第6話「魔王城、整備不良」
「なぜ我が名を知っている!」
ヴァルドの手は、まだ背の魔剣にかかったままだった。
グレンはその巨体を見上げる。
「お前が来た日の西街道、百メートル消えたからな」
「……」
ヴァルドの手が止まった。
「我が名を知った理由が、それか?」
「他に何がある」
「我は四天王ヴァルドだぞ」
「知ってる。報告書に書いてあった」
ヴァルドの眉間に皺が寄った。
グレンは構わず続ける。
「何で何度も王都へ来る」
「魔王様がお望みだからだ」
「何のために」
ヴァルドが黙った。
答えは出なかった。
「お前も知らんのか」
「……我らには、魔王様の御意思に従う役目がある」
「そうか」
グレンはあっさり頷いた。
「じゃあ魔王本人に聞く」
「会わせると思うか」
「思ってない」
ヴァルドが止まった。
「……何?」
「駄目なら帰る」
それだけだった。
ヴァルドはしばらくグレンを睨んでいたが、やがて門兵へ顎を向けた。
「外へ出せ」
「はっ!」
グレンは素直に踵を返した。
本当に帰る。
門兵が後を追う。
「工具を返す」
グレンは差し出された工具袋を受け取った。
「全部あるな」
「ある!」
中を軽く確かめる。
金槌。
測定具。
下げ振り。
楔。
補修材。
問題ない。
その時だった。
ガコン――。
重い金属音が城内に響いた。
続けて、奥から魔族兵が走ってくる。
「ヴァルド様!」
「何だ」
「また昇降機が止まりました!」
グレンの足が止まった。
「また?」
ヴァルドが嫌そうな顔をする。
グレンが兵を見る。
「前はいつだ」
「……昨日です」
「昨日?」
「今朝も一度」
「今朝も?」
ヴァルドが兵を睨んだ。
「余計なことを言うな」
「しかし事実です!」
「そういうことではない!」
グレンは通路の奥を見る。
「どこだ」
「帰るのではなかったのか」
ヴァルドが低く言った。
「帰るよ」
「なら聞くな」
「気になっただけだ」
「気にするな!」
門兵に促され、グレンは再び歩き出した。
十歩も進まないうちに、別の声が響く。
「負傷兵を上へ運べ!」
「昇降機は使えません!」
「階段へ回せ!」
担架を抱えた兵たちが通路を横切った。
その後ろでは、大きな木箱を積んだ荷車が止まっている。
グレンは一度だけ振り返った。
通路の先に、大型の昇降機が見えた。
上下階を結ぶ巨大な昇降箱。
扉は半開き。
箱そのものが、わずかに右へ傾いている。
グレンは目を細めた。
「外へ出せと言ったはずだ」
「ああ」
それ以上近づかず、再び歩く。
背後では担架が階段へ回された。
木箱も兵たちが手で運び始める。
上から降りてきた兵とぶつかり、階段の下で人と荷物が詰まった。
「負傷兵を先に通せ!」
「物資班は待て!」
「上からも降りてきます!」
グレンが振り返る。
「担架を先に上げろ。荷物は壁へ寄せろ」
兵がヴァルドを見る。
「……やれ」
「はっ!」
人の流れが少しだけ動いた。
グレンはそれを確認すると、また出口へ向いた。
「直さなくていいんだな?」
ヴァルドは答えない。
「じゃあ帰るぞ」
さらに歩く。
五歩。
六歩。
「……待て」
グレンが止まった。
振り返る。
ヴァルドが非常に不本意そうな顔をしていた。
「直せるのか」
「見てみないと分からん」
「さっき見ただろう」
「遠くからな」
グレンは昇降機へ戻った。
「触るぞ」
ヴァルドは一瞬迷い、無言で頷いた。
近くで見ると、状態はさらに悪かった。
箱を支える案内部が片側だけ沈んでいる。
そのせいで昇降箱が傾き、上部の金具が枠へ擦れていた。
操作盤には赤い魔石が灯っている。
グレンがしゃがみ込む。
「これ、動かないんじゃない」
「何?」
「止められてる」
ヴァルドが眉を寄せる。
「同じことではないのか」
「違う」
グレンは赤い魔石を指した。
「安全装置が働いてる。傾いたまま動かないように止めてるんだ」
「では故障していないのか」
「故障してる。止めてる方は正常だ」
グレンは案内部へ視線を落とす。
削れた跡。
ずれた接合部。
