第15話 荷車の列
街道沿いの荷置き場と思われるあたりに黒煙が上がっている。
森からは敗走兵が一人、また一人と必死の形相で現れてはヴェルカ方面へ駆けていく。
森の入り口の僕たちは、退く、ことだけしか決まっていなかった。
*
「ヴェルカに戻る、でいいんですよね?!」
トマが、当然ですよね、というふうに聞いてきた。
しかし、街道には、既に敗走兵が流れ込み始めている。
ヴェルカへ向かう途中の荷置き場あたりには黒煙が上がり、不穏な空気を醸し出している。
「状況的に、このまま、まっすぐヴェルカへ向かうのは避けたいところだ」
エルヴィンは逃げていく敗走兵と、上がる黒煙を見ている。
「いずれにしても、ここに長居するのは得策ではなさそうだぞ」
ガレスが森から出てくる敗走兵が増えてきているのを見てそう告げる。
「え? どこへ行くっていうんですか?!」
トマは勘弁してほしい、といった表情だ。
誰も答えられない。
ひとまず、負傷者の収容を再開し、僕はいったん荷車から下ろした荷を検めて、水や食料、あと包帯や薬草などを取り分ける。
歩けそうにない負傷者を概ね荷車に乗せたころ、敗走兵の一部がこちらへやってきて荒々しい態度で何やら騒ぎ出した。
「俺たちも乗せろ!」
「その荷車を寄越せ!」
「水を置いていけ!」
「ヴェルカに戻るんだろうが!」
皆、疲れた顔をしており、だいたいの者は大なり小なり負傷している。
しかし、怯え、興奮、疲れで、理屈が通じる様子ではない。
「落ち着いてください」
僕は駄目もとで、言葉にしてみるも誰も耳を貸さず、詰め寄ってくるばかりだ。
あまり刺激したくはないのだけれど、このままでは埒が明かない。
仕方ない、緊急時で、落ち着かせるためだ……。
「ブルーノ、お願い!」
言うが早いか、既にその気だったようで、ブルーノが前へ出る。
先ほど森の中でブルーノと一緒に動いていた北潟隊の若手たちも、つられるように前へ出て、敗走兵たちを威圧し始める。
「殺しちゃだめだよ!」
大丈夫だとは思うけれど、念のために告げる。
「あいよー」
と、気の抜けた返事をする、ブルーノ。
「荷車に触るんじゃねえ」
ごん、と一人ずつぶん殴って昏倒させていくブルーノ。
倒れた者から武装を取り上げていく北潟隊の若手たち。
なんだか連携力が上がっている。
今気づいたけど、この面子は森の中で左側の敵弓兵に対していた者たちだった。
ブルーノと短い間ながらも行動を共にして感化されているのかもしれない。
「どうすんだ、こいつら?」
ブルーノが僕に聞いてくる。
……どうしよう。
*
水や食料などをあらかた荷車の空いている部分に積み込み、念のためにトマが荷車の状態を点検していると、昏倒していた敗走兵たちが目を覚まし始めた。
「痛てて……」
それぞれ頭にできた瘤をなでながら、あたりを見回している。
殴られて気勢を削がれたのか、先ほどまでのような混乱した雰囲気は薄れていた。
……けれど、油断はできない。
とはいえ、放っておいても寝覚めが悪いかもしれない。
僕はブルーノを連れて、彼らのもとへ足を運ぶ。
彼らは、気まずそうに目をそらしながらも逃げることはしなかった。
「荷車を奪うなら、置いていく」
僕は説明も何もなく、ただそう告げた。
「でも、荷車を押すか、荷を背負うか、周りを守るなら、一緒に来て」
何人かは目をそらした。
何人かは、悔しそうに歯を食いしばった。
それでも、一人が小さく頷いた。
「ああ……言うとおりにする」
その声につられるように、残った者たちも、ばらばらに頷いた。
それを見ていたエルヴィンが苦い顔をし、ガレスは深く頷いている。
点検をしているトマを待っている間、改めてあたりを見回す。
森の入り口に、動けなくなっている者がまだ何人もいることに改めて気づき、ブルーノを伴って確認しにいってみることにした。
だいたいは走り疲れて休んでいるだけの軽傷者だったが、中には足に傷を負い、これ以上歩くのは難しそうな者、背に受けた傷が深くつらそうな者などもいる。
