第16話 エスター領
エルネ湖畔を抜け、林道をただただ進む。
土の道は轍ででこぼこしており、荷車はがたがたと揺れながら、荷運び人足たちに押されている。
森の入り口を離れてから、二度目の昼が近づいていた。
途中で何度も車輪を止め、負傷者の包帯を替え、水を煮て、少ない食料を分けた。
とはいえ、あれ以降、黒棘の追手らしき影は見えなかった。
けれど、安心できたわけではない。
荷車は遅く、食料は少なく、負傷者の息は何度も荒くなった。
それでも僕たちは、ゆっくりと前へ進んでいた。
エスター領は、もう目と鼻の先だった。
*
「この道、本当に人が通る道なんですか」
トマは車軸を気にして、荷車の底を覗き込み、時に軽くたたきながらぼやいている。
「通るよ。一応」
田舎道はこんなもんだよ、と僕はトマに目を向ける。
確かにでこぼこしてはいるが道は道だ。
雨が降ってぬかるんでいないだけましなんだけれど。
「一応って……荷車を通す道じゃないですよ、これ」
トマは先の道まで、でこぼこしているのを確認し、ため息を吐いている。
「文句言いながらでも押せてるなら上等だろ」
ブルーノが空を眺めながら、どうでも良さそうな声色で雑に入ってくる。
僕やブルーノ、ガレスにとって、もともと道とはこういうものだった。
すっかり港都やヴェルカに慣れてしまっていたけど。
「押してるのは俺じゃなくて人足仲間です。俺は壊れそうな車軸を見てるんです!」
トマはふんすと鼻息を荒げて次の荷車を見に移動し、それを見送ったニルスが僕へ話しかけてきた。
「アズールさんの実家って、どんなところなんですか」
ニルスは目を輝かせながら僕を見ている……。
期待しているような視線が痛い。
僕はなんと答えたらいいか……正直困った。
「……何もないところかな」
本当に何もないから、これ以外に答えようがない。
ブルーノは苦笑いしながらニルスに顔を向けた。
「ほんとに何もねえよなぁ」
うん、本当に何もないのだ。
あるのは……芋と豆くらいだろうか。芋と豆だけはたくさん採れる。
あと、自然豊かなので、野生動物の肉と皮も。
……ど田舎だ。港都に帰りたい。
そんなことを考えていたら、横で聞いていたガレスが真面目な顔でブルーノを嗜める。
「小さいが、領地としては成り立っている。馬鹿にするものではない」
領地と聞いて僕は、実家のことを少し思い浮かべてため息が出る。
「僕にとっては、帰りたい場所ではないんだけどね」
空は晴れて青いけど、僕の心は少し曇り気味かもしれない。
*
それから昼を過ぎたころに、林道を抜けた。
開けた視界には、懐かしい風景が広がっている。
もう、ここはエスター領の端といっていい場所だ。
低い丘。
細い小川。
狭い畑。
古い水車。
土壁の家。
背の低い柵。
遠くに見える小さな集落。
ここは馴染みがある地区ではないのだけれど、それでも僕のよく知るエスター領の雰囲気が十分に詰まっていた。
「うわー。のどかでいい雰囲気ですね!」
ニルスが褒めているのか、皮肉なのか判断に迷う感想を述べているが、性格的に褒めていると思う。たぶん。
「うーん、たぶん、三日で飽きると思うよ……」
東南地方の沿岸地域は特にそうだけれど、エスター領もあまり小麦に向いた土地ではない。
内陸気味な位置ではあるけれど。
ただ、芋と豆はたくさん採れるので飢えるということはなく、けれど売れるものがあまりない。
貧しい領地だ。
「相変わらず、しけた匂いしかしねえところだぜ」
湿った土と、刈り残しの草と、古い薪の匂いがする農道を歩きながらブルーノはやれやれといった雰囲気であたりを見回している。
エルヴィンも、珍しく物珍しそうな雰囲気であたりを見回しており、北潟隊やその他の同行衛兵たちもきょろきょろとしている。
「そこに見えてるけど、もう少しで最初の村だから」
僕は、一応案内するように一同を引き連れて、集落へ向かった。
*
村に近づくと、畑作業をしている農夫や、薪拾いをしていたであろう子供たちが、僕たちに気づいた。
