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エルダニア大戦記〜敗残兵に飯と役目を与えていたら、乱世の国づくりが始まりました〜  作者: 志摩 伊純
第2章:帰郷編・エスター家政変

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第22話 一か月の猶予


 拘束され、領兵たちに支えられて立たされる父上の背を、私は見つめていた。


「オスカー様。ベルトラン様はどちらへお運びすれば」


 領兵隊長が私へ視線を向けて問いかけてくる。


「祖父が昔使っていた私室へ。あそこは壁も厚く、窓もなく、都合がよいだろう」


 隊長は、少し考えるそぶりをしたが、すぐに頷き、指示を出す。


「ベルトラン様に傷はつけるな。誰にも会わせぬように」


 収容する部屋についても指示を出し、慌ただしく動き始める領兵たち。


 まだ今は昼になったかならないか、といった時間帯だ。


 今日は長い一日になりそうだ……と、そう考えつつ、頭を振り現実に目を向ける。


「父上の執務を引き継ぐ。倉の鍵と帳簿を集めろ」


 様子を伺っていた家人たちへも指示を飛ばし、執務室内で座る者がいなくなった椅子を眺めて、ため息を小さく吐く。


 父上が何をどう処理していたか、わからないこともあるが、実質的な領地経営については十年近く前から手伝っている。何とかなるだろう……そう思うことにした。


 そうなると残る問題は外倉のことだ。


 あれはあれで放置するのもまずい。アズールが何か危険なことを行うとは、父上のように思いはしないが……。


 とはいえ、負傷者も含めて五十名ほどの武装集団だ。それも黒棘討伐に参加した実戦経験のある者たち。何かしら鈴か首輪でも付けておかないと、不安ではある。


 父上の気持ちが今になって、少し理解できたかもしれない。


「カイン。外倉へ行って、明日、アズールとの面会を取り付けてきてくれ」


 アズールを気にかけているカインならば、うまく伝えることができるだろうと、カインを名指しして指示を出した。


 カインは、少し意外そうな顔をしつつも承諾し、念のためにと確認してきた。


「承知いたしました。ただ、アズール様単身での面会は、周囲の者が黙っていないと思われます」


 面倒なことだ、と思わなくはないが、アズールの周囲にいる者たちは少々過保護なようだし、害意がないとは逆の立場であれば私も思わないだろう。


「そうだな……。同行者は一名……いや、二名までは許可すると伝えてくれ」


 続いていくつか伝言を頼み、カインは頷き、「行って参ります」と告げて、外倉へ向かっていく。


 カインが出ていくのと入れ違いで、帳面を持ってきた家人がやってきたので、父上が使っていた執務卓の椅子へ座り、帳面へ目を通し始めた。



 僕――アズールは、領兵が去り軽く食事を取ったあと、改めて負傷者の手当を続けていた。


 二十名ほどの負傷者のうち、半数以上は刀傷や矢による負傷で、少し時間はかかるが縫うなどすれば傷はふさがり、いずれは動けるようになると思われる。


 残りの負傷者は、骨をやられていたり、深い傷に泥などが入り込み熱をもってうなされている者たちだ。


 エルヴィンの見立てでは、危ないところだったけれど、外倉できれいな水で傷を洗い流し、ノエルが持ってきてくれた強い酒で消毒もできたので、何とか持ち直すのではないかとのことだった。


