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第9話 添い寝

 大浴場での極楽と地獄が入り混じるバスタイムを終え、私の体力と精神力はすでに限界を迎えていた。

 十本の柔らかい手によって全身をくまなく洗われ、危うくおっさんとしての理性が崩壊しかけたのだ。脱衣所でクレアたちによってしっかりとタオルドライされ、再びあのフリフリの洋服を着せ直された私は、ふらふらとした足取りで談話室の隅にある柔らかなクッションへ倒れ込んだ。


 外はすでに日が落ちており、窓越しに見える異世界の不気味な赤い月が、夜の訪れを告げている。見習い聖女たちもそれぞれの個室へ戻り、寮内には深い静寂が訪れていた。


「やっと、一人になれた……」


 私は大きな溜息をついた。今日一日だけで、四十二年分の羞恥心と緊張感を使い果たした気分だ。大聖女アリシアの偽装魔法のおかげでバレてはいないものの、いつボロが出るかと冷や汗の連続だった。

 目を閉じて、安堵の眠りにつこうとした、その時だった。


 気配もなく、私の目の前に小さな影がふわりと降り立った。

 薄暗闇の中で、銀色の長髪が微かな月光を反射して光っている。ルミナだ。

 彼女はいつも通りの少し眠たそうな無表情のまま、私の前にしゃがみ込んだ。

「……ルミナ、予約してた」

 ぽつりと呟いたかと思うと、夜になると極度の寂しがり屋になるようだ。私はそのまま彼女のベッドへと強制的に連行されてしまった。


 +++


 ルミナの部屋は、他の見習い聖女たちの部屋と比べてひどく殺風景だった。年頃の女の子らしい装飾品やぬいぐるみなどは一切なく、大きなベッドと簡素な机だけが部屋の中央に鎮座している。

 彼女は私を抱えたまま、迷うことなくそのベッドへと潜り込んだ。

「ミョ、ミャァー!(いや、強引にベッドインしないで!)」

 私はジタバタと短い手足を動かし、なんとかベッドから抜け出そうと試みた。十代の少女のベッドに連れ込まれるなど、おっさんとしての理性が全力で警鐘を鳴らす。しかも、大聖女アリシアからは「見習い聖女に手を出したら死より苦しい思いをさせる」と釘を刺されているのだ。

 しかし、ルミナの細い腕のどこにそんな力があるのか、彼女は私のぽっこりとしたお腹に腕を回し、抱き枕として絶対に離そうとしない。


「……いかないで」


 耳元で、震えるような声が聞こえた。

 動きを止めて彼女の顔を見上げると、無言のまま大粒の涙をポロポロとこぼし始めていた。

 月明かりに照らされたその涙を見た瞬間、私の中の必死の抵抗はピタリと止まってしまった。人情ドラマ好きの私の最大の弱点である「泣いている相手を無下にできない」という良心が、耐えきれず胸を刺すのだ。

「……一人に、しないで」

 ルミナは私の首元に顔をうずめ、自身の過去の生い立ちをぽつりぽつりと話し始めた。


「ルミナ、昔から魔法の力が強すぎたの。孤児院にいた頃、周りのみんなはルミナのこと『不吉な子』って言って、気味悪がった……」

 彼女の声は平坦だったが、その奥にある深い孤独が私の胸に直接伝わってきた。

「誰もルミナに近づかなかった。強力な魔力を持て余していたから、みんな怖がって逃げた。だから、暗くて狭い部屋に、ずっと一人で閉じ込められてたの」

 彼女の細い指が、私の背中の毛をギュッと強く掴む。その力強さが、彼女の抱えていた恐怖の大きさを物語っていた。


「夜は、すごく静かで、暗くて……自分が世界から消えちゃったみたいで、すごく怖かった。一人ぼっちは、もう嫌……」


 ルミナが、極度の寂しがり屋である理由を知った。

 化け物扱いされ、孤独な暗闇の中に閉じ込められていた過酷な過去。きっとアリシアにその力を肯定され外の世界へ連れ出されたものの、夜の静寂が彼女に過去のトラウマを呼び起こさせるのだろう。

 だから彼女は、私の体温を、生きている命の鼓動を必死に感じ取ろうとしているのだ。


 私は深く息を吐き出した。

 自分はおっさんであり、彼女を騙しているという罪悪感は消えない。

 だが、今ここで私が逃げ出せば、この傷ついた少女は再び孤独な暗闇へと引き戻されてしまう。私という小太り猫の存在が、彼女の心を少しでも癒やせるのなら、安いものだ。

 私は深く同情し、脱出を完全に諦めた。そして、彼女の震える腕の中にすっぽりと収まり、その冷たい頬に、私の温かいおでこをすり寄せた。


「ゴロゴロゴロ……」

 喉を鳴らす。私にできるのは、ただの猫として、朝まで腕の中で大人しく寄り添うことだけだ。大丈夫だ、君はもう一人じゃない。

 私の喉の震えと体温が伝わったのか、ルミナの腕の力が少しだけ緩んだ。


「……温かい。ヒロシ、すごく優しい体温」

 彼女は私の腹の肉に顔を擦り付けながら、微かに口角を上げた。それは、出会ってから私が初めて見る、彼女の心からの安堵の表情だった。

「先生が来てくれて、ルミナの魔法を褒めてくれた。そして、ヒロシも、ルミナから逃げない……」

 ゆっくりと、彼女のまぶたが閉じていく。

「……おやすみ、ヒロシ。ずっと、ずっと一緒だよ」


 やがて、ルミナの規則正しい寝息が静かに部屋に響き始めた。

 思いを吐き出した彼女は心が少し晴れたのか、気持ちよさそうに眠りについている。私の胸に顔を埋めたまま、その手はしっかりと私の体をホールドして離さない。


 私は天井の木目を見つめながら、暗闇の中でそっと息をついた。

 エルザのトラウマに触れ、そしてルミナの過酷な生い立ちを知った。彼女たちにとって、この聖女寮は単なる学校ではなく、外界の悪意から身を守るための唯一の安全な居場所なのだ。深く同情してしまった以上、私はもう彼女たちを突き放すことなどできない。


 しかし、それはそれとして。

 十代の美少女の柔らかい肌と甘い匂いに密着され、抱き枕として完全に固定されているこの状況。少しでも身じろぎすれば彼女を起こしてしまうというプレッシャーと、大聖女の警告に怯える恐怖、そしておっさんとしての理性を総動員して煩悩を抑え込む地獄の戦い。

 同情と理性の間で板挟みになった私は、結果として、その夜一睡もすることができなかったのだった。

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