第17話 帰郷の門
「カイン?」
その時の僕は、その一言しか口から出てこなかった。
最後に会った時から、少しだけ老けただろうか。
昔はなかったと思う目じりの皺が、時の流れと、その間の彼の苦労を想像させた。
「はい。カインでございます」
カインは昔と変わらないような、変わったような態度で僕に礼を尽くす。
エスター領に吹く風は、少し湿っぽく、そして手入れされた革の匂いがした。
*
「ああ? アズールの知り合いか?」
固まっている僕を横目に、ブルーノがかばうように前に出てそう告げた。
カインは僕から視線を外し、ブルーノへ向き直り、一礼する。
「ブルーノ・ガルト殿ですね。お名前は存じております」
身に着けているものは、安っぽい革鎧や使い古した革靴なのだが、カインには、何とも言えない品があった。
「お、おぉ? どこかで会ったことあったかい?」
ブルーノは、カインの丁寧な物腰に少し力が抜けたのか威勢は落としながら、でも、油断はしない体勢で聞き返す。
「ええ。アズール様のお側におられた方々のお名は、かねがね」
当然です、とでも言わんばかりの顔でそう告げるカイン。
カインは記憶の頃より、少し年を重ねた厚みのような雰囲気を醸し出してはいるが、確か僕と十歳も離れていなかったはず。
ガレスやブルーノと出会う前のころには、兄のように思っていた時期もあった。
実際の兄は、別に四人ほどいるのだけれど。
ブルーノは「なんだこいつ?」というような微妙な顔をしながら僕の方を向く。
「あー、カインはエスター領の領兵で、前と同じなら、班長だった気が……」
僕がエスター領を離れて三年ほど経っているので、今はどうかわからない。
「ええ、今も班長をやらせていただいております」
班長なら、小さな番所ひとつを任されていてもおかしくない。
僕たちの話を聞いて、ここまで来てくれたのだろう。
そんなやり取りをしているうちに、ガレスもこちらへやってきて、カインを訝しみながら礼をとる。
「領兵のまとめ役とお見受けする。お手数をお掛けする」
ガレスはこういうのがわりとできる。
カインはガレスへ視線を移し、こちらも丁寧に応対する。
「これはご丁寧に」
しばらくの間、二人の形式ばったやり取りが続き、それが落ち着いたころ、僕は切り出した。
「カイン、負傷者を休ませたいのだけど、父上に話を通してもらえないかな?」
カインは荷車の方に目をやり、しばし考えこむ。
「……まずは、皆様のお怪我を見せていただいてもよろしいでしょうか」
はい、とはならなかったが、いったん拒否はされなかったので、僕はカインを荷車の方へ案内した。
*
カインは最初に荷車の負傷者を確認し、その後、周りにいる者たちをゆっくりと見回した。
しばらく、考え込んでいたようだが、僕のもとに戻ってきて、やや曇った顔で口を開く。
「館へ知らせます。この村でできることには限りがあります」
確かに、この村では何もかも足りない。
それに村人は怖がっている。
「木陰と白湯だけでは足りません。館の外倉か、古い馬小屋を使えるか、確認いたします」
カインは、そう告げると領主館の方へ視線を向ける。
自分でお願いしたことだけれど、気が重い。
「それでは、ご案内いたします」
エルヴィンとニルスを呼び、この村だけでは難しいこと、だから領主館へ向かうことなどを説明し、トマにも話しかける。
「え? 領主様に会うんですか?」
勘弁してください、とでもいうようにトマはびっくりした顔をしている。
「いや、トマは直接は会わない、と思うよ」
僕は間違いなく会うことになるけど、人足のトマは必要性がない。
「どうしても会いたいっていうなら、考えるけど」
トマがすごい勢いで顔を横に振りながら「いえいえ、間に合ってます!」と言いながら荷車に向かって走り去っていった。
そして人足たちと合流し、荷車を動かす準備を始めている。
横を見ると、ガレスとブルーノが衛兵たちに声をかけている。
「槍は下げておけ。領民を怯えさせるな」
「暴れた奴からぶん殴るからな」
北潟隊の若手たちは静かにうなずき、途中で加わった敗走兵たちは不満げに小さく頷いている。
「では、向かいましょう」
