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エルダニア大戦記  作者: 志摩 伊純
第2章:帰郷編・エスター家政変

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第16話 エスター領


 エルネ湖畔を抜け、林道をただただ進む。


 土の道は轍ででこぼこしており、荷車はがたがたと揺れながら、荷運び人足たちに押されている。


 森の入り口を離れてから、二度目の昼が近づいていた。


 途中で何度も車輪を止め、負傷者の包帯を替え、水を煮て、少ない食料を分けた。


 とはいえ、あれ以降、黒棘の追手らしき影は見えなかった。


 けれど、安心できたわけではない。


 荷車は遅く、食料は少なく、負傷者の息は何度も荒くなった。


 それでも僕たちは、ゆっくりと前へ進んでいた。


 エスター領は、もう目と鼻の先だった。



「この道、本当に人が通る道なんですか」


 トマは車軸を気にして、荷車の底を覗き込み、時に軽くたたきながらぼやいている。


「通るよ。一応」


 田舎道はこんなもんだよ、と僕はトマに目を向ける。


 確かにでこぼこしてはいるが道は道だ。


 雨が降ってぬかるんでいないだけましなんだけれど。


「一応って……荷車を通す道じゃないですよ、これ」


 トマは先の道まで、でこぼこしているのを確認し、ため息を吐いている。


「文句言いながらでも押せてるなら上等だろ」


 ブルーノが空を眺めながら、どうでも良さそうな声色で雑に入ってくる。


 僕やブルーノ、ガレスにとって、もともと道とはこういうものだった。


 すっかり港都やヴェルカに慣れてしまっていたけど。


「押してるのは俺じゃなくて人足仲間です。俺は壊れそうな車軸を見てるんです!」


 トマはふんすと鼻息を荒げて次の荷車を見に移動し、それを見送ったニルスが僕へ話しかけてきた。


「アズールさんの実家って、どんなところなんですか」


 ニルスは目を輝かせながら僕を見ている……。


 期待しているような視線が痛い。


 僕はなんと答えたらいいか……正直困った。


「……何もないところかな」


 本当に何もないから、これ以外に答えようがない。


 ブルーノは苦笑いしながらニルスに顔を向けた。


「ほんとに何もねえよなぁ」


 うん、本当に何もないのだ。


 あるのは……芋と豆くらいだろうか。芋と豆だけはたくさん採れる。


 あと、自然豊かなので、野生動物の肉と皮も。


 ……ど田舎だ。港都に帰りたい。


 そんなことを考えていたら、横で聞いていたガレスが真面目な顔でブルーノを嗜める。


「小さいが、領地としては成り立っている。馬鹿にするものではない」


 領地と聞いて僕は、実家のことを少し思い浮かべてため息が出る。


「僕にとっては、帰りたい場所ではないんだけどね」


 空は晴れて青いけど、僕の心は少し曇り気味かもしれない。



 それから昼を過ぎたころに、林道を抜けた。


 開けた視界には、懐かしい風景が広がっている。


 もう、ここはエスター領の端といっていい場所だ。


 低い丘。


 細い小川。


 狭い畑。


 古い水車。


 土壁の家。


 背の低い柵。


 遠くに見える小さな集落。


 ここは馴染みがある地区ではないのだけれど、それでも僕のよく知るエスター領の雰囲気が十分に詰まっていた。


「うわー。のどかでいい雰囲気ですね!」


 ニルスが褒めているのか、皮肉なのか判断に迷う感想を述べているが、性格的に褒めていると思う。たぶん。


「うーん、たぶん、三日で飽きると思うよ……」


 東南地方の沿岸地域は特にそうだけれど、エスター領もあまり小麦に向いた土地ではない。


 内陸気味な位置ではあるけれど。


 ただ、芋と豆はたくさん採れるので飢えるということはなく、けれど売れるものがあまりない。


 貧しい領地だ。


「相変わらず、しけた匂いしかしねえところだぜ」


 湿った土と、刈り残しの草と、古い薪の匂いがする農道を歩きながらブルーノはやれやれといった雰囲気であたりを見回している。


 エルヴィンも、珍しく物珍しそうな雰囲気であたりを見回しており、北潟隊やその他の同行衛兵たちもきょろきょろとしている。