 それでも、油断はまだできない。


 数日前よりは顔色は良くなりつつあるようには思うけれど、しばらくは安静な状態を維持させたい。


 父上がどう動くかまだ読めない状況では……。


 同じく負傷者対応を行っていたニルスは、替えた布をまとめ、人足たちと井戸のそばで洗濯と煮沸をしている。


 いったん、今できることはやり終えて、一息ついていたころガレスが微妙な顔をして、僕を呼びに訪れた。


「アズール。カイン殿が話があるとかで、表へきているぞ」


 ガレスの話では、カインは単身で、しかも非武装らしい。どう応対するか迷ったが、悪意は感じなかったとのことだった。


 それで一応、僕へ知らせて判断は任せるとのことみたいだ。


「ありがとう。表に行くよ」


 ガレスに礼を言って、表へ向かう。後ろにはガレスも付いてきているみたいだ。


 外へ出ると、カインとブルーノが睨みあっていた。


 いや、厳密に言うと、カインは涼しい顔で佇んでいるだけなのだが……ブルーノがすごく近くで睨んでいる。


「おめえ、またアズールにちょっかい掛けにきやがったな!」


 ブルーノはカインに掴みかからんばかりの勢いだけれど、ぎりぎりのところで耐えている。おそらく、カインに殺気や悪意を感じないからだろう。


 僕が見てもそう感じるし、ブルーノは特にそういう野生の勘みたいな、嗅覚みたいなのが人一倍強い。


 たぶん、朝飯の邪魔をされたことを根に持っているだけかもしれない。ブルーノは食事の恨みには結構しつこい……。


「ブルーノ」


 僕が声をかけると、ブルーノは「ちっ」と言いながらどこかへ歩いて行ってしまった。途中で槍を掴んでいったので、また狩りにでもいくのかもしれない。


 最近、仲良くしている北潟隊だった元衛兵たち二人もついていくようだ。


 そんなブルーノたちを見送っていると、カインがこちらに近づいてきて一礼し話しかけてきた。


「今朝がたは大変失礼いたしました」


 綺麗な姿勢で腰を折り、深く礼をするカイン。


 カインは本当に品がいい。出会ったころ……というか、物心ついたころからの知り合いだけれど、そのころから丁寧な人だった。


 当時はカインはまだ十代前半のはずだけれど、どういう教育でそう育つんだろう。一応、貴族の隅っこに属する僕でもそこまでの品はないのに。


 そんなどうでもいいことを考えていたら、カインが神妙な顔で僕を見つめていた。そして、少し重そうな口を開く。


「ベルトラン様は、オスカー様の命により拘束されました」


 なるほど、父上が兄上に拘束されたのか。


 ……え?


 どういうことだ。


「どういうこと?!」


 思わず、考えたことがそのまま口から出てしまった。


 父上が? 兄上に?


 兄上とは、歳も離れていてそれほど多くの会話をしてきた記憶はないのだけれど、そんな大胆なことをやる印象はなかった。


 というか、お家騒動なのでは……。


 しかも、原因はたぶん、僕だ。


 思考が深くなりかけたとき、カインが僕に向けていきさつを説明してくれた。


「はい、事の始まりとして――」


 カインの話は少し長かったが分かりやすくまとめてくれていた。……兄上が父上の不正を糾弾するなんて。


 僕は家を奪いに来たわけではない、それでも父上には僕がそう見えていた……ということだった。そして、兄上はそれを利用した?


 僕はカインの話を聞きながら深く考え込み始めていたが、カインはそのまま言葉を続けた。


「つきましては、外倉への攻撃命令はオスカー様により取り消されております」


 そ、そうか……いったんのところは危険な状態は脱したのか?