こちらの準備ができたのを確認したカインは、こちらです、と先頭に立ち歩き出した。
*
村を抜け、畑道を再び歩いていく。
村を出てすぐには薪小屋らしきものがあり、その横で生木を乾かしているのが見える。
少し進むと左右には芋畑と豆畑が広がり、細い水路が水を届け、水路には転落防止のためか、古い木製の柵がされていた。
「あの小さめの倉には何が入ってるんでしょうね!」
ガレスとブルーノは、衛兵たちに目を配るため僕から離れていて、近くにはエルヴィンとニルスがいる。
ニルスは何が楽しいのか、いろんなものに興味を示す。
「おそらく芋と豆だろう」
エルヴィンが周囲を見回しながら答えている。
「え、なんでわかるんですか?」
「芋と豆しか見ていない」
エルヴィンの答えは簡潔だ。
あ、うん、そうだね。
エスター領といえば、芋と豆だよね。
僕は芋と豆と、ちょっぴりの獣の肉で育った。
「あー、確かに!」
ニルスは納得したのか大きく頷いた。
「飢えにくそうな領地ではある」
「どうしてですか?」
「芋は年に二回採れるし、豆はものにはよるがすぐ育つ」
「ほえー、詳しいんですね」
「実家が農地を扱っていたからな」
エルヴィンは農家……いや、農家は農家でも大地主とか、そっちな気がする。
「しかし、芋や豆では金にはならん」
手厳しい。
その通りだけど。
芋は管理が甘いとすぐ緑になって芽が出ちゃうし、豆はどこでも育ててるから売るより食べる方がいい。
小麦が採れれば、それなりの値で売れるんだけど……。
土が合わないようで、エスター領では端っこの方でちいさく育てているのみだ。
「そうなんだよね、エスター領は食べるには困らないんだけどね……」
僕は頭を掻きながら二人の会話に混ざる。
「狩りはわりと盛んで、肉は結構いける方かも」
香辛料こそ都会ほどには手に入らないけど、豆や芋を使ったスープに入れて食べると結構いける。
東南地方は海が近いのもあって、塩はどこでも安く手に入るしね。
「肉! いいですね!!」
ニルスの目が輝いている。
確かに、ここ数日は固い黒パンとか肉は肉でも干し肉だったので、少しまともな食事をしたい気持ちがある。
そんなことを話していると、丘の向こうに実家が見えてきた。
村を出てから、しばらく畑道を歩いた。
荷車の足では、近いようで遠い道だった。
実家は城という感じでもなく、砦という感じでもない。
大きなただの屋敷だ。
古びた木の柵に囲まれた、僕が飛び出したときと変わらぬ姿の領主館だ。
帰ってきたのか、帰ってきてしまったのか。
討伐隊として、ヴェルカを出た時には思いもしなかった形での帰郷に、少し胸がそわそわする。
僕は、気を紛らわすように、ニルスとエルヴィンと会話しながら、丘を登り始めていた。
*
領主館の門前には、見張りの領兵が二名ついており、恐る恐る僕たちを見つめていた。
「では、アズール様。ベルトラン様に取り次いでまいりますので、もう少しこちらでお待ちいただければと思います」
カインは丁寧にお辞儀をして、敷地内へ。
勝手知ったる実家ではあるのだけれど、家出のように飛び出した手前、ただいまー!と入るのも憚られる。
正門前には、訓練場……と呼ぶにはお粗末すぎる土を踏み固めて作られた庭というか、広場があり、奥には馬小屋も昔と変わらずそこにあった。
「実家に入るのに、許可いんのかあ?」
ブルーノは空気を読まない。
いや、読むから言うのかもしれない。
「うーん、家出したような形で港都に行っちゃったからね」
なるほどなあ、といった顔で、納得したのかどうなのか、とりあえず大人しくはなってくれた。
ガレスは、衛兵たちに槍を上げさせないように、後ろで見張っている。
「ここが、アズールさんの実家ですかー」
いつの間にかニルスが横にきて、領主館をきょろきょろと見回していた。
「大きいですけど、大きくないですね!」
なかなか哲学的なことを言う……。
いや、哲学ではないね。
ニルスは悪気がない分、逆に僕には刺さる。
「そうだね、貧しい小男爵家の領主館だからね」
僕は苦笑いしながら改めて実家を見上げる。
あまり良い思い出のない家だ。
飛び出したころと、まったく変わらないまま、そこに佇んでいる。
