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エルダニア大戦記  作者: 志摩 伊純
第1章:黒棘野盗団討伐戦

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第12話 矢雨の森


 ガレスに頭を押さえつけられ、僕は地面に伏せた。


「うぐ」


 湿った土の匂いが近い。


 危なく舌を噛みそうになるも、なんとか堪えて伏せたまま様子をうかがう。


 その瞬間、僕の頭のすぐ上を、二本目の矢が通り過ぎる。


 空気を裂く、細い音が近くからも、遠くからも鳴り響いていた。


「頭を上げるな!!」


 ガレスが身を低く構えながら、森の奥をにらみつける。


「どこから撃たれてるんですかぁ」


 後ろのニルスも低く伏せたまま、泣きそうな声をあげる。


 前方では叫び声があがり、遠くではヘンドリック衛兵隊長らしき怒号も聞こえる。


「ブルーノ、右だ」


 ガレスが短く伝え、さらに続ける。


「ニルスは、そのままアズールの後ろにいろ」


 横の北潟隊も、本部隊も混乱しているようで、隊列が乱れ始めている。


「まずいな、敵が見えん」


 エルヴィンは油断なく周囲を見回している。


「くそっ! どこだ、出てきやがれ!」


 ブルーノが飛び出しそうな勢いで立ち上がりかけ、ガレスがその肩を抑え止める。


「ブルーノ、まだ前に出るな!」


「だがよぉ!!」


「見えない相手を殴りに行くな。アズールを危険にさらす気か」


「ちぃ、わあったよ!! アズールまだ動くんじゃねーぞ」


 ブルーノは不満そうだが、僕の近くへ寄る。


 矢の音は止まない。数こそ多くはないが、前方だけではなく、左右のどこかからも射られているように感じた。


 前方の近隣都市衛兵隊は、突然の矢による襲撃で数名が倒れ、左翼の北潟隊は副官クラスの一人が射られたようで、大騒ぎしている。


 中央のヘンドリック衛兵隊長は、護衛に守られながら何か大声で叫び、混乱はますます広がっていく。


 戦いはまだ始まったばかりだった。



 森の奥で、ドランは薄く笑う。


「当たったかぁ」


 問いかけではなかった。


 前方から上がった悲鳴と、枝葉の向こうで乱れる旗を見れば、それだけで十分だ。


「ええ、当たったようです。ですが、まだ崩れてはいないようですなぁ」


 隣でピリムが顎をなでながら静かに答える。


 ドランは肩を鳴らし、巨大な戦斧を担ぎなおす。


「なら、次だ。前を割るぞ」


「いえ、まだ早いかと」


 ピリムの声は低かったが、不思議とよく通った。


「今、前を割れば、敵は後ろへ逃げるでしょう。もう少し引きつけるのがよろしいかと」


 訝しむようにドランはピリムをにらむ。


「逃げ道が残っておりますので。まだドラン殿の出番ではありません」


「逃げ道を塞ぐまで待てってかぁ?」


「ええ。あれは既に軍ではありません。旗の寄せ集めです。前が詰まり、後ろが押せば、勝手に潰れます」


「全部読めてるのか」


「まさか。読めないから、逃げ道を減らすんです。狩りと同じですよ」


 ドランは鼻で笑った。


「性格の悪いやつだなぁ」


「褒め言葉として受け取っておきます」


 ピリムは小さく口を歪めながら前方を見つめていた。



 討伐隊の前方、近隣都市衛兵隊は大混乱していた。


 盾を構え、その場でひたすら耐えようとする者。


 伏せて頭を抱え、震えるしかできない者。


 背を向け、後ろへ走り出そうとして矢に射られて倒れ込む者。


 隊長を探し、叫びながら別の兵とぶつかる者。


 同じ討伐隊のはずなのに、逃げる方向も、守ろうとする旗も、聞こうとする声も違っていた。


「密集しすぎだ」


 ガレスは前方を見ながら低く構える。


「ああ、これでは、避ける場所がない」


 答えるエルヴィンは低く構え、後ろを見ている。


「ガレス! どうするよぉ!!」


 ブルーノは近くに飛んできた矢を大棍棒で払いながら大声で叫ぶ。


「いったん、耐え凌ぐしかあるまい!」


 前方へ伝令が走っている様子は見えているが、こちら側には特別指示がなく、頭を上げれば矢が飛んでくるので、下手に動くこともできない。


「ニルスは大丈夫?!」


 僕は、後ろで震えているニルスが心配で声をかける。


「大丈夫じゃないですぅ……」


 どこか怪我でも?!と思い、見回してみるが、怯えてはいるけれど大丈夫なようで少しだけ息を吐く。


「賊は前方に矢を集中しているきらいがある。 いったんヘンドリック衛兵隊長に進言し、左翼が前に出て相手の弓兵を抑える許可をいただいてこい!」


 隣の北潟隊の所長が叫び、部下へ指示する声が聞こえてきた。


 たしかに、僕たちの位置から見る限り、少なくとも賊は前方に矢を集中しているように見える。


