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エルダニア大戦記  作者: 志摩 伊純
第1章:黒棘野盗団討伐戦

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第13話 森の牙


 北潟隊は混乱していた。


 所長が討たれ、前からも側面からも矢が飛んでくる。


 副官も開戦直後に矢に射られ、傷が重くまともに指揮を取れないでいる。


 ある者は、盾を深く構えて身を守り、ある者は低く伏せてやり過ごそうとしている。


 どの顔にも混乱と恐怖が浮かんでいる。


 一人、また一人と、仲間が倒れていった……。



「所長がやられたようだぞ!」


 ガレスは油断なく左翼の北潟隊を確認しつつ、前方へも気を向けていた。


「まずいな、指揮を継げる者もやられているようだ」


 エルヴィンも左翼を気に掛けつつ、周囲を見回している。


「北潟隊が崩れれば、こちらも巻き込まれるぞ」


 ガレスが飛んできた矢を槍で払い、声を上げる。


 どうすればいい……。


 前衛も、中央も混乱しているが、幸いといっていいのか、混迷した戦局の中で少し距離ができており、左翼ほどの近さではなかった。


 よし。


「ガレス! 北潟隊を支援できる?」


 僕は覚悟を決めてガレスを見た。


「……ああ、何とかする。だが俺一人では長くは持たせられんぞ」


 ガレスは一拍ほど考えるそぶりをし、頷いた。


「お願い。完全に崩れる前に支えて!」


 それを聞いたガレスは、矢のように飛び出し、北潟隊へ合流。


「本部付、南潟のガレスだ。支援する!」


 北潟隊の一部の衛兵がガレスに目を向ける。


「盾を上げろ! 矢を通すな!!」


 怯えて伏せている者を叱咤し、「負傷者は後ろへ!」と的確に今、必要な指示を飛ばす。


 それでもまだ、前からも側面からも矢が射かけられ、運の悪い衛兵から負傷していく。


 でも、矢の数的に左側面の賊は少なそうだ。


 僕は、ほとんど考えるより先に、ブルーノへ声をかけた。


「ブルーノ、左の弓兵を止めて! でも、深くは追わないで!」


 ブルーノは、僕を守るように寄っていたのだが、離れない。


「アズールを置いては、いけねえなあ」


 気持ちは嬉しいのだけれど、今は僕だけが守られている場合じゃない。


「ブ――」


 僕がブルーノに再度お願いしようとしたときに、エルヴィンが割って入る。


「アズールは、俺が見る」


 ブルーノとエルヴィンが視線を交わす。


「止めりゃいいんだな!」


 ブルーノは僕とエルヴィンに目配せし、ガレスの後を追って北潟隊の方へ向かっていった。


 次に、僕は後ろが不安になり振り返ると、小さく屈んでいるニルスが僕を見つめていた。


「アズールさん……」


 大丈夫だよ、と震える肩に手を置き、前方を見る。


 前衛の近隣都市兵が崩れて、中央へなだれ込み始めている。


 右翼はよく見通せないけど、南潟の旗は健在で確認できるので、まだ保ってはいるようだ。


「左は持ち直しつつある。だが、前が崩れている」


 ブルーノに代わり、僕を守るように寄ったエルヴィンが状況を確認していた。


「中央に寄るのは、危険だ」


 確かに、中央は混乱しながらも前進しようとしている。


 そして、前衛の近隣都市衛兵隊は、もはや隊を成しておらず後ろへ下がってきている。


 このままでは、どちらもまともなことにはならなそうに見える。


「お勧めは、いったん森の入り口まで退くことだ」


 エルヴィンが真剣な目で僕を見ている。


 確かに、今ならエルヴィンに守られ、ニルスの手を引いて三人で退くのは難しくはなさそうだ。


 でも、ガレスやブルーノを置いて、僕だけ退くなんて選択肢はない。


 それだけは絶対だ。


「うん、でも、それはないよ」


 エルヴィンは何も言わなかった。


 僕を見つめるその瞳は、ただただ力強かった。


