第21話 エスター家政変
領主館の奥の部屋で、ベルトランは一人酒を舐めつつ、忌々しげに表情を歪めている。酒で鈍る思考に気づかぬまま、今後どう動くかを考えていた。
「アズールめ……。領主の座は渡さんぞ……」
武器は取り上げた。
だが、あれらはまだ外倉に居ついており、アズールを中心としてちょろちょろと目障りで仕方がない。
ノエルも外倉に出入りしていると聞いている。
このまま放置しては、せっかく武器を取り上げたのに何が起こって勢いを増すかわかったものではない。
あのような、衛兵崩れを持ち込みおって。五男では継げぬとわかって飛び出したまではよいが、どう集めたかは知らぬが、力技でこの椅子を奪いに来るとは……。
ベルトランは鈍い思考のまま、夜番の領兵を呼び出した。
「明日、朝いちばんで集められるだけの領兵を集合させろ」
エスター領の夜は静かに何かが動き始めていた。
*
明朝、領主館の前の訓練場には、急遽呼び集められた領兵がそわそわとしながら待機している。
事前に簡単な招集の目的は告げられており、外倉の一団を追い立てて、領外へ追いやること、というのは理解していた。
エスター領は、のんびりとした領だ。
野獣の対策や、稀に外部から来る少数の賊への応対などはあるのだが、今回は聞くところによれば、二十名ほどの戦える……いや、実戦を経験した元衛兵たちとの話だ。
昨日、武器を引き取りに向かった者の話では、尋常ではない偉丈夫や圧を発する者たちだったとのことで、居並ぶ領兵たちの顔は暗い。
しばらく、待っていると領主館から領兵隊長と各班の班長が出てきて、訓練場の方へ向かってくるが、幹部陣の表情も暗い。
「早朝からすまんな、集まってもらい」
隊長の一声は迫力がない。
横に控えている班長たちも顔を伏せ気味だ。
「話は聞いているとは思うが、これから外倉の一団を領外へ追いやることになる」
改めて隊長から説明が入る。
外倉の一団は、既に武器が取り上げられており丸腰であること。五男のアズール様がおられるので、アズール様は捕縛して領主館へお連れすること。
そして、最後に隊長は歯切れが悪く、言葉を続けた。
「抵抗するならば……」
それ以上の言葉はない。でも、何を言わんとしているかは理解できてしまう。
領兵たちは不安げにお互いに顔を見合わせながらきょろきょろと落ち着きがなく小さくざわついている。
怖い相手ではあるのだが、あの一団が現れてから何か悪さをしたという話も特には聞いていない。追い出すことはやぶさかではないが、さすがに傷をつけてまでは……と、そんな空気が広がり始める。
「なに、大人しく従えばそうはならん、念のためだ」
隊長は、自分を落ち着かせるように息を吐きながら皆を見回し、俺も嫌なんだがな、といったふうに言葉を続けた。
「俺も気乗りはせんが、外へ押し出すだけだ。よろしく頼む」
隊長はそう告げると、各班長へ指示を出し各班長へ指示を出し、隊列を整え始めた。
領兵たちは、不満とまではいかずとも、その顔にはあまり好ましいことを行うような色は見えず、「嫌だが、押し出すだけなら」という隊長と同じような気持ちで準備を始めていくのであった。
*
外倉の朝は少しばたばたしていた。
僕――アズールはニルスと一緒に夜分も負傷者の手当や、特に状態が悪い者を交代で診たりしていたため、寝不足気味だ。
ブルーノとトマたち人足は、昨晩の残りの食材で朝食の準備を行っている……。ブルーノは料理はあんまりだけれど、力仕事役かな。
ガレスと何人かの元衛兵たちは残った武器を整理して、倉奥ですぐ扱えるように並べ直している。
エルヴィンと残りの元衛兵たちは、外倉の周辺を警戒するように交代で番についていた。
夜番で対応していた者と負傷者は、まだ横になっているが、外からは炊いた豆のいい匂いが漂ってきて、僕は空腹だったことに気づかされた。