「この程度の柵なら、今の兵だけで制圧できるな」
エルヴィンが本気か冗談かわからない、とんでもないことを言い出した。
「いや、攻め込まないからね!」
門番の領兵もエルヴィンの発言に汗を流している。
「ふ、冗談だ」
めったに冗談言わないエルヴィンが、そういうことを言うと心臓に悪い。
しばらく、待っていると、奥からカインが戻ってきた。
困ったような顔をしている。
「父上と話せた?」
あまりよくない状況だとは、想像できるのだけれど、一応確認だ。
「はい、ベルトラン様にはお伝えしたのですが……」
カインの歯切れが悪い。
「負傷者だけでも、屋根のある所に移したいだけなんだけど」
僕は事前に伝えていた内容を改めて言葉にする。
「そちらもお伝えはしました……」
カインは何か伝えづらそうにしている。
「外倉ならば、こちらで鍵を預かっております。御館様も、勝手にせよ、と」
外倉か……。
上ってきた丘を降りなおした先にある、古い倉だ。
一応屋根はあるし、水場も遠くはないので案外悪くない。
「あ、外倉を使わせてもらえるなら、十分だよ」
僕は拒否されるか、もっと酷いものだと思っていたので、父上も、そこまでは拒まなかったか、と少し安堵した。
「はい、そちらは何とか私の方で調整できたのですが……」
カインはまだ何かあるのか、浮かない顔をしている。
じれったくなってきたので、僕ははっきりと言ってほしい気持ちでカインを見つめる。
「父上は、それとは別に何か言ったんだね?」
カインは、はっとした顔で僕を見て頷く。
「御館様は、アズール様お一人とお話をされたい、とのことです」
門前の空気が、少しだけ冷えた気がした。
ブルーノが目を細め、エルヴィンは得物を握りなおす。
ニルスは、どういうこと?といった感じで、カインと僕の間で視線を移動させている。
いつの間にか、ガレスが槍を担いで、僕に並ぼうとするので、手で制した。
「ガレス、待って」
カインは、表情を硬くし、門番の領兵は泣きそうな顔をしている。
「ここは僕の実家だよ?」
そう、ここは実家だ。
戦場ではない。
家出息子ではあるが、ここの子供なのだ。
大丈夫。
そう言いたい、言いたいし、思いたい。
でも、門の向こうにある家が、戦場より安全だとは僕は思えなかった。
*
そのころ、領主館の一室では、ひとりの青年が古い帳面を前に、難しい顔をしていた。
エスター領は、立地は悪くない。
産業は弱いけれど、大都市のヴェルカまで、荷車で三日、かかっても五日もあれば着く。
お金さえあれば、いろいろなものを仕入れてもっと豊かにできるのではないか。
では、そのお金はどうやって手に入れるのか。
芋を売る?
豆を売る?
皮?
輸送するには荷車がいる。
あまり外向けに稼ごうとか、兵站的な意味での輸送とか考えてこなかったエスター領には、丈夫な荷車が少ない。
少ないというか、ほとんどない。
では、荷車をまず?
「うーん。結局はお金か……」
物を生かす方法は得意だ、と思う。
でも、お金を生み出す才能は、また別のものらしい。
青年は、帳面を見つめ、唸り続けている。
とんとん。
青年の部屋に、清掃のばあやがやってきたようだ。
だいたいいつもこの時間にやってくるから、きっとそうだ。
「入っていいよー」
そう告げると「お邪魔しますよ」と、腰が曲がった、この屋敷で長く勤めてくれているばあやが入ってきた。
「ぼっちゃま、またこんなに帳面を散らかして……」
いつものことで、毎日言われている。
「ごめん、ちょっと考え事をしていたんだ」
毎日言われてるということは、これは日常で、挨拶みたいなものだ。
悪いとは少しだけ思っているけどね。
ばあやが、ため息をつきながら、床に落ちた帳面を拾い、そういえばと口を開いた。
「そういえば、今さっき、アズールぼっちゃんが戻られたそうですよ」
青年は、ふーん、と帳面に改めて目を落とし、勢いよく立ち上がる。
勢いあまって、椅子に足をぶつけて、すごく痛い。
「痛てて……って、そうじゃなく、アズール兄さん!!!」
その青年――ノエルは、また帳面を床に落としたまま、もう帳面どころではなくなっていた。




