第5話「魔王城も現場です」
魔王城が見えた。
山の斜面を覆う黒い城壁。
空へ突き出した何本もの尖塔。
城の周囲には濃い魔力が漂い、遠くからでも空気が重い。
グレンは足を止めた。
恐ろしい城だった。
少なくとも、遠目には。
近づくにつれて、別のものが見えてくる。
古い中央部へ無理に継ぎ足された左右の建物。
外壁を横切る露出した配管。
同じ亀裂へ何度も重ねられた、色の違う補修材。
中央の城壁は堅牢だ。
古い石積みに狂いはない。
問題は、その後に増やした部分だった。
補修した場所のすぐ横に、新しい亀裂が走っているところもある。
グレンは魔王軍の本拠地を見上げた。
「……補修した奴、下手だな」
返事はなかった。
グレンは一人だった。
腰に剣はない。
使い込んだ工具袋と補修材を背負い、魔王城の正門へ続く道を歩いている。
怖くないわけではない。
グレンは戦えない。
《完全修復》も、死んだ自分を生き返らせることはできない。
それでも正面路を歩いた。
敵地で隠れて動くつもりはなかった。
道には新しい足跡がいくつも残っている。
魔獣のもの。
軍靴のもの。
荷車の車輪。
王都から退いたばかりだというのに、城へ入る荷車も、城から出ていく荷車もある。
魔王軍は止まっていない。
「止まれ!」
正門まであと二十歩。
城壁の陰から魔族の兵が現れた。
六人。
左右から伸びた槍が、グレンの前で交差する。
グレンは止まった。
「何者だ」
「王国復旧局、現場主任グレン・メイソン」
槍は下がらなかった。
「……何局だ?」
「お前らが壊した後を直してるところだ」
魔族たちが黙った。
先頭の門兵が眉を寄せる。
「何をしに来た」
「何で何度も王都へ来るのか、聞きに来た」
「誰に」
「責任者」
「使者の証は」
「ない」
「同行者は」
「いない」
門兵がグレンの背後を見る。
何もない道が、山の下まで続いている。
「一人で来たのか」
「大勢で来たら、お前らも話を聞く前に攻撃するだろ」
誰も否定しなかった。
「武器を捨てろ」
「持ってない」
「腰の物は何だ」
「工具だ」
「地面に置け。ゆっくりだ」
グレンは工具袋を外し、足元へ置いた。
門兵の一人が槍を向けたまま近づく。
袋から出てきたのは、金槌、測定具、下げ振り、楔、補修材。それに簡易図面を書くための紙だった。
門兵が一つずつ確かめる。
下げ振りを持ち上げた。
糸の先で金属の錘が揺れる。
「これは何だ」
「傾きを見る」
門兵が正門を見る。
「見なくても傾いているぞ」
「どれだけ傾いてるかを見るんだよ」
「……そうか」
「なぜ敵の城へ工具を持ってくる」
「現場に道具を持たずに来る奴がいるか」
「ここは戦場だ」
「城だろ」
門兵は魔王城を見上げた。
それから、もう一度工具を見る。
「預かる」
「壊すなよ。自前だ」
「黙れ」
先頭の門兵が部下へ顔を向けた。
「上へ知らせろ。人間を一人確保したとな」
「捕まってない」
「槍を向けられているだろう!」
「案内されてるだけだ」
「黙れ!」
一人が城壁脇の詰め所へ走る。
残った門兵たちは、グレンの前後左右を囲んだ。
拘束はしない。
だが、少しでも妙な動きをすれば、五本の槍が一斉に突き出される距離だった。
先頭の門兵が顎で正門を示す。
「歩け」
正門は、黒い金属で補強された二枚扉だった。
門兵二人が左右の操作輪を回す。
鎖が巻き上がり、重い扉が内側へ動き始めた。
途中で右側の扉が止まった。
金属同士が噛み合う音が響く。
「またか」