「悪くない判断だ」


 エルヴィンが小さくこぼす。


「んな、まどろっこしいことしてねえで、今行けばいいじゃねえか!」


 ブルーノは飛び出さんばかりの勢いだ。


「だめだよ! いざとなれば別だけど、まだその時じゃない」


 一応、近隣都市衛兵隊が先陣を取ることになっており、勝手に動くことは厳しく禁止されていた。


「なんだよ、そんなこと言ってる場合かぁ?」


 僕もそう思いはするのだが、下手に動いて余計混乱させてもまずい。


「ああ、俺もそう思いはするが……」


 ガレスは、命令と現実に悩んでいる顔だ。


「俺たちだけ前に出ても、逆に射られるだけだ」


 エルヴィンが冷静に告げる。


「ぐぉお。 わったよぉ! 北潟隊が行くときにあわせてってことだな!!」


 僕は深く頷く。


 命令は出ていないが、行くならその時だと僕は思った。


「もう少しだけ耐えるよ!!」


 低く伏せながら、その時が来るのを今少し待つ。それしか僕にはできなかった。



「怯むな! 賊は前だ!」


 ヘンドリックは護衛に守られながら指揮棒代わりの杖を振るい、唾を飛ばさん勢いで声を張り上げていた。


「進め、進め! 押し進むのだ!!」


 前方の近隣都市衛兵隊は、伏せる者、後退する者が続出しており、そこへ中央の部隊が背を押すように前進してくるため、前衛は身動きが取れなくなっていた。


「隊長、いったん中央は下げるべきです! 前方の退く場が!」


 スタッツ副隊長は兵站のため荷置き場に残っている。


 そのため、本部に残っていた別の副官が、ヘンドリック衛兵隊長へ進言した。


「ええい、うるさい!! 森を抜ければ根城は近い!」


 ヘンドリックは、目を血走らせながら杖を振るう。


「押し切ればよい! 進め! 進むのだぁ!!!」


 退けば、港都本隊を待たずに出た責任が、すべて自分に返ってくる。


 だから、退けなかった。


 副官は、ぐっと唇を噛みしめ、近くの部下を呼び出す。


「中央先団の――」


 副官が何かを言いかけた時に、北潟隊の伝令が本部に駆け込んできた。


「失礼いたします! 北潟隊です。 北潟隊は前進し、敵弓兵隊に圧を掛けたいと思いますが、よろしいでしょうか!」


 開口一番、必要なことだけを告げる。


 副官が、頷きかけたとき、怒号が聞こえた。


「ええい! なぜ今頃そのようなことを言っておる!! 早く前進し、押しに押しまくるのだ!!!」


 ヘンドリックは持っていた杖を伝令へ投げつけ、それでもまだ興奮が収まらないのか、手を振り上げている。


「お待ちください! 左翼はいったん待機と命じたのは隊長です!」


 副官は、さすがにこれは見過ごせないと反論するも、ヘンドリックは余計に興奮するだけで、耳を貸さない。


「うるさい! いいから早く行け!! 押して押して押しまくるのだ!!!」


 杖を投げられた伝令は、ヘンドリックへ顔を向けることなく一礼し、そのまま隊へ戻っていく。


「ええい! 右翼は何をやっておる!! ユルゲンへ改めて前へ出ろと使いを出せ!!」


 その背中を見つめる副官が誰にも聞こえない声で小さくつぶやく。


「クラウス副隊長が生きていれば……」


 その声は戦場の喧騒の中に静かに流されていった。



「敵は前に出てきます」


 木の影から戻った男が、息を潜めたまま報告した。


 ピリムは、わずかに目を細める。


「やはり、下がりませんか」


「ははは、威勢がいいじゃねえか」


 ドランは嬉しそうに口を歪めて笑った。


「矢を受けて前に出るなら、狩り放題だぞ」


「ええ。ただし、ドラン殿が出るのはまだ先です」


「まだお預けかぁ?」


「まだです。頭が出るまで、胴を叩きます」


「頭だぁ?」


「指揮官です。命令を出す者が声を張れば、兵はそこを見るものです。そこへ矢を集めれば、あとは勝手に乱れますでしょうな」


 ドランは戦斧を下ろし、面白くなさそうな顔でピリムをにらむ。


「お前の作戦だ。 疑ってはいねえが面白くはねえなぁ」


「大丈夫です。 ちゃんとドラン殿の出番は考えておりますゆえ」


 ピリムは顎を撫でながら衛兵隊の右翼がいるであろう位置に目を向ける。


「今少しだけ。 もうじきにその時は来ますのでな」


 ドランは面白くなさそうに、その場にどすんと座り込み水袋に口をつける。


「んじゃ、その時とやらを待つとするかねえ」


 ピリムにも、すべてが見えているわけではないのだが、見えているところだけを、確実に締めている。


 そして、それは今のところ成功しているように見えた。



 荷置き場のスタッツは、束の間の休憩を入れていた。


「そろそろ、賊討伐は始まっているころですかねえ?」


 一部の兵站担当は前線への補給で出払っているが、多くの者は疲れた顔で座り込んでいる。


