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エルダニア大戦記  作者: 志摩 伊純
第2章:帰郷編・エスター家政変

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第17話 帰郷の門


「カイン?」


 その時の僕は、その一言しか口から出てこなかった。


 最後に会った時から、少しだけ老けただろうか。


 昔はなかったと思う目じりの皺が、時の流れと、その間の彼の苦労を想像させた。


「はい。カインでございます」


 カインは昔と変わらないような、変わったような態度で僕に礼を尽くす。


 エスター領に吹く風は、少し湿っぽく、そして手入れされた革の匂いがした。



「ああ? アズールの知り合いか?」


 固まっている僕を横目に、ブルーノがかばうように前に出てそう告げた。


 カインは僕から視線を外し、ブルーノへ向き直り、一礼する。


「ブルーノ・ガルト殿ですね。お名前は存じております」


 身に着けているものは、安っぽい革鎧や使い古した革靴なのだが、カインには、何とも言えない品があった。


「お、おぉ? どこかで会ったことあったかい?」


 ブルーノは、カインの丁寧な物腰に少し力が抜けたのか威勢は落としながら、でも、油断はしない体勢で聞き返す。


「ええ。アズール様のお側におられた方々のお名は、かねがね」


 当然です、とでも言わんばかりの顔でそう告げるカイン。


 カインは記憶の頃より、少し年を重ねた厚みのような雰囲気を醸し出してはいるが、確か僕と十歳も離れていなかったはず。


 ガレスやブルーノと出会う前のころには、兄のように思っていた時期もあった。


 実際の兄は、別に四人ほどいるのだけれど。


 ブルーノは「なんだこいつ?」というような微妙な顔をしながら僕の方を向く。


「あー、カインはエスター領の領兵で、前と同じなら、班長だった気が……」


 僕がエスター領を離れて三年ほど経っているので、今はどうかわからない。


「ええ、今も班長をやらせていただいております」


 班長なら、小さな番所ひとつを任されていてもおかしくない。


 僕たちの話を聞いて、ここまで来てくれたのだろう。


 そんなやり取りをしているうちに、ガレスもこちらへやってきて、カインを訝しみながら礼をとる。


「領兵のまとめ役とお見受けする。お手数をお掛けする」


 ガレスはこういうのがわりとできる。


 カインはガレスへ視線を移し、こちらも丁寧に応対する。


「これはご丁寧に」


 しばらくの間、二人の形式ばったやり取りが続き、それが落ち着いたころ、僕は切り出した。


「カイン、負傷者を休ませたいのだけど、父上に話を通してもらえないかな?」


 カインは荷車の方に目をやり、しばし考えこむ。


「……まずは、皆様のお怪我を見せていただいてもよろしいでしょうか」


 はい、とはならなかったが、いったん拒否はされなかったので、僕はカインを荷車の方へ案内した。



 カインは最初に荷車の負傷者を確認し、その後、周りにいる者たちをゆっくりと見回した。


 しばらく、考え込んでいたようだが、僕のもとに戻ってきて、やや曇った顔で口を開く。


「館へ知らせます。この村でできることには限りがあります」


 確かに、この村では何もかも足りない。


 それに村人は怖がっている。


「木陰と白湯だけでは足りません。館の外倉か、古い馬小屋を使えるか、確認いたします」


 カインは、そう告げると領主館の方へ視線を向ける。


 自分でお願いしたことだけれど、気が重い。


「それでは、ご案内いたします」


 エルヴィンとニルスを呼び、この村だけでは難しいこと、だから領主館へ向かうことなどを説明し、トマにも話しかける。


「え? 領主様に会うんですか?」


 勘弁してください、とでもいうようにトマはびっくりした顔をしている。


「いや、トマは直接は会わない、と思うよ」


 僕は間違いなく会うことになるけど、人足のトマは必要性がない。


「どうしても会いたいっていうなら、考えるけど」


 トマがすごい勢いで顔を横に振りながら「いえいえ、間に合ってます!」と言いながら荷車に向かって走り去っていった。


 そして人足たちと合流し、荷車を動かす準備を始めている。


 横を見ると、ガレスとブルーノが衛兵たちに声をかけている。


「槍は下げておけ。領民を怯えさせるな」


「暴れた奴からぶん殴るからな」