 何かを見極められた、そんな気がした。


 エルヴィンは流れ矢を剣で受け流しつつ、今度は別の提案を持ち上げる。


「なら、左翼へ合流するべきだ」


 僕はガレスたちの方を見る。


 ガレスは、周囲を叱咤し、盾を構えさせ、隊の形を取り戻させつつある。


 左側面から飛んでくる矢の間隔が、少しだけ空いた。


 木々の向こうで、ブルーノの怒声と、何かが折れるような音が聞こえる。


 見えない。


 それでも、ブルーノが敵弓隊を押し返しているのだと分かった。


 そして、中央へ目を向ける。


 下がる前衛、それを押し返そうとする中央の喧騒の中に、ヘンドリック隊長の怒声が混じり、混迷を極めている。


 僕は、頷く。


「分かった。北潟隊側へ」


 僕はニルスに肩を貸し、エルヴィンと共に北潟隊へ足を向けた。



「ええい! 前衛はなぜ下がってきておる! 腰抜けどもめ!!!」


 ヘンドリックは、杖を振り回し目が血走っている。


「中央は、このまま前衛を下がらせぬように押し続けろ!!」


 副官は、焦っていた。


 このままではまずい。


 いったん、隊列を整え直さねば負けるにしても被害が大きくなりすぎる。


 もはや、ここまできて勝てるなどとは思ってはいないが、ならどうやって被害を少なく抑えるか。


 副官の頭は、そちらへ舵が切られ始めていた。


「隊長! 一度、前進策は止め、態勢を整えるべきです!」


 だめもとで、何度目か、もう数えきれないほど繰り返した献策をするも、ヘンドリックは、こちらを見もしない。


 副官は、腹をくくった。


「伝令! 下がる近隣都市衛兵隊を受け入れる隙間を作れと、前に伝えてこい!」


 そして、また別の伝令を呼び指示を投げる。


「前進をいったん止め、盾を構え、しばし守勢を取るように伝えろ!」


 最後に「退くのではない、隊列を組みなおせ」と、叫び、伝令を走らせた。


 すると、興奮していたヘンドリックがそれに気づき、副官へ詰め寄ってくる。


「何を勝手しておるか!!!!」


 ヘンドリックは杖で副官の頭を殴打した。


 幸い兜をかぶっていたため、殴打による痛みはなかったのだが、少し脳が揺れる。


 ぐっとなりながら、副官が叫ぶ。


「隊長の指示では、被害が増すばかりです!! ここはいったん態勢を立て直します!!」


 ヘンドリックと、副官はにらみ合い、事態はさらに混迷していっていた。



 ピリムは、伝令から報告を受け取り、顎を撫でた。


「ふむ、前衛は崩れ、中央も混乱……」


 目をつぶり、さらに思考する。


「左翼は、しぶとく粘っているようだが、部隊長級が倒れたとの報告もある」


 考えをまとめるように口から吐き出す。


 そして、目を開き右翼方面を見つめながら答えを出した。


「そろそろ……ですかな」


 ピリムは、伝令を三名呼び、それぞれに指示を与える。


「敵前衛へは、現状維持で圧をかけ続けよ」


 続けて、横の伝令へ告げる。


「左翼へも現状を維持しつつ、側面の弓隊が危ないならいったん下がってよい」


 そして、最後の一名。


「右翼への斉射を、いったん緩めてよい。その時が来たと伝えよ」


 それぞれの伝令は頷き、前から去る。


 ピリムは、腕を組みしばし考えこんだ後、ドランが座る後方へ歩き出した。


 ドランは、地面へ座り込み、水袋に口をつけていた。


 ピリムが歩いてくるのを確認すると、そちらをにらむように見つめた。


「ドラン殿、大変お待たせしましたが、そろそろでございます」


 そばへ寄ってきたピリムがそう告げたのを聞いたドランは、ようやくか、と腰を上げる。


「よおし、ずいぶん待たせたなあ」


 言うほどには、怒った様子ではなく、むしろ待ってましたと、嬉しそうだ。


「ええ、その分、大変良い収穫期に入っているかと」


 ピリムは「ほほほ」と笑いながら伝える。


「では、正面を割るでいいのだな?」