「時間通りであれば、そういう頃合いかと」


「負けることはないと思いますが……大きな被害は出るかもしれませんねえ」


 ヘンドリックの顔を思い浮かべながら、スタッツは肩を落とした。


「ヘンドリック隊長は、戦経験は豊富なんでしょうか?」


 別の衛兵が、近寄ってきてスタッツへ問いかける。


「さあ……。 私はずっとヴェルカでの事務仕事でしたからねえ」


 スタッツは、一息つくように水袋に口をつけて、さらに続けた。


「数年前に港都から来られた、というのは書面で見ましたけどね」


 衛兵の一人が、「オーレリアン様の親族だとか、何か問題を起こしてヴェルカへ来たとか、そんな噂もありましたね」と、声を潜めた。


「あまり本人のいないところでの噂話は感心しませんね」


 スタッツはぱんぱんと手を叩き、「次の荷の準備を再開しますよ」と休憩の終わりを告げる。


 荷置き場には、まだ矢の音は届いていなかった。



 最右翼にいるユルゲンは部下たちに守勢を取らせ、何とか賊の攻撃を凌いでいた。


「所長! ヘンドリック隊長から前進せよと、矢のような督促がずっときておりますが……」


 副官が、どうしましょう、といった顔でユルゲンへ告げた。


「ああ、まさに矢が雨あられだ。 賊の矢も、無限ではないだろう。 矢が止めば前進するさ」


 南潟隊は、当初、前衛の近隣都市衛兵隊に続いて前進する予定であった。


「しかし……。 良いのでしょうか」


「仕方ないだろう? 矢が雨のように降ってきてるんだぞ」


 右翼は前衛に次ぐか、同じくらい矢が射られており、盾を構えていなければあっという間に針鼠のようになってしまう状況だ。


「そうではありますが……。 盾を前に前進は可能だと思います」


 副官は納得がいっていないのか食い下がる。


「馬鹿野郎。 俺は南潟隊の命を預かってるんだぞ。 そんな無茶な命令を出せるかよ」


 ユルゲンは諭すように、優しく副官へ告げる。


「こんなところで、無駄に怪我人、ましてや死人を出すわけにはいかん」


 盾を構え、隙間から前方を覗く。


「所長……」


 副官は何か感じ入るところがあったのか、深く頷いた。


「では、矢が落ち着き次第、前進と各班に伝えてきます」


 盾を深く構え、矢に注意を向けながら、ゆっくりと副官が去っていく。


「矢が落ち着いたときが勝負所だねえ……」


 ユルゲンは前方を眺めながら目を細めていた。



 左翼の北潟隊の伝令が、本部から戻ってきていた。


「ヘンドリック隊長は、早く前進せよとの仰せでした」


 伝令は北潟所長へ報告をあげる。


「よし、我々北潟隊は、これより前進し、敵弓隊に圧を掛けるぞ」


 北潟隊の一同は声をあげずに深く頷く。


 そして、前進を開始しようとしたそのとき、それは起こった。


 空気を切り裂く、短い音。


 これまでより近い距離で、ひゅん、と鳴ったかと思うと、北潟隊の衛兵の一名が「あっ」と漏らし、倒れた。


「ぐっ! 何事だ! 盾を深く構えよ!!」


「賊が我々の左側面に!!」


 北潟隊のさらに左側に回り込んでいた賊の別動隊だ。


「回り込まれているだと!」


 最悪のタイミングでの攻撃だ。


 賊の数は多くはないのか、矢の量は多いとは言えない。


 それでも的確に衛兵を狙ってきており、一人、また一人と負傷者が発生している。


 前進に向けて盾を前面に展開していた北潟隊は、予想外の賊の攻撃に足が止まる。


「く、これはいかん! 数はそれほどでもない! いったん側面を先に――」


 それ以上、北潟隊の所長は言葉を続けることができなかった。


「しょ、所長!!!」


 どす、っと音を立てて倒れ伏す所長。


 慌てて近くの衛兵が抱え起こすも、頭に深く矢が突き刺さった所長は即死している。


「うわあ、所長おおお」


 比較的、統率が保たれていた北潟隊も急激に崩れ始めていた。



「北潟隊の様子が変だぞ」


 北潟隊は、僕たちのすぐ左にいる。


 ガレスが何かに気づいたように、左に展開している北潟隊の方へ目を向ける。


「何か混乱が生じているな」


 エルヴィンもガレスの言葉に左に目を向け、北潟隊の異常を確認した。

 

「あぁ。 左からなんかぷんぷん匂ってくるぜ」


 ブルーノは、その野性的な勘で何かを感じ取っている。


 前からは矢が来る。


 横からも声がする。


 至るところで、誰かが押すなと叫んでいた。


 進めない。


 下がれない。


 でも、敵は見えない。


 それなのに、矢だけが増えていく。


 僕はその時、ようやく分かった。


 これは、戦いが始まったのではない。


 もう、罠が閉じ始めているのだと。


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