 北潟隊の若手たちは静かにうなずき、途中で加わった敗走兵たちは不満げに小さく頷いている。


「では、向かいましょう」


 こちらの準備ができたのを確認したカインは、こちらです、と先頭に立ち歩き出した。



 村を抜け、畑道を再び歩いていく。


 村を出てすぐには薪小屋らしきものがあり、その横で生木を乾かしているのが見える。


 少し進むと左右には芋畑と豆畑が広がり、細い水路が水を届け、水路には転落防止のためか、古い木製の柵がされていた。


「あの小さめの倉には何が入ってるんでしょうね!」


 ガレスとブルーノは、衛兵たちに目を配るため僕から離れていて、近くにはエルヴィンとニルスがいる。


 ニルスは何が楽しいのか、いろんなものに興味を示す。


「おそらく芋と豆だろう」


 エルヴィンが周囲を見回しながら答えている。


「え、なんでわかるんですか?」


「芋と豆しか見ていない」


 エルヴィンの答えは簡潔だ。


 あ、うん、そうだね。


 エスター領といえば、芋と豆だよね。


 僕は芋と豆と、ちょっぴりの獣の肉で育った。


「あー、確かに!」


 ニルスは納得したのか大きく頷いた。


「飢えにくそうな領地ではある」


「どうしてですか?」


「芋は年に二回採れるし、豆はものにはよるがすぐ育つ」


「ほえー、詳しいんですね」


「実家が農地を扱っていたからな」


 エルヴィンは農家……いや、農家は農家でも大地主とか、そっちな気がする。


「しかし、芋や豆では金にはならん」


 手厳しい。


 その通りだけど。


 芋は管理が甘いとすぐ緑になって芽が出ちゃうし、豆はどこでも育ててるから売るより食べる方がいい。


 小麦が採れれば、それなりの値で売れるんだけど……。


 土が合わないようで、エスター領では端っこの方でちいさく育てているのみだ。


「そうなんだよね、エスター領は食べるには困らないんだけどね……」


 僕は頭を掻きながら二人の会話に混ざる。


「狩りはわりと盛んで、肉は結構いける方かも」


 香辛料こそ都会ほどには手に入らないけど、豆や芋を使ったスープに入れて食べると結構いける。


 東南地方は海が近いのもあって、塩はどこでも安く手に入るしね。


「肉! いいですね!!」


 ニルスの目が輝いている。


 確かに、ここ数日は固い黒パンとか肉は肉でも干し肉だったので、少しまともな食事をしたい気持ちがある。


 そんなことを話していると、丘の向こうに実家が見えてきた。


 村を出てから、しばらく畑道を歩いた。


 荷車の足では、近いようで遠い道だった。


 実家は城という感じでもなく、砦という感じでもない。


 大きなただの屋敷だ。


 古びた木の柵に囲まれた、僕が飛び出したときと変わらぬ姿の領主館だ。


 帰ってきたのか、帰ってきてしまったのか。


 討伐隊として、ヴェルカを出た時には思いもしなかった形での帰郷に、少し胸がそわそわする。


 僕は、気を紛らわすように、ニルスとエルヴィンと会話しながら、丘を登り始めていた。



 領主館の門前には、見張りの領兵が二名ついており、恐る恐る僕たちを見つめていた。


「では、アズール様。ベルトラン様に取り次いでまいりますので、もう少しこちらでお待ちいただければと思います」


 カインは丁寧にお辞儀をして、敷地内へ。


 勝手知ったる実家ではあるのだけれど、家出のように飛び出した手前、ただいまー!と入るのも憚られる。


 正門前には、訓練場……と呼ぶにはお粗末すぎる土を踏み固めて作られた庭というか、広場があり、奥には馬小屋も昔と変わらずそこにあった。


「実家に入るのに、許可いんのかあ?」


 ブルーノは空気を読まない。


 いや、読むから言うのかもしれない。


「うーん、家出したような形で港都に行っちゃったからね」


 なるほどなあ、といった顔で、納得したのかどうなのか、とりあえず大人しくはなってくれた。


 ガレスは、衛兵たちに槍を上げさせないように、後ろで見張っている。


「ここが、アズールさんの実家ですかー」


 いつの間にかニルスが横にきて、領主館をきょろきょろと見回していた。


「大きいですけど、大きくないですね!」


 なかなか哲学的なことを言う……。


 いや、哲学ではないね。


 ニルスは悪気がない分、逆に僕には刺さる。


「そうだね、貧しい小男爵家の領主館だからね」


 僕は苦笑いしながら改めて実家を見上げる。


 あまり良い思い出のない家だ。


 飛び出したころと、まったく変わらないまま、そこに佇んでいる。


