第3話「今度こそ外でやります!」
翌朝。
南三番街では、昨日傾いた民家の周囲から立入禁止の縄が外されていた。
「梁からだ。壁はまだ触るな」
グレンが言うと、大工たちが一斉に動く。
昨日、二階に取り残された老人を救出した家だった。
一晩を仮の支柱で持たせ、朝から必要な石材と木材を運び込んでいる。
老人本人も、少し離れたところから作業を見ていた。
「主任」
大工の一人が声をかける。
「材料、揃いました」
「確認した」
昨日はなかった梁材も、壁を埋めるための石もある。
今ならできる。
グレンは傾いた家の柱へ手を置いた。
「《完全修復》」
軋んでいた梁が動く。
砕けた石が集まり、歪んだ柱がゆっくり元の位置へ戻っていく。
新しく運び込まれた材料が欠損部分へ組み込まれ、壁の亀裂が閉じた。
数秒後。
昨日まで隣家へ寄りかかっていた家が、まっすぐ立っていた。
大工が柱を叩く。
「問題ありません」
グレンは窓枠を見る。
「二階も確認しろ。床が戻ってても家具は別だ」
「はい!」
老人がゆっくり近づいてきた。
しばらく、元に戻った家を見上げている。
「……本当に来てくれたんだなあ」
「ああ」
老人は家からグレンへ目を移した。
「昨日、家は明日だって言ってたからなあ」
グレンは修復した柱を見上げた。
「明日って言ったからな」
老人の皺の深い顔が、ゆっくりほころんだ。
「ありがとうなあ」
「まだ入るなよ。検査が終わってない」
「分かっとるよ」
グレンはそれ以上何も言わず、次の現場へ向かおうとした。
その背中へ、老人がもう一度小さく頭を下げた。
グレンは気づかなかった。
その時だった。
カン、カン、カン――。
警鐘。
大工たちの手が止まる。
グレンも足を止めた。
隣にいたトーマが、そっと口を開く。
「主任」
「言うな」
トーマが眉を上げる。
「まだ何も言ってません」
「昨日も聞いた」
王都の通りを騎士が走っていく。
「魔王軍接近! 北西方面!」
グレンは額を押さえた。
昨日直した水路。
今日直した家。
まだ本復旧に入ったばかりの東門。
頭の中に一瞬で並ぶ。
そこへ、四人が走ってきた。
アルト。
セリア。
エリス。
そしてバルガス。
全員、装備を整えている。
アルトがグレンの前で止まった。
「大丈夫です!」
「何が」
「今回は外でやります!」
アルトは胸を張った。
グレンは無言でその顔を見る。
セリアが横から口を挟む。
「戦場は北西五キロ。王都から十分距離を取ったわ」
続いてエリスが頷いた。
「街道沿いの住民も避難済みです。騎士団にも確認していただきました」
「そうか」
最後にバルガス。
珍しく紙を持っていた。
大きな手の中で、王都周辺の図面が小さく見える。
グレンがそれを指差す。
「それは?」
「図面だ!」
「見れば分かる」
バルガスは図面を広げた。
「この線が地下水路だな?」
トーマが覗き込む。
「そうです」
バルガスは力強く頷いた。
「地下水路はもう踏まん!」
グレンが図面を見る。
「いや、今回は王都の外だから地下水路ないだろ」
「それでも念のため確認した!」
バルガスは胸を張った。
グレンは一拍置く。
「……そうか」
少なくとも反省はしているらしい。
アルトが聖剣へ手をかけた。
「それじゃ、行ってきます!」
グレンは四人を順番に見る。
「本当に外なんだな?」
アルトが頷く。
「はい!」
「王都に向けて撃たないな?」
セリアが眉を寄せる。
「当たり前でしょう」
グレンはバルガスを見る。
「地下水路は?」
バルガスが図面を掲げる。
「ない!」
「……よし」
四人が走っていく。
城門を抜け、王都の外へ消えた。
トーマがその背中を見る。
「今回は大丈夫そうですね」
グレンも遠ざかる四人を見た。
「そうだといいな」
それからしばらく。