 まだ完全には安心はできないだろうが、父上よりは兄上は話ができる人だと……思う。


「ただし、武器を持って館へ近づくことは控えていただきたい、とのことです」


 それは当然だろう。僕もそんなつもりは当然ないし、皆にも守らせたいと思う。


 そもそも、普通は勝手な武器の所持など認められるものではない、それこそ父上の対応は常識の範疇でおかしな話ではないのだ。


「わかったよ。それだけかな?」


 いろいろと話が唐突過ぎて、一人で頭の中を少し整理したい。


 そう、話を切り上げようとしたのだけれど、「もう一件だけ」とカインが話を続けた。


「明日、オスカー様が、アズール様と面談を持ちたいとのことです」


 そうなるか……いや、なるよね。


 僕も今後どうなるかなど含めて確認しておきたい。父上よりは危険なことにはならないだろう、という予感もある。


「二名までの同行者も認められそうです」


 二名か……この条件ならガレスもなんとかなる気がする。当然一名はガレスになるだろうけれど。


「明日の昼過ぎに館へ向かうって伝えておいてくれるかな」


 僕の回答にカインは頷き「以上です」と告げ、一礼して館の方へ戻っていく。


 少し後ろの方で、ガレスは聞き耳を立てていたようで、カインが去ってすぐに僕のもとへ寄り、話しかけてきた。


「何やら事態が急転しすぎな感はあるが……まだ気を抜くには早いぞ」


 むしろ気を引き締めろ、とガレスに注意され、さらに明日のことにも触れてきた。


「明日の面会は、俺とエルヴィンがいいだろう。ブルーノは……荒事にはよいが今回は不安しかない」


 それには大いに同意だ。


「うん、明日はガレスとエルヴィンにお願いするよ」


 ガレスは頷き、そのまま外倉の中へ入っていった。おそらく武器の手入れでも行うのだろう。


 明日は持ち込めないのだが……。


 しかし、父上が……。


 僕がエスター領にさえこなければ、父上はまだ領主館で執務室の椅子に座っていたはずだ。


 思うところがまったくない、とは言えない父上ではあるが、悪人だったと割り切ることもできない。ましてや、オスカー兄上の手を汚してまでなんて。


 エスター領に来なければよかったとは思わない。負傷者の件もあり、ヴェルカへは向かえない状況だったのだ。


 しかし、僕をきっかけとして起こってしまった事態に何とも言えない重い気持ちを抱え、負傷者のもとへ戻る僕であった。



「オスカー兄上。いえ、お館様と呼んだ方が良いですか?」


 目の前にいるノエルが、難しい顔をしてそんな問いを投げかけてきた。


 今は領主の執務室……今朝まで父上が使っていた部屋だが、そこをそのまま使い、帳面などを確認していた。


 様々な帳面が持ちこまれるのだが、一部、芋や豆の帳面が足りないとなり、ノエルが預かっていることが判明して呼び出した、というわけだ。


「そのような帳面を見てどうするのだ? 面白いものではあるまい」


 私も仕事として、仕方なく目を通してはいるが、進んで読みたいと思うものではない。できれば触れたくないくらいだ。


 そんなことを言われたノエルは、少し呆けたような表情をしていたが、「とんでもない」と言い出した。


「食料状況が理解できれば、どの程度の者を食わせられるかわかります。足りない場合もです。そして、それを管理する――」


 と、何か踏んではいけない尾でも踏んでしまったのか、ノエルが生き生きとした様子で、長々と語り始めてしまった。


 しばらく、話を聞いていたが……終わりそうになかったので、咳き込んでみる。


「あ、すみません。熱くなってしまいました」


 ノエルが恥ずかしそうに俯いて震えている。


 まあ、誰にもそういうことはある。私も陣取駒の話になれば目がない。あれはよい……。


 思考が逸れそうになるも、何とか戻して、ノエルへ問うてみた。


「それだけ食料などの帳面を見ているなら、外倉へ回せる余裕がどの程度あるか、答えられるか?」


 後で家人に確認しようと思っていたことだし、ノエルの回答の後でも当然、裏取りはするが、聞いてみることにした。


「そうですね……普通に回せば二十日ほど。負傷者を優先して、芋と豆をかなり切り詰めれば、一か月ほどかと思います」


 一か月か……。


 アズール一人ならよいが、負傷者が混じるとはいえ、外部から来た武装兵を一か月も置くのは、正直気のいい話ではない。


 だが、ここで追い出すような手を選ぶようでは父上と変わらぬ。私の領地経営の初手として、見る者たちの目も考えねばならない。