「そこに見えてるけど、もう少しで最初の村だから」


 僕は、一応案内するように一同を引き連れて、集落へ向かった。



 村に近づくと、畑作業をしている農夫や、薪拾いをしていたであろう子供たちが、僕たちに気づいた。


 農夫は手を止めて僕らを凝視し、子供たちは集落に走っていく。


「なんだか感じわりぃなあ」


 ブルーノが吐き捨てるように言った。


「もしかして、ブルーノ、この村で昔なにかやらかしたとかないよね?」


 ないとは思うのだけれど、念のために聞く。


「この辺には来たことねえよ」


 ひどいぜ、と言わんばかりに僕に向き直るブルーノ。


「うん、ごめん。うちの近所じゃブルーノが有名だったから」


 悪い意味で、と聞こえないくらいの声で小さくこぼす。


 そんなことを話しながら集落のある地域に入る。


 そんなに大きな集落ではないが、先の広場にいる村民たちが蜂の子を散らすように離れていった。


 遠くで眺めている者は子供を後ろに隠し、家に向かったものは戸を閉め隠れてしまう。


 後ろの方から「兵だ」と叫ぶ、若い男の声がし、そちらを向くと走り去ってしまう。


 そこで僕は思い至った。


 確かに、ここは実家の領地ではある。


 だけれど、所詮は五男の僕。


 知ってる人なんて限られている。


 客観的に見れば、武装した集団が突然現れたのだ。


 村人から見たら恐怖の対象でしかないのだろう。


 つまり、向こうから見れば、武装した見知らぬ一団が、負傷者を乗せた荷車を連れて現れただけだった。


 僕が村人だったとしたら、普通に怖い。


 困った。


 困らせようと思ってないのだけれど、僕も困った。


 そんなことを考えていると、壮年くらいの男性が数人の同行者を連れて、こちらに向かって歩いてきた。


 そして、僕たちの前で止まり、恐る恐る語りかけてくる。


「あの、私は病気の父に代わり村長代理をやらせていただいている者です。失礼ですが……兵隊さんたちは、いったいどのような御用で、このような村に……」


 村長代理の男性は、勇気を振り絞って、といった雰囲気だ。


 それを聞いたガレスが、前に出ようとするので僕は手で制した。


 たぶん、僕に代わって回答してくれようとしたんだと思うんだけれど、ガレスは偉丈夫過ぎて、たぶん怖がられる。


 ブルーノだともっと怖がられる。


 そもそも空見てて興味なさそうだけれど。


 ここは、僕が出る方が無難だろうと思い、一歩前に出る。


「僕は、アズール・エスターです」


 少し声が掠れてしまった。


「エスター男爵家の……五男です」


 あまり自分で男爵家の、とか言いたくはないのだけれど、ここは使わせてもらった方が話が早そうだ。


 それを聞いた、村長代理や付き添いの一同は「五男?」やら「アズール様?」やら、なにかひそひそと話し合い始めている。


 少し離れたところで聞いていた老父が僕の顔を見て「ああ」と頷き、一言こぼした。


「リーネ様の……」


 僕は、久しぶりに聞いた母の名に短く頷いた。


「うん、リーネの子のアズールです」



 村長代理に、しばらくこちらで、と案内され、村の広場の端に荷車を停めさせてもらい、白湯をいただいて少し休憩していた。


 どうやら村だけでは対応できないとのことで、番人に連絡しに行くとのことだった。


 このあたりの村には領兵が常駐していない。いくつかの村の間に小さな番所があり、そこに詰める領兵を、村人たちは番人と呼んでいる。


「なんだか大事になっちゃったね……」


 深く考えてなかったのは、その通りだった。


 負傷者含めて五十人近い武装した集団だ。


 村人からしたら、賊なのか何なのか、一見してはわからないだろう。


 いきなり襲われはしなかったから、違うかもしれない、くらいには思っていてくれたようではあるけれど。


「案外、アズールさんって知られてない?」


 ニルスはなかなかに傷つくことを、ぼそりと言っている。


 しばし待っていると、来た道と反対の村道の方から数名の武装した一団が歩いて、こちらに向かってきているのが見えた。


 近くまで来たので改めてその人たちを確認すると、見覚えのある顔が一名いることに気が付いた。


 粗末な古い革鎧を着こみ、手に持った槍は草臥れて穂先は錆びており、構える姿勢は腰が引けている。


 ただ、向こうも僕の顔を見ると、気づいたのか、はっとしたような顔をした。