農夫は手を止めて僕らを凝視し、子供たちは集落に走っていく。
「なんだか感じわりぃなあ」
ブルーノが吐き捨てるように言った。
「もしかして、ブルーノ、この村で昔なにかやらかしたとかないよね?」
ないとは思うのだけれど、念のために聞く。
「この辺には来たことねえよ」
ひどいぜ、と言わんばかりに僕に向き直るブルーノ。
「うん、ごめん。うちの近所じゃブルーノが有名だったから」
悪い意味で、と聞こえないくらいの声で小さくこぼす。
そんなことを話しながら集落のある地域に入る。
そんなに大きな集落ではないが、先の広場にいる村民たちが蜂の子を散らすように離れていった。
遠くで眺めている者は子供を後ろに隠し、家に向かったものは戸を閉め隠れてしまう。
後ろの方から「兵だ」と叫ぶ、若い男の声がし、そちらを向くと走り去ってしまう。
そこで僕は思い至った。
確かに、ここは実家の領地ではある。
だけれど、所詮は五男の僕。
知ってる人なんて限られている。
客観的に見れば、武装した集団が突然現れたのだ。
村人から見たら恐怖の対象でしかないのだろう。
つまり、向こうから見れば、武装した見知らぬ一団が、負傷者を乗せた荷車を連れて現れただけだった。
僕が村人だったとしたら、普通に怖い。
困った。
困らせようと思ってないのだけれど、僕も困った。
そんなことを考えていると、壮年くらいの男性が数人の同行者を連れて、こちらに向かって歩いてきた。
そして、僕たちの前で止まり、恐る恐る語りかけてくる。
「あの、私は病気の父に代わり村長代理をやらせていただいている者です。失礼ですが……兵隊さんたちは、いったいどのような御用で、このような村に……」
村長代理の男性は、勇気を振り絞って、といった雰囲気だ。
それを聞いたガレスが、前に出ようとするので僕は手で制した。
たぶん、僕に代わって回答してくれようとしたんだと思うんだけれど、ガレスは偉丈夫過ぎて、たぶん怖がられる。
ブルーノだともっと怖がられる。
そもそも空見てて興味なさそうだけれど。
ここは、僕が出る方が無難だろうと思い、一歩前に出る。
「僕は、アズール・エスターです」
少し声が掠れてしまった。
「エスター男爵家の……五男です」
あまり自分で男爵家の、とか言いたくはないのだけれど、ここは使わせてもらった方が話が早そうだ。
それを聞いた、村長代理や付き添いの一同は「五男?」やら「アズール様?」やら、なにかひそひそと話し合い始めている。
少し離れたところで聞いていた老父が僕の顔を見て「ああ」と頷き、一言こぼした。
「リーネ様の……」
僕は、久しぶりに聞いた母の名に短く頷いた。
「うん、リーネの子のアズールです」
*
村長代理に、しばらくこちらで、と案内され、村の広場の端に荷車を停めさせてもらい、白湯をいただいて少し休憩していた。
どうやら村だけでは対応できないとのことで、番人に連絡しに行くとのことだった。
このあたりの村には領兵が常駐していない。いくつかの村の間に小さな番所があり、そこに詰める領兵を、村人たちは番人と呼んでいる。
「なんだか大事になっちゃったね……」
深く考えてなかったのは、その通りだった。
負傷者含めて五十人近い武装した集団だ。
村人からしたら、賊なのか何なのか、一見してはわからないだろう。
いきなり襲われはしなかったから、違うかもしれない、くらいには思っていてくれたようではあるけれど。
「案外、アズールさんって知られてない?」
ニルスはなかなかに傷つくことを、ぼそりと言っている。
しばし待っていると、来た道と反対の村道の方から数名の武装した一団が歩いて、こちらに向かってきているのが見えた。
近くまで来たので改めてその人たちを確認すると、見覚えのある顔が一名いることに気が付いた。
粗末な古い革鎧を着こみ、手に持った槍は草臥れて穂先は錆びており、構える姿勢は腰が引けている。
ただ、向こうも僕の顔を見ると、気づいたのか、はっとしたような顔をした。
「アズール様……でございますか?」