 ドランは特に難しく考えず、前衛がいる方向をにらみつける。


「いえ、今回は敵右翼を側面からお願いしたいと思っています」


「側面だぁ?」


「ええ、そちらが大変食べごろでございますので」


 ドランは考えようと思ったが、やめた。


 頭を使うのは苦手だ。


「ピリムが言うんなら、今回はそういくとするかあ」


 巨大な戦斧を担ぎ、ドランは黒棘の本隊のいる方面へ歩き出した。



 衛兵隊の右翼の南潟隊は、賊の矢を耐え忍んでいた。


 今のところ、怪我人こそ出ているが、大きな損害は発生していない。


「やれやれ、いつになったら矢が止むのやら……」


 ユルゲンは、流れ矢に当たるのは御免だと、盾を深く構えながらため息をつく。


 中央の方を見れば、大きく混乱が起こっていることは感じ取れる。


 再三のヘンドリックからの前進命令を無視し、耐えていたら、ついにそれすら来なくなっている。


 余程、混乱しているとみた。


 詰所の部下たちの方をみると、恐れはしているものの、諦めているような顔つきではない。


「若いっていいねえ……」


 ユルゲンは苦笑いしつつ、盾を持ち直す。


 相変わらず、細く短く、そして絶え間なく続く空気を裂く矢の音に、内心で恐々していると、その音が次第に少なくなり始めてきた。


「お、いよいよ、かな」


 ユルゲンは小さくつぶやき、副官を呼び寄せる。


 警戒しながら寄ってきた副官は、眼鏡の位置を直してユルゲンへ向き直る。


「所長、矢が止まりそうです!」


「ああ、賊の矢が、尽きたのか止んできた! 予定通り前進し、圧を掛けるぞ!」


 副官は、まってました!と言わんばかりの表情で「では、伝えてまいります!」と下がってゆく。


 その背中をまぶしく思い、見つめながら、ユルゲンは盾を構えつつ、立ち上がった。


「さてさて、言われた通りに前進するかねえ」


 矢が止んだ前方を見つめ、口を歪ませて小さく笑った。



「兄貴、敵の右翼が動き出しそうですぜ?」


 弟分の男が声を抑えてドランへ報告する。


「ああ、んじゃ、いっちょぶちかますとするかねえ」


 弟分は、にやりと笑い、部下たちに告げる。


「もう少し近づくまでは、騒ぐんじゃねーぞ」


 それぞれ、小さく、あるいは大きく頷くも、声を出す者はいない。


「よし、それじゃ、木々に紛れながら、寄るぞ。 俺が先頭を張る!!」


 南潟隊に黒棘の本隊が迫っていた。



「前進の準備が整いました!」


 副官の報告を聞き、ユルゲンは大きくうなずいた。


「ヘンドリック隊長の指示は前進だ。ようやく矢も止んだ。一気に詰めるぞ!!」


 おおー!と気合いを入れる、南潟隊。


 そして、隊が動き出そうとした、その時。


 最右翼にいた若い衛兵は、初めての戦闘の恐怖で怯えつつも、なんとか自分を奮い立たせ、足を前に出そうとした。


 ぱき。


 右から枯れ枝を踏み折ったような音が聞こえる。


 なんだ?と横を向く、若い衛兵。


 そこには、巨大な戦斧を構えた熊のような大男が、不敵な笑みを浮かべて、こちらに向かって歩いてきている……。


 あまりに突然のことで、頭が働かない。


 周りも数人が気付き、唖然とする中、悠然と歩いてきた大男が告げた。


「わるいねえ。死んでくれやあ!」


 振り下ろされる巨大な戦斧。


 何かが頭に当たる衝撃。


 若い衛兵の記憶はそこで途切れた。


「うわああ、賊の奇襲だああ」


 それを見た周囲の衛兵は、慌てて応対しようと備えかけるが、どこから現れたのか、多数の黒棘の兵が押し寄せ始め、最右翼は応戦もままならず飲み込まれていった。


「ん? 右の方が騒がしいな」


 ユルゲンは、前進を開始してすぐの右側の喧騒を訝しみつつも、森での行軍に慣れていない部下の一部に何かあったのかもしれん、とそちらに目を向ける。


 そこには、見知らぬ一隊、いや、あれは多数の敵兵、黒棘の強襲部隊だと瞬時に理解した。


 理解はしたが、疑問の方が大きい。


 なぜ?