「この程度の柵なら、今の兵だけで制圧できるな」


 エルヴィンが本気か冗談かわからない、とんでもないことを言い出した。


「いや、攻め込まないからね!」


 門番の領兵もエルヴィンの発言に汗を流している。


「ふ、冗談だ」


 めったに冗談言わないエルヴィンが、そういうことを言うと心臓に悪い。


 しばらく、待っていると、奥からカインが戻ってきた。


 困ったような顔をしている。


「父上と話せた?」


 あまりよくない状況だとは、想像できるのだけれど、一応確認だ。


「はい、ベルトラン様にはお伝えしたのですが……」


 カインの歯切れが悪い。


「負傷者だけでも、屋根のある所に移したいだけなんだけど」


 僕は事前に伝えていた内容を改めて言葉にする。


「そちらもお伝えはしました……」


 カインは何か伝えづらそうにしている。


「外倉ならば、こちらで鍵を預かっております。御館様も、勝手にせよ、と」


 外倉か……。


 上ってきた丘を降りなおした先にある、古い倉だ。


 一応屋根はあるし、水場も遠くはないので案外悪くない。


「あ、外倉を使わせてもらえるなら、十分だよ」


 僕は拒否されるか、もっと酷いものだと思っていたので、父上も、そこまでは拒まなかったか、と少し安堵した。


「はい、そちらは何とか私の方で調整できたのですが……」


 カインはまだ何かあるのか、浮かない顔をしている。


 じれったくなってきたので、僕ははっきりと言ってほしい気持ちでカインを見つめる。


「父上は、それとは別に何か言ったんだね?」


 カインは、はっとした顔で僕を見て頷く。


「御館様は、アズール様お一人とお話をされたい、とのことです」


 門前の空気が、少しだけ冷えた気がした。


 ブルーノが目を細め、エルヴィンは得物を握りなおす。


 ニルスは、どういうこと?といった感じで、カインと僕の間で視線を移動させている。


 いつの間にか、ガレスが槍を担いで、僕に並ぼうとするので、手で制した。


「ガレス、待って」


 カインは、表情を硬くし、門番の領兵は泣きそうな顔をしている。


「ここは僕の実家だよ?」


 そう、ここは実家だ。


 戦場ではない。


 家出息子ではあるが、ここの子供なのだ。


 大丈夫。


 そう言いたい、言いたいし、思いたい。


 でも、門の向こうにある家が、戦場より安全だとは僕は思えなかった。



 そのころ、領主館の一室では、ひとりの青年が古い帳面を前に、難しい顔をしていた。


 エスター領は、立地は悪くない。


 産業は弱いけれど、大都市のヴェルカまで、荷車で三日、かかっても五日もあれば着く。


 お金さえあれば、いろいろなものを仕入れてもっと豊かにできるのではないか。


 では、そのお金はどうやって手に入れるのか。


 芋を売る?


 豆を売る?


 皮?


 輸送するには荷車がいる。


 あまり外向けに稼ごうとか、兵站的な意味での輸送とか考えてこなかったエスター領には、丈夫な荷車が少ない。


 少ないというか、ほとんどない。


 では、荷車をまず?


「うーん。結局はお金か……」


 物を生かす方法は得意だ、と思う。


 でも、お金を生み出す才能は、また別のものらしい。


 青年は、帳面を見つめ、唸り続けている。


 とんとん。


 青年の部屋に、清掃のばあやがやってきたようだ。


 だいたいいつもこの時間にやってくるから、きっとそうだ。


「入っていいよー」


 そう告げると「お邪魔しますよ」と、腰が曲がった、この屋敷で長く勤めてくれているばあやが入ってきた。


「ぼっちゃま、またこんなに帳面を散らかして……」


 いつものことで、毎日言われている。


「ごめん、ちょっと考え事をしていたんだ」


 毎日言われてるということは、これは日常で、挨拶みたいなものだ。


 悪いとは少しだけ思っているけどね。


 ばあやが、ため息をつきながら、床に落ちた帳面を拾い、そういえばと口を開いた。


「そういえば、今さっき、アズールぼっちゃんが戻られたそうですよ」


 青年は、ふーん、と帳面に改めて目を落とし、勢いよく立ち上がる。


 勢いあまって、椅子に足をぶつけて、すごく痛い。


「痛てて……って、そうじゃなく、アズール兄さん!!!」


 その青年――ノエルは、また帳面を床に落としたまま、もう帳面どころではなくなっていた。


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