何度も無理に動かした痕跡。
「これ、止まるたびに再起動してたな」
魔族兵が頷いた。
「動くこともありますので」
「やめろ」
「なぜだ」
「止まる理由を直さず動かすな」
指で摩耗部分をなぞる。
「……これ、いつから削れてる」
兵が目を逸らした。
「三年ほど前からです」
グレンが顔を上げる。
「三年?」
「はい」
グレンは削れた案内部を見た。
「……昨日も今朝も止まって、三年これか」
誰も答えない。
グレンは周囲を見る。
「交換部品は」
「ない」
「予備も?」
「ない」
グレンは再び案内部へ触れた。
欠けた部材はない。
削れた金属も、歪んだ接合部も残っている。
構造情報も読める。
「部材は残ってる。ならいける」
ヴァルドが一歩近づいた。
「直せるのか」
「多分な」
グレンは沈んだ案内部へ手を置く。
「《完全修復》」
沈んでいた案内部が持ち上がる。
削れていた金属面が滑らかに戻り、歪んだ接合部が正しい位置へ収まった。
傾いていた昇降箱がゆっくり水平になる。
赤く光っていた魔石が消えた。
代わりに青い光が灯る。
魔族兵が声を上げる。
「動きます!」
「まだ動かすな」
兵の手が止まった。
ヴァルドがグレンを見る。
「直ったのではないのか」
「直した後に確認するんだよ」
「そこまでやるのか」
「やる」
グレンは操作盤を指した。
「まず空で一往復」
「物資を積めば一度で済む」
「空でやれ」
兵が操作する。
昇降箱が上がる。
止まる。
下がる。
異音はない。
グレンは停止位置を確かめた。
「次、半分積め」
木箱が運び込まれる。
ヴァルドが箱を見る。
「全部では駄目なのか」
「半分だ」
「なぜだ」
「荷重かけて確認する」
再び一往復。
問題なし。
今度は魔族兵たちも、戻ってくる箱を黙って見ていた。
停止位置にぴたりと収まる。
一人が頷く。
「よし! 負傷兵と物資を乗せろ!」
「待て」
全員が止まった。
ヴァルドのこめかみが動く。
「今度は何だ」
グレンが昇降箱を見る。
「積載量は?」
「決まっておらん」
「何人まで乗せてる」
魔族兵たちが顔を見合わせた。
一人が答える。
「入るだけだ」
グレンがそちらを見る。
昇降箱を見る。
もう一度、兵を見る。
「……入るだけ?」
「そうだ」
魔族たちは誰も疑問に思っていない顔をしていた。
「表示は」
「ない」
「図面は」
「知らん」
沈黙。
グレンは昇降機を見上げた。
「……よく今まで生きてたな」
誰も答えなかった。
「当面、これ以上乗せるな」
グレンは昇降箱の床へ線を引く。
「人だけならここまで。荷物と一緒なら減らせ」
魔族兵の一人がヴァルドを見る。
「ヴァルド様」
ヴァルドは床に引かれた線を見る。
次に、グレンを見る。
しばらく黙ったあと、低く言った。
「……その男の言う通りにしろ」
「はっ!」
兵たちが動く。
最初に乗せられたのは負傷兵だった。
担架が二台。
付き添いの兵が二人。
グレンが人数を確認する。
「それで上げろ」
扉が閉じる。
昇降機が静かに上がっていった。
さっきまで擦れていた金具から、もう音はしない。
しばらくして、上階から声が落ちてくる。
「到着しました!」
階段の下に溜まっていた兵たちの空気が少し緩んだ。
「次の担架を!」
「物資班は道を空けろ!」
止まっていた人と荷物が、また動き始める。
グレンは昇降機が戻ってくるのを待った。
再び停止位置へ収まる。
ずれはない。
「よし」
近くにいた兵たちが、グレンを見る。
その視線は、門をくぐった時とは少し違っていた。
ヴァルドが腕を組む。
「これで済んだな」
「ああ」
その時。
一人の魔族兵が恐る恐る手を上げた。
「ヴァルド様」
「何だ」
「北塔の扉も、昨日から閉まらなくて……」
「黙れ」
別の兵が口を開いた。
「結界冷却器も――」
「一度に言うな!」
ヴァルドの声が響く。
グレンは二人を見る。
それからヴァルドを見た。
「次どこだ」
ヴァルドが固まった。
「……次?」
――第6話 魔王城、整備不良 了




