トラベラー・ブラント
-薬屋フルブラント-
薄暗い店内、天秤や顕微鏡が雑然と置かれたカウンターの向こうで、店主のブラントはちょっとした旅に出掛けていた。
口端にくわえる、アメリア新聞で巻いた煙草。くゆらせる紫煙に酔いしれる双眸に焦点はない。ただ、自作の桃源郷とカウンターを往ったり来たり。
ここ30秒程の膠着状態に痺れを切らした京子が雷の脇腹を肘で突っついた。
「なぁブラント、本当に知らないのか?」
3度目の質問だ。
「……ん?あぁ悪い、質問の途中だったな」
ブラントの口がゆっくりと笑みに歪んだ。
裏の情報屋『トラベラー・ブラント』。海賊の間では非合法ドラッグと情報の取引で有名だ。
「そこの娘が有名な王女様かい?」
薬漬けの脳味噌でも情報だけは逃さないらしい。
雷は軽く肩を竦めるだけで流した。
「質問しているのはこっちだぜ」
ブラントは大きく煙を吸い込み、一息に吐き尽す。
「いやだねぇ、せっかちは。時の流れはゆるやかに、ゆるやかに……」
雷は息を詰めた。
「おい、それをどこで!?」
『時の流れはゆるやかに、ゆるやかに、往きつ戻りつただ廻る……』
翔龍姫に残された、龍皇の航跡データ。その序文だ。
しかし、序文、と言うよりもそこしか読めないのだ。それ以降、意味不明な文字、数字がランダムに並ぶばかり。それを解読する鍵が何かもう一つ必要なのだ。
それにしても……ブラントが何故。
「おいおい、なめてもらっちゃ困るぜ。俺は情報屋だ……それに……」
「それに……?」
問掛けるが、ブラントの焦点が流れだす。また、旅に出たようだ。
「この……」
すると、京子が拳を固めてカウンターへ。
「起きろ廃人!!」
煙草を奪い、固めた拳をブラントの左頬へ。
「がはっ!!」
薬棚へ退け反った。
「あたしらのんびりしてらんないのよ!!」
ブラントの目は見事に裏返っていた。
「京子……気絶しちまったぞ」
京子はきっと視線を雷へ。
「雷、水持ってきて!」
「へいへい……」
店の奥でバケツに水を満たす。それをブラントにかけようとする雷を京子が止めた。
「……かけるんじゃないのかよ」
「手が痛いから冷やすんだってば!」
彼女は拳を水に突っ込んだ。
「まったく、呆れたよ……」
大量の冷水の感覚に、ブラントは意識を回復した。
「おい、起きたかい?」
2、3首を振る。
「……水?くそ、ヤクが台無しだ」
自分の体についての抗議を申し立てるより、麻薬の苦情を言う辺りはたいしたものである。
「それがどうしたってのよ。あたしなんか手が腫れ上がったのよ」
京子の、いわゆる逆ギレだ。思わず雷は苦笑する。
「猛獣管理を怠ったのは謝るよ。それで……」
しかし、ブラントは顎をさすりつつも笑みを見せていた。
「中々勇ましいお姫さまだ。気に入った。ヤクのことは忘れてやる。ただし、それ相応の交換情報もくれるんだろうな?」
「勿論」
言って雷はポケットよりディスクを抜き出した。
「カイト・オルゲンの視察スケジュールだ。入手先は……」
「ふん、シュッテガルドか。いいねぇ、申し分ない。頭がはっきりしてきた所だ。話の続きといくか」
「手早くね」
京子が睨みつけた。
「そりゃぁ、出来得る限り早く話すさ」
さすがのブラントも、顎に手を当て僅かに身を引いた。
「で……さっきの言葉なんだけど……」
「俺は情報屋だ、フェスト騎士団の任官式を知ってて当たり前だろ」
「……任官式?」
雷は唖然と口を開けた。
「何の関係が?」
今度はブラントが唖然と口を開く番だった。
「お前、本当にフェストの騎士か?」
その言葉には雷の誇りが反応した。
「騎士だ。任官を受けたのは火星だけど、陛下からの推薦書もあったんだ」
「なるほどね……」
ブラントそれで得心がいった。
「なら、知らなくて当然か。フェスト本星での由緒正しき任官式。その忠誠の儀の序文として読まれるのが……『時の流れはゆるやかに、ゆるやかに、往きつ戻りつただ廻る……』だ。さすがに続きは知らんがね」
「へぇ……」
雷はただ単純に感心した。いや、心の奥に流れるフェストの城。その白亜の城に囲われた数々の広間。その中の一つ、フェスト八百万の神のうち、戦いの神ナリアを祭る騎士神殿……その中で執り行われた任官式に想いをはせる雷は、己の果たせなかった儀式に強い憧れを抱いていた。
そんな雷の反応を無視して、ブラントは話を続けた。
「こいつの本当の意味は知らんがね。さて、お望みの情報は何だ?」
そうだ、というように雷は表情を変えた。
「これなんだけどさ」
差し出すディスク。
「これを読めるようにしたいんだ」
ブラントは眉を顰め、そのディスクを端末に差し込んだ。
「ちょっと待ってな」
ブラントはディスクを開く。無意味な数列と、見たこともない文字が羅列する。
「解読したいデータの一部なんだけど、まるで意味分かんなくてさ」
「黙ってろ」
ブラントは何やら集中したようだ。
雷は京子を振り返り、軽く肩を竦めた。
「……ち、こいつぁ何だよ。手元の変換ソフトが全滅だ」
「メリー・ベリーのビリガンも同じこと言ったよ」
「ビリガンだと!?」
Jcメリー・ベリーのビリガン。その道で知られた裏プログラマーだ。
「ふざけるなよ!俺に解ける訳ないだろ!!」
「ビリガンがブラントなら妙なソフト持ってるかもしれない、って言ってたしさ」
「俺は情報屋だ」
雷が笑みを見せた。
「そう、だから、情報をもらいに来た」