王都は静かだった。
遠くから轟音は聞こえる。
北西の空に光も上がる。
それでも、昨日のように目の前を斬撃が走ることはない。
北塔も消えない。
広場も割れない。
地下水路も割れていない。
復旧局員たちは、ときどき城壁の外へ目を向けながら作業を続けていた。
「主任」
石材を運んでいたトーマが言う。
「ちゃんと外でやってますね」
「ああ」
グレンは東門の仮設支柱を確認する。
問題ない。
次に西街道。
昨日、荷車一台分だけ開けた道では、本復旧のために石工たちが石を並べている。
いつもの仕事だった。
いや。
久しぶりに、増えない仕事だった。
「主任!」
南三番街から声が飛ぶ。
「民家、検査終わりました!」
グレンが振り返る。
「問題は?」
「ありません!」
グレンは老人へ目を向けた。
老人は家の前に立ち、こちらを見ている。
グレンが顎を引く。
「入っていいぞ」
老人も小さく頷いた。
それだけだった。
グレンは次の確認へ向かう。
今日なら進む。
昨日壊れたものを、今日戻せる。
そのはずだった。
遠くで、ひときわ大きな音がした。
ドン――。
地面がわずかに揺れた。
トーマが足を止める。
「……大きかったですね」
グレンは北西を見る。
「五キロ離れてる」
空の向こうで黒煙が上がっている。
だが、王都へ向かってくる魔法はない。
「なら――」
城壁の上から叫び声が響いた。
「飛来物!」
グレンが顔を上げる。
「何だ!」
「北西! 大きな残骸!」
空に黒い影が見えた。
最初は小さかった。
だが、急速に大きくなる。
巨大な木材。
鉄板。
車輪。
いくつもの部品が絡み合った、攻城兵器の残骸だった。
「伏せろ!」
城壁上の兵士が叫ぶ。
残骸は王都の中心からは逸れている。
だが――。
轟音。
西外壁のすぐ外へ落下した。
地面が揺れる。
土煙が上がった。
グレンはもう走っていた。
「西外壁!」
「はい!」
トーマが続く。
「人の確認が先だ!」
「分かりました!」
現場へ着く。
残骸そのものは城壁の外に落ちていた。
兵士が駆けてくる。
「人的被害なし!」
グレンは兵士を見る。
「本当だな?」
「はい!」
それを聞いてから、グレンは城壁を見る。
表面に大きな亀裂。
その横では、倉庫の屋根材が数枚落ちている。
さらに。
グレンの視線が止まった。
西街道。
昨日、ようやく荷車を通した場所。
石畳の一部が再び沈んでいた。
トーマも気づいた。
「……主任」
「言うな」
「昨日、通したところですよね」
「言うなって言っただろ」
グレンは亀裂へしゃがむ。
昨日より被害は小さい。
だが、直す必要はある。
「城壁は亀裂止めだけ。《接合》二人」
「はい!」
「倉庫は中に人いるか!」
局員が答える。
「いません!」
「なら屋根は後。立入禁止」
トーマが街道を見る。
「街道は?」
グレンは沈んだ範囲を確認する。
「四間開ける」
トーマが少し意外そうにする。
「昨日は三間でしたよね」
「今日は資材運搬が増える」
「了解!」
「止まるな。動け!」
職人たちが散る。
残骸の一部から火が上がった。
兵士たちが消火へ向かう。
グレンは一度だけ戦場方向を見る。
遠い。
確かに遠い。
勇者たちは約束を守っている。
「主任!」
また声。
今度は中央通りから。
グレンが振り返った瞬間、空が白く光った。
北西。
遠く。
巨大な魔法同士がぶつかる。
数秒遅れて。
ゴォン――。
腹に響く音。
風が来た。
強烈な風圧が王都を抜けていく。
屋根瓦が鳴る。
仮設足場が揺れる。
「押さえろ!」
職人たちが柱へしがみつく。
積んでいた石材が崩れた。
ゴロゴロと石が転がる。
「離れろ!」
グレンが叫ぶ。
局員たちが飛び退く。
幸い、誰も下敷きにはならなかった。
風が収まる。
トーマが崩れた石材を見る。
表情が固まった。