門兵が操作輪へ体重をかけた。
別の一人も加わる。
扉は動かない。
頭上で鎖が軋んだ。
「止めろ」
「黙っていろ」
「そのまま回したら、上の金具が外れるぞ」
門兵たちの動きが止まる。
グレンは扉を見る。
右側が少し下がり、下端が石床を擦っていた。
引かれた鎖も、本来とは違う方向へ張っている。
触れれば直せる。
だが、今は通れればいい。
「右を少し戻せ」
「何?」
「余計に噛んでる。戻してから扉の下へ楔を入れろ」
門兵が顔を見合わせた。
「従う必要はない」
「なら続けろ。金具が落ちても知らんぞ」
全員が頭上を見る。
人の胴ほどある金具が、低い音を立てて揺れていた。
先頭の門兵が操作輪を指す。
「……戻せ」
右側の扉を少し戻す。
できた隙間へ楔が打ち込まれた。
「そこで止めろ。左を先に開けろ」
左側が動く。
噛み合っていた部分が外れ、右側の扉もゆっくり開いた。
人が通れるだけの隙間ができる。
門兵たちの視線が、扉からグレンへ集まった。
「閉める前に支えを入れろ。次は下がる」
「……なぜ分かった」
「見れば分かる」
グレンは門の内側へ歩いた。
魔王城の中は、廃墟ではなかった。
負傷した兵が治療区画へ運ばれている。
損傷した武具が集められ、物資を積んだ荷車が通路を行き交う。
中庭では次の部隊が整列していた。
治療区画の前では、負傷の程度ごとに兵が分けられている。
武具を運ぶ者は、壊れた物とまだ使える物を別の荷車へ積んでいた。
中庭の部隊も、欠けた人数を別の隊から補っている。
少なくとも、考えなしに王都へ押し寄せている軍ではなかった。
「また王都へ行くのか」
グレンが聞く。
前を歩く門兵は振り返らなかった。
「魔王様がお望みだ」
「何のために」
「魔王様がお望みだからだ」
「理由は知らないのか」
「我らが知る必要はない」
「魔王から直接聞いたのか」
「四天王様より命令が下る」
グレンは門兵の横顔を見た。
隠している様子はない。
本当に、それ以上を知らないらしい。
その先で、荷車が通路の端へ寄った。
担架を運ぶ兵たちも同じように中央を避けている。
グレンは頭上を見た。
太い魔力管の継ぎ目から、青白い液体が落ちた。
床へ触れた瞬間、焼けるような音を立てて消える。
「いつから漏れてる」
「知らん」
「直さないのか」
「通れる」
グレンは門兵を見る。
「端ならな」
門兵は何も言わなかった。
全員が慣れた足取りで通路の端を歩いていく。
「この城の補修は誰がやってる」
「兵站の者だ」
「物資を運ぶ班が?」
「他に誰がやる」
グレンは継ぎ目へ重ねられた補修材を見る。
漏れた場所だけを塞ぎ、その横からまた漏れている。
「補修だけを見る奴はいないのか」
「戦えぬ者にも仕事はある」
「戦えないんじゃない。直すのが仕事の奴だ」
門兵が怪訝な顔をする。
通じていなかった。
その先には、補修板を何枚も重ねた壁。
片側だけ沈んだ床。
途中から太さの変わる配管。
城は動いている。
壊れている場所を避けながら。
「止まれ」
先頭の門兵が足を止めた。
通路の奥から、重い足音が近づいてくる。
魔族たちが一斉に道を空けた。
現れた男は、グレンより頭二つは大きかった。
傷の残る鎧。
背には巨大な魔剣。
人間が立っていることに気づいた瞬間、男の手が魔剣へ伸びた。
「人間……!」
「ヴァルド」
男の動きが止まった。
「なぜ我が名を知っている!」
「お前が来た日の西街道、百メートル消えたからな」
――第5話 魔王城も現場です 了




