第6話 自己紹介
「先生。それでは第三の誓約に反してしまいます」
進み出てきたのは、ゆるふわの亜麻色の髪をした、ひときわグラマーな少女だった。優しげなタレ目が私を慈愛に満ちた光で見つめている。
「神の息吹宿る小さな命……身を削ってでも大切に育てさせていただきますわ。あたいはクレア。よろしくニャー」
クレアと名乗った彼女は、大義名分を掲げて満面の笑みを浮かべながらしゃがみ込み私の頬肉を鷲掴みにしてモミモミと感触を楽しんできた。
「一員ってことは姉妹同然っすよ! ウチはミーシャだよ! ヒロシ、よろしくな!」
続いて飛び出してきたのは、ショートカットの赤毛にそばかすが似合う活発な少女、ミーシャだ。彼女は私の前にしゃがみ込むと、躊躇なく顔を近づけて頭を撫でてきた。その無邪気な笑顔は裏表が一切なく、思わず眩しくて目を細めてしまう。
「……いいクッションになりそう」
いつの間にか私の背後に立っていたのは、銀色の長髪を持つ小柄な少女だった。眠たそうな無表情のまま、私のスーツの襟をぎゅっと掴んでいる。
「ルミナ。夜は、ルミナが予約する」
予約!? 何の!? おっさんと添い寝でもする気か!? 私は内心で激しくツッコミを入れたが、彼女は私の襟を掴んだまま離そうとしない。
「ちょっとルミナ、抜け駆けはずるいわよ。私はエルザ。よろしくね」
金髪をきっちりとポニーテールに結んだ、ツリ目の少女が進み出てきた。制服の着こなしも完璧で、いかにも風紀委員といった真面目そうな雰囲気だ。
「猫を寮内で飼うのはどうでしょう……不衛生かとは思いますが、先生がそうおっしゃるなら仕方がありません。私が責任を持って、毎日清潔に保たせてもらいます」
エルザはツンとした態度を取りつつも、その視線は私の丸みを帯びたフォルムに釘付けになっている。言葉とは裏腹に、目が完全にデレていた。
「先生のお知り合いに、猫を飼っている方がいらっしゃいましたか? えっと、僕はノノです。よろしくどうぞ」
最後に声をかけてきたのは、大きな丸眼鏡をかけたボブヘアの少女だった。自分の体より大きな本を抱えた彼女は、マイペースな口調ながらも、どこか鋭い視線で私を観察しているような気がした。
見習い聖女たちからの怒涛の自己紹介と、隠しきれない圧倒的な好意。
おっさんとして生きてきて、これほどまでに若い女性たちからチヤホヤされた経験など皆無だった。私は恐縮しっぱなしで、同時に激しい良心の呵責に苛まれていた。騙していて本当に申し訳ない。
「それじゃあ、私は仕事に戻るから。ヒロシのことは任せたわよ」
アリシアがそう言って身を翻そうとした時、ふと私のそばに屈み込んだ。
そして、生徒たちには聞こえないほどの極小の声で、私の耳元にスッと囁いた。
「いい? 私との約束を忘れないでね。もしこの子たちに手を出そうものなら……分かるわね?」
背筋が凍るような低い声。私は弾かれたように四つん這い不動の姿勢をとり、激しく何度も頷いた。
大聖女の魔法によって小太り猫へと偽装し、美少女たちに囲まれた男子禁制の聖域での生活。それは、おっさんにとって天国であると同時に、一歩間違えれば命を落としかねない、薄氷を踏むような地獄の始まりでもあったのだ。
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アリシアが足早に広間を去っていくと、入れ替わるようにして、寮内に高く澄んだ鐘の音が鳴り響いた。
「あ、いっけね! もう授業の時間だ!」
ミーシャが弾かれたように立ち上がり、慌てて修道服の埃を払う。どうやら彼女たちはこれから、聖女になるための座学や魔法の訓練に向かうらしい。
「ヒロシちゃん。私たち、少しの間だけお勉強に行ってくるわね。お部屋でお利口さんに待っていてちょうだい。授業が終わったら、とびきりのご褒美をあげるから」
クレアが私の頭を優しく撫で、ウインクをしてから足早に広間を後にした。エルザやルミナ、ノノも次々とそれに続き、先ほどまでの喧騒が嘘のように、広間は静まり返った。
一人、いや一匹残された私は、ふぅと深い溜息をついた。
談話室の隅にある柔らかな絨毯の上に腰を下ろし、自分の両手、いや前足を見つめる。
大聖女アリシアの強力な偽装魔法によって、誰の目にも私は愛嬌のある小太りの猫にしか見えていない。だが、私の内面は紛れもなく四十二歳、よれたスーツを着た冴えない中間管理職のおっさんだ。
「まさか、事なかれ主義を貫いてきた私が、こんな女子寮のど真ん中で生活することになるなんて……」
誰にも聞こえない独り言は、ただの「ニャーン」という間の抜けた鳴き声となって空気に溶けた。
玄関に掲げられていた、あの恐ろしい木彫りの戒律が脳裏をよぎる。不浄なる殿方の立ち入りを永久に禁ずる。もしこの魔法が解けて、私がただのおっさんだとバレた瞬間、私はこの美しい聖女見習い達からどのような扱いを受けるのだろうか。想像するだけで胃がキリキリと痛み出す。日本の会社で、上司と部下の板挟みになって胃薬を噛み砕いていた頃のストレスが可愛く思えるほどのプレッシャーだ。
しかし、私はここを出て行くわけにはいかない。あの保護施設で、無能なゴミとしてダングロウドに一生搾取される運命から救ってくれたのはアリシアだ。彼女が団体の不正を暴くための生きた証拠として私を必要としている以上、私は何があってもこの男子禁制の聖域で、完璧な猫を演じ切らなければならないのだ。