 逆に考えれば、一か月は面倒を見てやるとも取れる。


 少々食料は痛いが……食うに困っている領ではない。芋と豆でよければ、ノエルの言う通りなんとかなるだろう。


「うむ。一か月だな」


 ノエルは、こちらの内心を読むような瞳で私を見つめていたが、返すように頷く。


「アズールには、明日会って、一か月は面倒を見る、と伝えることとする」


 それ以上は厳しい、ということでもある。


 だが、一か月あれば何かと準備も整えられよう。出ていくための準備であれば、多少裏で手回ししてもよい。


 ノエルは小さく頷き、手元の帳面へ目を落とした。



 昨日の朝と違い、特に問題なく夜が明け、朝を迎えていた。


「アズールさん、こちらの布も洗って煮沸しておきますね」


 ニルスが負傷者に使っていた血の付いた布をまとめて桶に入れている。負傷者に使う布は、清潔でなくてはいけない。


 洗うだけだと足りないと、エルヴィンに指導され、僕とニルスは交代で洗濯と煮沸を担当して行っていた。


「ふぅ……少し仮眠取ろうかな」


 昨晩も負傷者対応で少し睡眠が足りない。


 一応、元衛兵で手先の器用な者や、人足たちの一部も手伝ってはくれているのだが、彼らは彼らで役割を別に持っているので、基本的には僕とニルスが負傷者担当だ。


 ニルスは早番で、夜分の前半を担当し、先ほどまで仮眠していたので少し元気が戻っている。


 僕は、午後から兄上に会う用事もあるし、ここは軽く寝ておいた方がいいかもしれない、と思い、ニルスに声をかける。


「ニルス、昼から兄上に会う件もあるから、少し仮眠を取るね」


 ニルスはぽんぽんと布を桶に入れている最中だったが、こちらに振り向いて口を開いた。


「あ、朝食がもうすぐみたいですけど、いいんですか?」


 うーん、正直なところお腹は空いている。空いてはいるけれど、今は眠さの方が勝っている……。


 たぶん、このまま起きたままで、昼に兄上に会ってもまともに頭が回らないと思う。それなら空腹の方がいい……。


「うん、僕の分は皆で分けていいから、少し寝るね」


 そう告げると、倉の奥の仮眠場所の寝藁に横たわり目をつぶった。


 ……。


 何か聞こえる……。


「アズールさん!」


 はっと、目を開けるとニルスが僕を呼びながら揺すっていた。


 今寝たばかりだと思うのだけれど……なんだろう。


「どうしたの? もう少し寝たいんだけれど」


 ちょっと拗ねるようにニルスへ返すと、「だめですよ」と言いながら入り口を指さした。


「もうお昼です。カインさんが迎えに来ていますよ」


 え? もう昼?


 目をつぶったばかりだと思ったけど、眠りが深すぎて一瞬でお昼になっていた。びっくりだ。


「あ、そうなんだね。ありがとう、起きるよ」


 少し眠気はあるけれど、眠りが深かったおかげか、思考はすっきりしている気がする。これなら兄上と会話しても大丈夫そうだ。


 起き上がり、入り口まで向かうと、カインが恭しく一礼のために腰を折る。


「お迎えに参りました」


 カインは……。もういいか。


 僕は頷いて、同行予定のガレスとエルヴィンを呼んできてもらう。


 ガレスは武装こそしてはいないが、身動きしやすい軽装だ。


 エルヴィンも似たような格好だけれど、少し厚着気味かもしれない。何かあった時に受けるためだろうか?


 ふとそんなことを思いはしたが、二人に頷いて同行を促し、カインに連れられて領主館へ向かって歩き出した。



 父上が使っていた執務室に通されると、そこにはすでにオスカー兄上が待っていた。


「そこへ座るといい」


 オスカー兄上に促されて、来客用のソファーへ腰を下ろす。


 僕の後ろにはガレスとエルヴィンが控えるような形だ。なんだか偉くなったみたいで変な気分だ。


 対面のソファーには兄上が座り、その後ろには同じく二名が控えていた。領兵隊長……だと思う人と、カインだ。


 しばらく、オスカー兄上が、父上の件について改めて説明をしてくれた。兄上の話は、昨日のカインの話と基本的には同じで、追加で兄上の心情が添えられていた。


 その流れで、父上の今後のことや僕たちのことについて話が進んでいった。


「父上は、祖父が使っていた私室に置いている。当面は外には出さんが、怪我もしてはおらん。安心しろ」


 兄上が、父上の現状について触れてくれた。


 さすがに僕も気にはなっていたけれど、僕の方から触れるのはどうかと思い、聞けずにいたのでありがたかった。怪我もないとのことなので、複雑な思いはあれどいったんは良かった。