 俺は言われた通りにやった。


 前進をできる限り止め、矢が止まったときにこそ前進する。


 取引相手のピリムの言うとおりにだ。


 そうすれば、報酬と、一応、南潟隊には大きな被害は出さないとの約束だったはず。


「何故だ……」


 声に出た。


「ああん?」


 気が付けば、熊のような大男が、巨大な戦斧を構えて目の前に立っている。


 振り下ろされる、戦斧。


「え? 待て! 俺だ! 俺だぞ! ユルゲンだ! ぴ――」


 ユルゲンはそれ以上続けることができなかった。


「知らねえなぁ」


 ドランは、ユルゲンとやらの頭を叩き割り、次の得物へ向かうべく、隊に告げる。


「お前ら! 遠慮すんじゃねーぞ!! 食いつくせ!!!」


 南潟隊は、あっという間に大混乱に陥った。


 前進しようと盾を前に構えていたところを側面からの強襲をまともに食らい、被害は甚大だった。


 ユルゲンからの追加の指示もなく、副官は早めに倒れ、大勢の黒棘の兵に蹂躙されている。


「ひぃ……やめ」


「うわああああ」


 もはや戦いではなかった。


 右翼は既に崩壊していた。


 逃げる者、立ち尽くす者、応戦しようとして複数人に囲まれ倒れる者。


「よおし、このまま、敵中央まで一気に駆けるぞぉ!」


 うおお、と黒棘の兵たちが気勢を上げ右翼を蹴散らしながら中央へ駆けていく。



「ヘンドリック隊長! 右から賊が!!」


 伝令が慌てた様子で駆け込んでくる。


「賊など、右翼で受け止めろ!!」


 ヘンドリックは、前を見たまま伝令へ目もくれずに吐き捨てる。


「そ、それが……。 既にその賊により、右翼の南潟隊は崩壊、ユルゲン所長も討ち取られたとの報告も……」


 ヘンドリックの動きが止まる。


「なんだと? もう一度言ってみてくれ、よく理解できんかった」


「は、はい。 右翼は既に崩壊。 ユルゲン所長も討ち死にされております」


 ヘンドリックは持っていた杖を落とす。


「馬鹿な……。何がどこでそうなった」


 副官が駆け込んできて新たに告げる。


「再編を急がせておりましたが、右翼を飲み込んだ敵多数が中央にとりついてきております」


 副官の顔は、もう諦めた者がする表情になっている。


「ここまでかと。 まだ中央および左翼の兵が残っているうちに、ここは撤退に移るべきかと進言します」


 さすがに撤退の指示は副官では出せない。


「殿は私と西潟隊で受け持ちます」


 言った後、副官は唇を噛みしめながらヘンドリックを見つめている。


「ならん……」


「はい? 今なんと? 申し訳ございません。 お声が小さく聞き取れず……」


「撤退はならん!! 押し返せ!!」


 ヘンドリックの目は据わっていた。


「下がることは許さん! 絶対にだ!!」


 副官は顔を伏せ、伝令も目を閉じ、その言葉をただ浴びるしかできなかった。



 左翼は、比較的に賊の攻勢が緩く、矢による威嚇のような攻撃こそ止まることなくあれど、一度崩れかけた隊列はなんとか整い、まだ隊を成していた。


「おい、今度は中央まで、なんか騒がしいぜ?」


 ブルーノが中央側に厳しい視線を向けている。


「ああ、状況が分からんが右翼が崩れている……」


 ガレスも中央方面に目を向けつつ、南潟隊の旗が倒れ、中央に吸い込まれていく様を苦々しく見つめている。


「黒棘の強襲をまともに受けたのかもしれん」


 エルヴィンは、後方を気にしつつ会話に参加した。


「中央へ支援を出しますか?」


 北潟隊の班長の一人が聞いてきた。


 悩ましいところだ。


 要請されたわけでもなく、かといって、尋常な様子でもない。


 というか、所属は違えど班長の方が指揮系統では上のはずなのだが、ガレスやブルーノ、それにエルヴィンも、僕にいろいろと気を使って報告をあげてくるものだから、何か勘違いされているような気がする。


 本来なら、僕に聞くことではない。


 けれど、ガレスたちが僕を見るせいで、班長まで迷ったようにこちらを見ていた。


 ガレスは何も言わないが「出すべき」という顔をしている。


 エルヴィンは……よくわからない。


 ブルーノは、特に興味はなさそうだ。


 左翼は、何とか立て直して崩れていない。


 ガレスが声を張り、ブルーノが敵を叩き、北潟隊の残った者たちが、どうにか盾を並べている。


 けれど、右が崩れた。


 南潟隊の旗が揺れ、倒れ、その向こうから黒棘の兵が雪崩れ込んできているように見える。


 中央では、前衛だった近隣都市兵の後退と、右から押し込まれた南潟隊がぶつかり合っていた。


 ヘンドリック衛兵隊長の怒号は、まだ聞こえる。


 でも、その声に従って動ける隊は、もうほとんど残っていなかった。


 討伐隊は、まだ全滅してはいない。


 けれど、既に軍とは呼べなくなり始めていた。


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