付いてきてくれていたブルーノと北潟隊の若手数名で、特に重傷者を中心に数名ほどを担ぎ、荷車へ連れていく。
トマはちょっと嫌そうな顔をしながら荷台と負傷者へ視線をいったりきたりさせて言う。
「もう余裕はほとんどないですよ」
「それでも、乗せられるだけ乗せよう」
そのあとも改めて見回り、追加で数名を荷車に乗せた。
「これ以上は車輪がもたないですよ!」
トマに怒られたからではないが、確かに荷車が壊れては元も子もない。
いったん、ここまでとした。
*
ガレスが人数を確認し、トマは点検を終えて、僕に報告をあげてくれた。
「戦闘に耐えうる者は、俺たち五人を除いて二十二名。負傷者は二十名だ。人足たちはトマを含めて六名ほどいる」
続いてトマが口を開く。
「荷車四台は、一応動きますが、うち一台は車軸が弱っていて、道が悪いとだめになるかもです」
さらにトマが荷車を見つめながら続ける。
「水はあります。さらに、エルネ湖や川があれば水を煮沸して何とか……。食料は……この人数には少なすぎます」
不安そうな顔で僕を見つめるトマ。
「ヴェルカへは戻らないんですか?」
改めての確認といった感じで聞いてくる。
「街道は駄目だ。荷車で戻れば、逃げる兵と賊に挟まれる」
エルヴィンは、森から続々と現れる敗走兵を見つめながら言う。
「負傷者を乗せた荷車四台を連れて、あの煙の方へ戻るのは危険だ」
ガレスも同じ意見のようで、否定的だ。
じゃあ、何処へ向かうのか。
これが今、一番の問題だった。
*
この場に居続けて、そのたびに敗走兵に絡まれるのを避けるためエルネ湖沿いに伸びている南の旧道を南下することにした。
ヴェルカから離れる方向だが、大きく離れるのではなく、いったん落ち着くためだ。
しばらく南下し、少し開けた、車止めの広場を見つけ、そこへ荷車を寄せ改めて行き先を検討することにした。
地図を広げる余裕などない。
だから僕たちは、車止めの広場に荷車を寄せたまま、知っている道を口で並べるしかなかった。
取れる選択肢はそう多くない。
一つ目、来た道を戻りヴェルカへ向かう。
南の旧道を北上すれば半日ほどでたどり着けはする距離だが、道中の危険が大きすぎて避けたい案だ。
僕たちや、健常な衛兵だけなら突破することもできるかもしれない。
ただ、負傷者、荷運び人足、そして荷車を抱えてでは厳しいという意見が多い。
そもそも、ヴェルカ自体がどういう状況かもわからない。
二つ目、近隣都市方面へ向かう。
こちらも敗走兵とそれを追う黒棘との遭遇が予想され、積極的に取りたくない案だった。
ただ、黒棘には出会わないかもしれない。
そういう希望もある。
しかし、急いで向かっても、三日はかかる距離で、危険を運任せにするには遠すぎた。
三つ目、エスター領へ向かう。
このまま南の旧道を南下し、先の分かれ道を林道側に進めばエスター領だ。
エスター領に入るだけなら、ここからなら丸二日も歩けば着くだろう。
荷車と負傷者を抱えれば、もっとかかるかもしれない。
それでも、近隣都市を目指すよりはましだ。
領主館のある、中心地までは、もうしばらく歩かなければだけれど。
おそらくエスター領へは誰も落ち延びないし、黒棘も向かわない、と思う。
あそこは何もなさ過ぎて、うま味もなければ、知名度もない。
ないない尽くしで、本当に行きたくない。
……非常に気は進まないが、今は僕個人の感情を優先すべきではない。
「エスター領へ向かおう」
僕は皆に聞こえるように伝えた。
「エスター領……って、どこでしたっけ……?」
北潟隊の若手が、聞いたことはある、という顔をしながら手を挙げた。
「弱小男爵家で知名度全然ないからね」
僕は苦笑しながら、自分の出自とエスター領への行き方などを簡単に説明した。
「安全だとは言えない。でも、他の選択肢よりは危険な可能性が低くて、領でも僕の名前で門前払いはされない、と思う」
ガレスとブルーノは、何とも言えない顔をしている。