「主任」
「今度は何だ」
トーマが石材を指差す。
「これ……昨日選別した分です」
グレンも見る。
昨日。
瓦礫から使えるものを選び、積み直した石材だった。
何個かは割れている。
いくつかは別の瓦礫の下。
グレンはしばらく黙った。
「……使えるの拾え」
「はい」
怒る暇はない。
使える石は使う。
使えないものは除ける。
いつも通りだ。
なのに。
昨日より、妙に疲れた。
夕方前。
魔王軍撤退の報せが届いた。
しばらくして、アルトたちが王都へ戻ってくる。
今回は四人とも、勝利を報告するより先に街を見た。
西外壁。
街道。
崩れた石材。
アルトの顔が引きつる。
「……壊れてます?」
グレンは報告書を書きながら答えた。
「壊れてる」
「でも俺たち、外で……」
「知ってる」
セリアが前に出る。
「五キロ離したのよ」
グレンが頷く。
「知ってる」
「計算上は、王都まで――」
「届いた」
セリアが黙る。
グレンは顔を上げた。
「計算通りにはいかないな」
セリアも壊れた街道を見る。
「……そうね」
エリスは周囲を見回した。
「怪我人は……?」
「今のところなし」
「よかった……」
エリスが胸元に手を置き、息を吐く。
バルガスが恐る恐る口を開いた。
「地下水路は?」
グレンがそちらを見る。
「今回はお前じゃない」
バルガスの顔が明るくなる。
「そうか!」
「喜ぶところじゃない」
「……そうだった」
アルトは西外壁の外に残った攻城兵器を見る。
「……あれ」
グレンが気づく。
「心当たりあるのか」
「俺が弾いたものです」
「王都に?」
「違います!」
アルトがすぐに首を振る。
「山側へ弾きました。王都とは逆です」
セリアが補足する。
「そのあと敵側の爆発に巻き込まれて、軌道が変わったの」
グレンは残骸を見る。
「つまり、誰も王都へ飛ばしてない」
アルトが頷いた。
「はい」
そして頭を下げる。
「すみません」
「謝るな」
アルトが顔を上げる。
「え?」
グレンは壊れた街道を見たまま言う。
「今回は言った通りにしたんだろ」
「はい」
「外で戦った」
「はい」
「避難もした」
「はい」
グレンは一度だけ息を吐いた。
「ならいい」
アルトは何も言えなくなった。
勇者たちは悪くない。
それは分かる。
五キロ離れた。
住民も避難させた。
攻撃も王都とは逆へ弾いた。
それでも。
グレンは壊れた西街道を見る。
壊れた。
アルトも同じ場所を見た。
「……手伝います」
グレンはアルトを見る。
「いいのか。戦った後だろ」
「俺たち、まだ動けますから」
少し間を置いて、グレンは頷いた。
「じゃあ頼む」
「はい!」
それからまた復旧が始まった。
バルガスは瓦礫を持ち上げる前に、一度足元を見るようになった。
セリアは石材を浮かせる前に、石工へ高さを確認した。
エリスは作業員の怪我を診る。
アルトは黙って石を運ぶ。
誰も文句を言わなかった。
誰も悪くない。
だから余計に困る。
日が沈み始めた頃。
グレンは仮設机の前へ座った。
目の前には二つの報告書。
昨日。
今日。
昨日の方が厚い。
今日の方が薄い。
被害は確実に減っている。
グレンは今日の報告書をめくる。
西外壁。
西街道。
倉庫。
補修用資材。
直接の人的被害はなし。
トーマが横へ立った。
「外で戦っても、駄目でしたね」
グレンは答えなかった。
遠くから金槌の音がする。
石を積む音。
馬車の車輪。
水路を流れる水の音。
昨日より被害は少ない。
勇者たちはちゃんと改善した。
復旧局も動いた。
それでも、今日の報告書はなくならなかった。
グレンはその一冊を見下ろした。
「……これ、どうすりゃいいんだ」
誰も答えなかった。
復旧作業の音だけが、王都に響いていた。
――第3話 今度こそ外でやります! 了




