第7話 着せ替え猫
数時間後。
廊下の奥から、パタパタという複数の足音が近づいてきた。授業が終わったようだ。
「ヒロシちゃーん! ただいまー!」
真っ先に談話室へ飛び込んできたのはクレアだった。その手には、何やらふんわりとした布の塊が抱えられている。
「見て見て! 家庭科の裁縫の授業を早く終わらせて、ヒロシちゃんのために特別なお洋服を縫い上げてきたの!」
彼女がバサリと広げたそれを見て、私は全身の毛を逆立てた。
それは、淡いピンク色を基調とし、首元にはこれでもかというほどの純白のレースがあしらわれた、フリフリの洋服だった。背中には大きなリボンまでついている。
冗談じゃない。四十二歳の男がこんなメルヘンチックな服を着せられるなど、尊厳の完全なる破壊だ。私は全力で後ずさりし、首を横に振った。
「ミャ、ミャァオ!」
丁重にお断りします、と鳴いたつもりだったが、私の抵抗などクレアには届かない。
「まあまあ、遠慮しないで。絶対に似合うから。ね? それともヒロシちゃんは、あたいの作ったお洋服、着てくれないの……?」
クレアは眉尻を下げ、今にも泣き出しそうな、すがるような瞳で私を見つめてきた。
その表情を見た瞬間、私の中の悲しき中間管理職の習性が発動してしまった。相手を不機嫌にさせないよう、丸く収めるための妥協。波風を立てるくらいなら、自分が泥を被ればいいという自己犠牲の精神。
「……ニャォ」
私が項垂れるように前足を差し出すと、クレアはパァッと顔を輝かせた。
「ありがとうヒロシちゃん! でもその前に、今着ている窮屈そうなこのお洋服を脱がなきゃね」
クレアのその一言が、地獄の釜の蓋を開けた。
「あ、ウチも手伝う! ほらヒロシ、バンザイして!」
ミーシャが元気よく飛びついてきて、私の両脇に腕を差し込み、グイッとスーツの上着を持ち上げた。
「ミャ、ミャァァ!?(ちょ、やめっ!?)」
四つん這いになっていた私は、バランスを崩し腹を見せるような体勢で倒れ込んだ。四十二歳のおっさんが、十代の少女にいいようにされている。羞恥心で全身の毛が逆立つ。
「ミーシャ、乱暴に扱ってはダメよ。私がシャツのボタンを外します」
エルザが几帳面な手つきで、私のよれたワイシャツのボタンを次々と外していく。
「んしょ……んしょ……脱がせる……」
ルミナが私を起こして背後から回り込み、私のスラックスの裾を引っ張って脱がそうとする。
五人の柔らかい手が肌に触れるたび、変な声が出そうになるのを必死に堪えた。
「この布地と縫製……うちの教会のものとは全く違いますね。それに、二本足で歩くことを前提に作られたようなおかしな立体裁断です。先生は一体どこでこんなものを……」
ノノが、脱がされたスーツの裏地をまじまじと観察しながら、またしても鋭い考察を呟いている。頼むから今はそっとしておいてくれ。
「ほーら、スッポンポンよ! 恥ずかしがらないで!」
完全にスーツを剥ぎ取られ、全裸状態で股間を両手で隠す私に、クレアが手際よく淡いピンク色のフリフリ洋服を被せた。
首元に純白のレースがあしらわれ、背中に巨大なリボンがキュッと結ばれていく。五人の美少女たちが「可愛い可愛い」とワチャワチャ群がり、私の体を撫で回し、完全なる着せ替え人形として弄ばれる。
私は抵抗することもできず、ただ四つん這いのまま顔を真っ赤にして、羞恥に身を震わせるしかなかった。
「あっはははは! いいじゃない! すごく似合ってるよヒロシ!」
腹を抱えて大爆笑するミーシャ。
「……ふふっ。少し派手ですが、とても愛らしいですね。聖女寮の猫にふさわしい清らかさです」
口元を手で覆いながら、エルザも頬を染めて目を細めている。
「ぷよぷよ……気持ちいい。今日の夜が楽しみ……」
ルミナは私の張り出たお腹をタプンタプンしながら、ますます抱き枕への執着を強めていた。
「さあ、お洋服の次は、とびきりのおやつをあげるわね」
クレアはさらに、可愛らしいバスケットから香ばしい匂いを漂わせるクッキーを取り出した。高級なバターと蜂蜜がふんだんに使われているのが、匂いだけで分かる見事な出来栄えだ。
「はい、あーんして?」
クレアはクッキーをつまみ、私の口元へと運んできた。
グラマーな美少女が、慈愛に満ちた笑顔で私にあーんをしてくれている。おっさんの人生において、こんなイベントは前世から来世まで探してもあり得ない奇跡だ。
私は震える口を開き、そのクッキーをサクッと齧った。
美味い。信じられないほど美味い。甘さが疲れた体に染み渡っていく。
だが、口の中に広がる至福の味わいとは裏腹に、私の心は激しい良心の呵責に切り裂かれていた。
アリシアが言っていた。彼女たちは皆、過酷な過去を背負っていると。何があったのかは聞けないが、この寮を唯一の安全な居場所として生きているようだ。
そんな純真で傷ついた少女たちの無償の愛と善意を、私は可愛いペットという嘘の仮面を被って搾取している。ダングロウドのような悪党を騙すのならいざ知らず、この子たちを騙し続けるのは、針のむしろに座るような苦痛だった。
「ヒロシさんは、お菓子を食べる時もこぼさないように上品に噛むんですね。なんだか、とても賢い顔をしています」
ふと、本から顔を上げたノノが、眼鏡の奥の瞳を光らせて呟いた。
私は心臓が跳ね上がるのを感じた。鋭い。このマイペースなオタク少女は、私の些細な仕草から何かを感じ取っているのだろうか。
私は慌てて四つん這いになり、わざとらしくニャアと猫撫で声を出しながら、クレアの膝に顔を擦り付けた。誤魔化すためには、プライドなどかなぐり捨てるしかない。
こうして、私の見習い聖女寮での生活が本格的に幕を開けた。
それは、美少女たちから全力で甘やかされる極楽でありながら、一瞬の気も抜けない、おっさんにとっての無間地獄の始まりだった。