二人とも、僕と同じくエスター領生まれ、エスター領育ちだ。
こんな形で、故郷に凱旋……ではないけれど、戻ることになるとは思っていなかったに違いない。少なくとも僕はそうだ。
「エスター領には行ったことないんですが、その林道って整備されてるんです?」
トマは荷車を見ながら、道の状態を確認してきた。
「どうだろう、たぶん、あまり整備されてなくて、轍だらけだと思う」
トマはそれを聞いて、うーん、と唸っている。
「いずれにしても、エスター領なら追手は来まい」
ガレスは複雑な顔のままだ。
「あそこは、なんもねえからなあ」
ブルーノは頭を掻きながら苦笑いしている。
エルヴィンは少し思案していたが、案外悪くない、といった感じで顔を上げた。
「少なくとも、前方への警戒は少なくて済みそうだ。それだけでもだいぶ違う」
確かに……。
何かいたとしても、野生動物くらいだと思う。
危険なのは熊くらいだろうか。
さすがに僕も噂で聞くだけで、実際に熊は見たことないけど。
北潟隊の若手たちも、途中で拾った衛兵たちも、互いに顔を見合わせた。
知らない土地へ向かう不安はある。
それでも、ヴェルカへ戻るよりはましだと、誰もが分かっているようだった。
「そうとなれば、いったん隊列を整え直そう」
森の入り口から、ここまでは、いったん速やかに離れるということで、隊列などは二の次にしていた。
ガレスの言葉に、北潟隊の若手たちがてきぱきと動き始める。
途中で拾った者たちも、戸惑いながらも動き出した。
僕とニルス、あと軽傷者の一部は、隊列の調整が終わるまで、負傷者の様子を確認し、できる範囲で応急の手当などを行った。
危険は少なそうだとは思うけれど、隊列はガレス仕込みでしっかりしていた。
先頭にはエルヴィンが立ち、中央にトマたちと荷車が四台、列を成して進んでいる。
荷車の前後には北潟隊の若手が盾を持って続き、左右には途中で拾った戦える衛兵たちがいる。
ブルーノは最後尾で後ろを警戒し、僕とニルスは荷車のそばで負傷者を見ている。
そしてガレスが全体を見て、臨機応変に立ち回るといった感じだ。
ガレスとブルーノは、途中で拾った者たちをまだ信用していないみたいで、「列を離れるな。離れれば死ぬ」「暴れる奴は俺が捨てる」と物騒なことを言って、怖がらせていた。
北潟隊の若手たちは、短い間の付き合いではあるが、死線を一緒に渡ってきた関係もあり、今では戦友みたいな感覚がある。
既に太陽が傾き始めており、夕暮れ時だ。
再出発してからしばらく経っていた。
南の旧道から、分かれ道を林道に入り、今のところ特に大きな問題はなく進めている。
まだ、エスター領には全然届きはしないが、戦場だった森からはかなり離れることができて、皆の顔にも多少余裕が生まれてきている。
「アズールさんの故郷かぁ……楽しみですね!」
ニルスはようやく調子を取り戻しつつあり、愛嬌も戻ってきていた。
「うーん、本当に何もない、ど田舎だよ」
僕は苦笑しながら、元気が出てきたニルスに心の中で安堵の息を漏らす。
「でも、男爵家とはいえ、アズールさんは、直系の男子なんでしょ? いいなー、お貴族様だぁ」
ニルスは半分冗談、半分本気みたいな難しい顔をしている。
「いやいや、僕は五男だからね。それに貴族っぽい家じゃなかったよ。そうだねえ、感覚的には村長をちょっと偉そうにした、ってくらいだよ」
荷車の負傷者が僕たちの話を聞いて、少し笑っていた。
傷が痛いはずだが、多少でも気が紛れてくれるならいいと思い、そのあともニルスとくだらない話を続けて進み続けた。
もしかすると、ニルスも分かっててやっているかもしれない。
四台の荷車が、林道をゆっくりと進んでいる。
乗っているのは、まだ息のある負傷者たち。
周りを歩くのは、敗走兵と、逃げ損ねた人足たち。
僕の兵ではない。
僕の民でもない。
それでも今、彼らは僕の言葉を聞いて動いていた。
僕たちはヴェルカへは戻らない。
エスター領へ向かう。