昨晩は、猪肉などを多少口に入れたが、あまり食は進まず十分に食べたとはいえなかった。そもそもの量の問題もあったのだけれど。
とはいえ、僕はあまり眠れていなかったのもあり、ガレスに一言告げて食事よりも仮眠を取ろうかと考えていたとき、外が騒がしくなった。
「来たぞ」
外を見ていたエルヴィンが外倉内へ駆け込み、奥の武器を確認し、いくつかを持って表へ戻っていった。
ガレスも僕を見つめて頷き、周囲の元衛兵へ武器を持たせて表へ出ていく。
父上に武器の件がばれたのだろうか……。いや、オスカー兄上は案外したたかな方だと思う。父上にばれるようなへまはしないと思うのだが。
僕も、立て掛けてあった、使い慣れた自分の直剣を握り、外倉の外へ向かった。
外に出てみると、二十数名ほどのエスター領の領兵が外倉の入り口を囲むように立ち並んでいる。その中にはカインも班長として参加しているのが確認できた。
ただ、領兵たちの顔色は悪い。
信じられない、といったような表情の者までいる。
僕は、ガレスのそばへ寄り「こちらからは、手を出させないで」と短く告げて、ブルーノへ視線を移す。
「これから朝飯だってのによお」
ブルーノは、なにかぶつぶつ言っているが、声が大きいので食事の邪魔に対する不満だということは理解できた。
ちなみにいつの間に準備していたのか、自慢の大棍棒を肩に担いでいた。
対する領兵たちは、さらに顔を青くして「なぜ、武器が?」「話が違う」「あんなの相手にしたら死ぬ」など、騒然とし始めている。一部には、班長や隊長へ恨めしげな視線まで送っている者もいる。
エルヴィンが、静かに領兵たちを確認しつつ、数名の元衛兵たちを連れて領兵の右側面へ移動し始めている。領兵は気づいてはいるが、意味までは理解できていない。
僕たちが武器を持っていることの方が気になるらしい。
ガレスには、こちらからは手を出さないように伝えてはいるのだけれど、ガレスの顔は、やる気だ。やる気に満ち溢れていて、相手が出てくれば容赦なくやり返すことは間違いない。今はどうにか僕の言を守ってくれているだけ、とも言える。
「なんだあ? こねえのか?」
ブルーノが煽るように大棍棒を領兵たちへ突き出してさらに一喝する。
「そんな覚悟で、朝飯の邪魔しにきてんじゃねえぞお!!」
すごい怒声だった。
その怒声に驚いた野鳥が、逃げるように羽ばたく音が聞こえてきた。
獰猛な野獣の咆哮のようなその一声は、僕たちもちょっと怖いくらいだったけれど、領兵たちには効きすぎたようで、驚き、怯え、腰を抜かし、座り込む者まで出ていた。
その様子を確認したカインが、隊長らしき人のもとへ駆け寄り、「いけません」と進言を始めている。
「......聞いていた話と違います」
カインがそう告げると、隊長らしき人は、青白い顔でカインを見つめて頷いている。そしてカインはさらに言葉を続ける。
「このまま、押し通せば……大半の者は死にます」
隊長は、ブルーノを見つめ、そのあとガレスへ視線を移し、最後にエルヴィンの様子を確認すると、怯えながら大きく頷いた。
「い、いったん退く! 状況が変わっている」
隊長がそう告げると、領兵たちは慌てて領主館の方へ逃げるように走り出してしまった。
隊長や班長たちを置き去りにするような格好でだ。
「あ、お、お前ら!!」
隊長や、班長たちも慌てて後を追う。
カインは、僕に少しだけ頭を下げて、その後に続いて駆けていった。
「追わないで」
僕は短くみんなへ意思を伝えると、渋々といった感じで武器を下ろし、去っていく領兵たちを見つめている。
「なんだよお! 朝飯前の運動にすらならねえじゃねえか」
ブルーノが退いていく領兵を眺めながら、邪魔されたのが不満だったのか、暴れられなかったのが不満なのか、両方だと思うけれど、肩を怒らせていた。
「まあ、ブルーノ。いったん朝飯にしよう」
僕はブルーノの背をぽんと叩き、ガレスとエルヴィンに念のための警戒要員だけ残してもらって、朝食の準備を手伝うことにした。