「アズール様……でございますか?」


 恐る恐るといった感じで確認してくる。


「うん。久しぶりだね、ただいま」


 懐かしい、とも違う、会えてうれしいとも違う、なんとも言えない「ただいま」になってしまった。


 番人の彼は、最初、僕を見て、次に後ろの荷車と衛兵たちを見て、また僕を見る。


「そ、その方たちは……」


 番人は、やや緊張を感じさせる面持ちで問うてきた。


 僕は、荷車に振り向き、番人の彼にお願いするように一言告げる。


「負傷者です。休ませたいんだけれど、取り次いでもらえるかな?」


 できるだけ優しい声色を出したつもりだけれど、これから会うかもしれない父を思い浮かべると、ちょっと固くなってしまったかもしれない。


 番人は、困った顔をしながら、口をぱくぱくとさせて、言葉に詰まっていた。


 何とか紡ぎだした言葉は「う、上に確認してまいります」だった。



 また、しばらく待つことになった。


 しかし、ただ待つだけでは済まなかった。


 僕たちがここにいるだけで、村人たちは怯えている。なら、せめて怯えさせるものを減らすべきだった。


 ガレスが衛兵たちを見て、何やら言っている。


「槍を下げろ。領民を怯えさせるな」


 あ、確かに。


 ちょっと考えたらわかることだけれど、僕も緊張していたのか、そこまで気が回らなかった。


 言われた衛兵たちのうち、途中で拾った敗走兵たちは少し不満そうにしていたが、北潟隊出身者の若手たちが大人しく従うのを見て、渋々といった感じで下げ始めていった。


「暴れたやつからぶん殴るからなあ」


 ブルーノが大棍棒を構えて物騒なことを言っている。


 そんなブルーノをガレスが睨んで低く言った。


「お前も得物をおろせ」


 うん、槍より迫力あるからね、それ。


 僕は視線をそらし、エルヴィンの方を見てみると、彼は周囲を確認しつつ、何やら頷いていた。


「エルヴィン、何かあった?」


 僕は気になって話しかけてみた。


「いや、悪い土地ではないと思っただけだ」


 こんな田舎で何もないのに、と僕は少し意外に思い、そのまま口に出してしまった。


「そうかな? 何もない田舎だよ」


 エルヴィンは僕に向き直り、口を開く。


「大軍を隠すには向かない。だが、追手が真っ先に向かう土地でもない」


 そして、荷車に目を向けて続けた。


「何より休むには、悪くない」


 僕にはよくわからなかったけれど、そんなものなのかな、と思い頷いておいた。


 そうこうしていると、村長代理がやってきて、白湯のおかわりを聞いてきたので、荷車のことを聞いてみることにした。


「荷車に負傷者がいるので、あっちの木陰に移動させてもいいかな?」


 広場の中央に、大きな木が一本生えており、その茂った葉や幹の影がちょうど涼むのに良さそうだった。


 村長代理は、困った、でも、負傷者が、と、木と荷車へ視線を行ったり来たりさせながらも、最終的には承諾してくれた。


 僕は、トマへ声をかけ、荷車を木陰へ移動させて、人足たちにも座って休んでもらうように伝えた。


「いや、村についてからずっと休んでますけどね」


 と、トマは言うが、何だかんだで、休めるときには休んでほしい。


 そのあとは、ニルスが荷車と一緒に木陰へ移り、座り込んでうとうとしているのを眺めたり、見える範囲の村の様子を眺めたりしていた。


 しばらく、待っていると、少しだけまともな装備をした領兵がやってきて、僕を見つけると深々と頭を下げる。


「アズール様、お久しぶりです。そしてお帰りなさいませ」


 僕は何も言えなかった。


 びっくりとも違う。怖いとも違う。悲しいとも、嬉しいとも違う。


 何と言っていいかわからない感情で、ようやく口から出たのは、たった一言だけだった。


「カイン?」


 久しぶりに帰ってきたエスター領は、懐かしい、とは思わなかった。


 安心した、とも思えなかった。


 ただ、「ああ、こういう場所だった」という薄い、形容しがたい気持ちがあるだけだった。


 これを帰郷と呼んでいいのか、それとも違う何かなのか、僕にはわからなかったが、再会したカインを前に僕の思考は、ただ固まることしかできなかった。


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