拭いはしたけれど、ここに来る前には多少身だしなみを整えはしたが、緊張して顔までは意識していなかった。
「その悩むときに眉が下がるところは、母親に似たのだな」
ヴェルナー子爵は、ぽつりと言葉を落とした。
母親?リーネ母上のことだろうか。
「母を、ご存じなのですか」
なぜ、ヴェルナー子爵が母上のことを。
そういえば、オルステッドさんも母上に触れていた。
母上はヴェルナー子爵家と何か関わりがあったのだろうか……。
わからない、そんな話は聞いたことがない。
「追い追い、必要になれば語るときもあろう」
ヴェルナー子爵は、話は終わりだと態度で示し立ち上がる。
「今は、明日の出陣だ」
控えているオルステッドさんやその他重臣の方が「はっ」と応え、僕は下がらざるを得なかった。
*
ヴェルナー子爵の陣からカイン、ノエルを連れて引き揚げて、隊の皆のところへ戻ってきた。ニルスがはらはらしながら僕の言葉を待っているようだ。
ガレスやエルヴィン、その他の兵やあとトマたち人足もどうなったのかが気になるようで、集まってきている。
「一応、ヴェルナー子爵家の預かりとして承諾を得られたよ」
僕がそう告げると、皆が「おお!」と歓声を上げ、周りの者たちと肩をたたき合って喜んでいる。
明日どうなるかもわからなかった状況が、一歩進んで食べることだけは、どうにか繋げることができた。僕も正直ほっとしている。
とはいえ、待っているのは戦いだ。
素直に喜んでいいのかも悩ましいところではある。ただ、今日明日食うに困る状態からは脱せたことは、素直に喜ぼうと思う。
先が見えたことにしばらく皆と喜び合いながら、もう一つ言わなければならないことがある。負傷者の件だ。
これは正直悪い話ではなく、良い話だと思う。負傷者を抱えて戦場に行くのは、やはり問題がある。だけれど、長いとはいえないけれど、これまで一緒に過ごしてきた仲間だ。
「あと、三名の重傷者の件だけれど、いったん、ヴェルナー子爵家の港都の館で預かってもらうことになった」
皆、先ほどまでの喜びが引いて、少し複雑な顔で荷車に積まれている三名へ視線を向ける。皆も頭では分かってはいる。三名を連れていくことの厳しさと、預かってもらえることのありがたさ。
しかし、気持ちの面で、僕と同じなのかもしれない。
ニルスは、そっと一団から抜け負傷者の布を直しに、ノエルは負傷者の名前と状態を帳面へ書き入れている。
僕は、三人のもとに向かい、改めてヴェルナー子爵家の館へ預けられることを説明した。三人は、納得でもなく不満でもなく、ただ頷いてくれた。
「俺らは置いていかれるわけじゃないんですよね」
口を開いた一人が僕を見つめている。他の二人も同じように見つめている。
僕は、大きく頷く。
「置いていくんじゃない。終わったら迎えに行く。ちゃんと傷を治して待ってて」
そう言い切ったあとで、胸の奥が少し重くなった。迎えに行くためには、僕たちも生きて戻らなければならない。
僕は強くそう心に刻んでいた。
*
日が落ち切る前に小荷車が一台用意され、負傷者三名が港都にあるヴェルナー子爵家の館へ運ばれていった。皆、言葉には出さなかったけれど「また会おう」という気持ちがあふれていたと思う。
皆で見送った後、改めて第三集結場に設けられた僕たち用に区切られた場所へ移動する。周りにはヴェルナー子爵家の旗が風になびいて揺れている。
日が落ち、ノエルが仕入れてきた補給の食事を取りつつ、僕はノエルと二人で火を囲んでいた。
「これで、少なくとも今日明日は食べさせられます」
「今日明日だけ?」
「明後日は、明日考えます」
ガレスは兵たちと一緒に武具の確認を行い、エルヴィンは荷の見張りの順番を確認している。
ニルスは重い負傷者が送られたことで、しばらくはゆっくりできそうだし、ブルーノはまだご飯を食べている。……食べすぎかもしれない。
カインは僕らの少し後ろに離れて立っている。
飯はなんとかなり、負傷者には、別の寝床が用意された。
明日の朝には、東へ出るという。
港都ルミナに着けば何とかなると思っていた。
けれど、何とかなるというのは、誰かの帳面に載り、誰かの旗の下に入るということだった。
僕たちは、ようやく居場所を得た。けれどそれは、まだ僕たちの場所ではない。ヴェルナー子爵家の旗が、夜風に低く鳴っていた。