眠気はもうどこかへ飛び去ったが、この後どうするかを改めて考えなきゃと朝日のまぶしさに目を細めた。
*
オスカーは朝食中に、父上の命で領兵が朝から招集され、外倉に向かったとばあやから聞き、朝食を取りやめて急ぎ外倉へ向かおうと、領主館の入り口へ出ると、外には慌てたように訓練場へ駆け込む領兵たちが目に入ってきた。
まさか、昨日の今日で父上が動き出すとは思ってはいなかったが、早いか遅いかだけで時間の問題だとは思っていた。
訓練場の前まで行き、領兵隊長へ声をかける。
「何事だ」
隊長は、肩をびくっとさせつつ、私だとわかると少し息を吐き、安堵したように言葉を紡いだ。
「ベルトラン様の命で、外倉へ行っていたのですが――」
隊長の話を聞くと、おおよそ想像通りの報告で、私もため息を出しそうになったが、ここは毅然とした対応を取らねばならない場面だ。
「なるほど、状況は理解した」
隊長は、父上へどう報告したものかと、青い顔色をさらに陰らせて、こちらを見つめてきていた。わからなくもないが、私が逆の立場でも大変困ったことと思っただろう。
私は少し考えた。
父上の早計で無茶な指示は、逆に利用できるのではないか……と。
想定外の、父上の早い動き出しではあったが、結果的にはお粗末に過ぎて、私にとっては都合がよい事態になりつつある。
この機を逃しては、またしばらくは耐え忍ぶことになるやもしれない。
腹を括り、こちらを見つめている隊長へ視線を合わせ、大きく頷いて言葉を絞り出した。
「父上は、外倉の者どもに武器はないと偽り、お前たちを向かわせたのだな?」
普段の私は、あまり感情を表に出す方ではないのだが、ここは芝居がかったくらいがよかろうと、少しの同情と、少しの怒りを滲ませるように告げた。
「偽られたかは……わかりませんが、武器は持っておりました」
隊長は、言葉を選びつつ私へその青い顔を向けた。
しかし、私の言葉に、もしかして?という父上への疑念が浮かんできていることを確認し、私はさらに言葉を続ける。
「その通りだ。外倉の者たちは武器を持っていた」
私は、隊長だけではなく、この話を聞いている周囲を見回し、よく聞くのだという思いをこめて少し間を空け、大きく頷いた。
「父上の命は、お前たちを欺いて、死地へ送るものだ」
領兵たちは、何も言い返せず、私をただただ見つめ、息を飲み続く言葉を待っている。
「そうだろう? 事前に危険な相手、そういう任務だと説明があったのか?」
領兵たちは、お互いに顔を見合わせ、そうではなかったと首を振り、隊長が言葉を発する。
「いえ、武器は持たぬ丸腰の者たちだとしか……」
隊長は、だんだんと父上への怒りが増してきているのか、先ほどまで青かった顔が朱色になりつつあった。
「お前たちは臆したのではない。父上の誤った命で、死地へ送られかけたのだ」
領兵たち全員が、私を見つめている。その瞳は、強弱こそあれど不満の色が強まってきている。
ここだな……今しかないかもしれない。私は、いつかと思っていた行動をここで起こすことを決めた。
想像で何度も繰り返した案ではあるが、実際やるとなると相当な胆力がいる。
私は、これまで見ないふりをしてきた帳面の数字と、家人たちの噂を思い出した。
いつか使うかもしれない。
そう思って、頭の片隅に押し込めていたものだ。
今更の気おくれを周囲に悟られぬように改めて少し芝居がかるような動きで言葉を続けた。
「これが初めてではない」
領兵の皆へ、私が普段いかに心を痛めていたのか……と、伝わるような身振り手振り、話しぶりで語り始めた。
寄り親への貢納名目で集めた臨時税を、私腹と賄賂に流していたこと。
領兵の列の中で、誰かが小さく息をのんだ。
黒棘討伐協力を避けるため、その金を近隣都市側への賄賂に使っていたこと。