「そうですか……。僕が――」


 僕が来なければ、と続けようとしたら兄上に遮られ、首を振られた。


「それ以上は止せ。終わったことだ」


 そうかもしれないが……。


 兄上も複雑そうな感情を滲ませてはいたが、その瞳は前を向いている気がした。


「父上の件は、いったんそういうことだ。次はお前たちのことだが――」


 兄上の話では、カインの言う通り、外倉への攻撃命令は完全に取り消したということ、父上に代わり兄上が家中のこと、領内のことを取り仕切ること、そして、最後に……。


「一か月の間だ」


 兄上が僕と、後ろに控える二人を見据えてそう告げた。


「それ以上は、領内が持たん。それまでに、負傷者を動けるところまで戻せ。食料と布、薬草はなんとかしよう」


 兄上がこれが精一杯だ、という顔で僕たちを見つめている。


 一か月……。


 正直、重い負傷者には厳しい。


 厳しいけれど、食事に、替えの布、そして薬草まで手配してくれるというのだ、ただでさえ厄介者を一か月支援してくれるという提案に首を振ることはできない。


「ありがとうございます。兄上。分かりました」


 僕はソファーから腰を上げ、深く頭を下げた。


 起こった事態が良いことかは今も分からないけれど、父上のままだったらこうはならなかっただろう。少なくとも今はそう思った。


「礼は要らん。私も、お前たちをここに置き続けたいわけではない」


 兄上が「座れ」と言うので、改めて僕はソファーに座りなおし、兄と向き合った。


「先ほどの物資などは、ノエルに任せるので、何かあれば直接ノエルに伝えてくれ」


 ノエルが……。


 いや、ノエルは意外とこういう細かい差配が得意だったのを思い出した。性格なのだろうけれど、僕にはない長所だ。


「はい、ノエルと相談して、一か月やりくりいたします」


 そのあとは、兄上がばあやを呼び、顔を出したばあやと少し懐かしい話をしたりして、解散となり領主館を出た。


 案外長い時間話をしていたようで、少し日が傾きかけている。


「一か月か……」


 ずっと黙って聞いていたガレスが複雑そうな顔と声でそうつぶやいた。


「妥当なところであろう」


 エルヴィンは、納得しているような表情だ。


 確かに……五十名ものよそ者の面倒を一か月もみてくれるのだ。正直なところ、妥当どころではない。温情と言っていいだろう。


「一か月しかない、のか、一か月もある、のか、考え方次第だよ」


 僕は根拠はないけれど、一か月もあると考えるようにしようと二人にそう伝えた。


 二人は頷き、一緒に外倉へ歩いていく。



 僕たちが外倉に戻ってくると、ノエルが来ており、僕たちに気づくや否や、息を弾ませたまま、勢い込んで話し始めた。


「兄上」


 ノエルが、外倉の人数を書いた板を抱え僕を見つめている。


 板には、負傷者の名前らしきものと、歩ける者、支えがあれば立てる者、熱が残る者が、ぎこちない字で分けて書かれていた。


「一か月あれば、何人かは歩けるようにできます。でも、何もせずに寝かせているだけでは駄目です」


 その声は、いつもの弟のものではなかった。


「食べさせて、治して、固まった身体をほぐし、そして荷車を直して、武器の状態と数も見ます」


 ノエルは、少し間をおいて続ける。


「兄上たちは、一か月後のために出ていく準備をしなきゃならないんです」


 僕はノエルの話を聞き、改めて思った。


 やっぱり一か月しかない、と。


 できることをやるしかない。そのためには、許される範囲で頼れるものは頼る。それが今の僕にできる唯一のことだ。


 僕はノエルに向き直り、一言だけ、低く、短く、けれど重く言葉を紡いだ。


「ノエル、力を貸してほしい」


 ノエルはそれを聞き、力強く深く頷いた。


 できることをやるしかない。


 今まで流されるままに生きてきた僕でも、今は預かっている命がある。


 それだけは、手放せなかった。


 その日の夕方、ルミナ街道から来た商人が、東の方で灰色の布をまとった者たちが騒いでいると話していた。


 だが、その時の僕たちはまだ知らなかった。


 僕たちに与えられた一か月の猶予が、乱世がここへ届くまでの猶予でもあったことを。


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