恐る恐るといった感じで確認してくる。
「うん。久しぶりだね、ただいま」
懐かしい、とも違う、会えてうれしいとも違う、なんとも言えない「ただいま」になってしまった。
番人の彼は、最初、僕を見て、次に後ろの荷車と衛兵たちを見て、また僕を見る。
「そ、その方たちは……」
番人は、やや緊張を感じさせる面持ちで問うてきた。
僕は、荷車に振り向き、番人の彼にお願いするように一言告げる。
「負傷者です。休ませたいんだけれど、取り次いでもらえるかな?」
できるだけ優しい声色を出したつもりだけれど、これから会うかもしれない父を思い浮かべると、ちょっと固くなってしまったかもしれない。
番人は、困った顔をしながら、口をぱくぱくとさせて、言葉に詰まっていた。
何とか紡ぎだした言葉は「う、上に確認してまいります」だった。
*
また、しばらく待つことになった。
しかし、ただ待つだけでは済まなかった。
僕たちがここにいるだけで、村人たちは怯えている。なら、せめて怯えさせるものを減らすべきだった。
ガレスが衛兵たちを見て、何やら言っている。
「槍を下げろ。領民を怯えさせるな」
あ、確かに。
ちょっと考えたらわかることだけれど、僕も緊張していたのか、そこまで気が回らなかった。
言われた衛兵たちのうち、途中で拾った敗走兵たちは少し不満そうにしていたが、北潟隊出身者の若手たちが大人しく従うのを見て、渋々といった感じで下げ始めていった。
「暴れたやつからぶん殴るからなあ」
ブルーノが大棍棒を構えて物騒なことを言っている。
そんなブルーノをガレスが睨んで低く言った。
「お前も得物をおろせ」
うん、槍より迫力あるからね、それ。
僕は視線をそらし、エルヴィンの方を見てみると、彼は周囲を確認しつつ、何やら頷いていた。
「エルヴィン、何かあった?」
僕は気になって話しかけてみた。
「いや、悪い土地ではないと思っただけだ」
こんな田舎で何もないのに、と僕は少し意外に思い、そのまま口に出してしまった。
「そうかな? 何もない田舎だよ」
エルヴィンは僕に向き直り、口を開く。
「大軍を隠すには向かない。だが、追手が真っ先に向かう土地でもない」
そして、荷車に目を向けて続けた。
「何より休むには、悪くない」
僕にはよくわからなかったけれど、そんなものなのかな、と思い頷いておいた。
そうこうしていると、村長代理がやってきて、白湯のおかわりを聞いてきたので、荷車のことを聞いてみることにした。
「荷車に負傷者がいるので、あっちの木陰に移動させてもいいかな?」
広場の中央に、大きな木が一本生えており、その茂った葉や幹の影がちょうど涼むのに良さそうだった。
村長代理は、困った、でも、負傷者が、と、木と荷車へ視線を行ったり来たりさせながらも、最終的には承諾してくれた。
僕は、トマへ声をかけ、荷車を木陰へ移動させて、人足たちにも座って休んでもらうように伝えた。
「いや、村についてからずっと休んでますけどね」
と、トマは言うが、何だかんだで、休めるときには休んでほしい。
そのあとは、ニルスが荷車と一緒に木陰へ移り、座り込んでうとうとしているのを眺めたり、見える範囲の村の様子を眺めたりしていた。
しばらく、待っていると、少しだけまともな装備をした領兵がやってきて、僕を見つけると深々と頭を下げる。
「アズール様、お久しぶりです。そしてお帰りなさいませ」
僕は何も言えなかった。
びっくりとも違う。怖いとも違う。悲しいとも、嬉しいとも違う。
何と言っていいかわからない感情で、ようやく口から出たのは、たった一言だけだった。
「カイン?」
久しぶりに帰ってきたエスター領は、懐かしい、とは思わなかった。
安心した、とも思えなかった。
ただ、「ああ、こういう場所だった」という薄い、形容しがたい気持ちがあるだけだった。
これを帰郷と呼んでいいのか、それとも違う何かなのか、僕にはわからなかったが、再会したカインを前に僕の思考は、ただ固まることしかできなかった。