治水工事の費用を流用し、川沿いの村を危険に晒していたこと。
村の若い娘を館奉公の名で差し出させ、断った家には税や労役で圧力をかけていたことなど。
その他にもいくつかの父上の褒められない行いを詳らかに語ってみせた。
いずれも、帳面や家人の噂から、長く目を背けてきたものだった。
領兵たちの間からは「装備の補修費が消えたのは……」「川沿いの村の堤が直らなかったのは……」などと、細い声で聞こえてくる。
おそらく、一件、一件だけでは、それほど刺さらなかったかもしれない。領主など大なり小なりそんなものだ。だが、実際に外倉の件の後で、命の危険を、それも偽られたと思って感じた直後だ。
領兵たちは「まさか」「やはり」「聞いたことがある」など、反応は様々だが私を見つめるその瞳には何かしらの熱がこもり始めていた。
最後に、ここが正念場とさらに芝居がかるように強く続けた。
「父上は、家を守っていたのではない」
ぐっと胸の前でこぶしを握る。
「守るための金を使い込み、守るための兵を賄賂で逃がし、守るための堤を放置し、最後には、守るべき領兵を死地へ送った……」
領兵たちを見回し、最後に領主館へ視線を向けて、力強く言い切る。
「父上が守っていたのは、エスター家ではない。父上自身の椅子なのだ」
領兵たちは、静かに私の言葉を聞いていた。
ただ、雰囲気は先ほどまでの怯えていた様子ではない。何かを決意した、そういう表情を皆が浮かべている。
最後に私は、一同を見回し、そして頼むように一言だけ、言葉を置いた。
「……父上ではなく、私についてきてくれるか?」
最初に頭を下げたのは、隊長だった。
その隣で、カインが続いた。
班長たちが続き、やがて領兵たちも、ばらばらにではあるが頭を下げていった。
……成ったな、と私は確信した。
*
父上は、執務室で公務中だ。
とはいえ、男爵家の公務を真面目にこなす父上ではない。家人に任せてなんとかしているのが実態だ。最後の決裁だけは譲らぬ小心者ではあるが。
私は、訓練場で信任を得た領兵たちを率い、そのまま領主館へ入る。
家人たちは驚きはしつつも、特に抵抗はしなかった。
最悪、縛り付けることくらいは想定していたが……私が立ち上がったことに特に不満はないようで、ばあやなどは、小さく手を振っていた。
何の障害もなく、父上の執務室前に到着した。
私は、一息、深呼吸した。
開けてしまえば、後戻りはできなくなる。
しかし、もう既に引き返せないところまで来てもいる。
意を決し、戸を開け領兵たちを中へ引き入れた。
父上は、卓に座り何やら手帳を読んでいたようだが、突然の乱入者に驚き、混乱し、そしてそれが武装している領兵だと気づくと、恐れと怒りの混ざった声で叫び始めた。
「な、なんだ、お前たち! 誰に断ってここに入ってきておる!」
立ち上がり、喚き散らしながら父上は後ずさり、窓際まで下がっていった。
「私です。私の命で、父上を拘束しにまいりました」
ここで、父上は初めて私の存在に気付いたのか、私を凝視し、更に叫び始める。
「オスカー!これは何事だ。すぐに退かせよ!」
私は静かに首を振る。もう言葉は不要だ。
父上は、顔を真っ赤にし喚き散らしている。
「わしが当主だぞ! お前らは誰に仕えておる!!」
領兵たちは、少し苦い顔をしつつも、父上の言葉には耳を貸さず、一人がその腕をつかみ、もう一人が縄で縛り上げていった。
「オスカー、貴様、父に逆らうのか!」
父上は、赤から青へ顔色を変えながら、暴れ始めるも領兵たちに抑え込まれ膝をついた。
私は、父上を見下ろしながら、多少の慙愧と、ついにやったという大きな達成感を覚えつつ言葉を返す。
「……父上がエスター家を危険に晒すなら、私が守ります」
何を言っておる!と、父上が叫びながらも、領兵による拘束が完了し、隊長がこちらへ頷く。
「父上をお連れしろ」
エスター領の午前、ひとつの時代が静かに動き始めていた。




