第44話 逃げられない極楽困惑ライフ
――ピキッ。
執務室の空気が、文字通り凍りついた。
五人の少女たちはピタリと動きを止め、信じられないものを見るような目で私とアリシアを交互に見つめた。
「……先生はヒロシの言葉がわかるの? ご冗談を言わないでください」
丸眼鏡を押し上げながら、ノノが引きつった笑いを浮かべる。彼女の天才的な頭脳が、必死に現実を否定しようとしている。
「ダメ! 絶対に認めません」
エルザが風紀委員としての威厳をかなぐり捨て、血相を変えて叫んだ。
「聖女寮の風紀と衛生、そして私の心の安寧は、ヒロシがいなければ保てないのです!」
「またまた先生ー、ヒロシはずっと一緒ですってば」
ミーシャがブンブンと首を横に振り、無理やり笑顔を作って私の前に立ちはだかる。
「ウチら、これからもっともっといっぱい遊ぶんだから! どこにも行かせないよ!」
「……嘘って言ってください」
ルミナが大粒の涙をポロポロとこぼし、私の首元のフリルをぎゅっと力強く握りしめた。極度の寂しがり屋である彼女の震える手から、絶対に逃がさないという強い執着が伝わってくる。
「ヒロシちゃん……あたいのご飯、もう食べたくないの……?」
クレアに至っては、お盆を持ったまま膝から崩れ落ち、世界の終わりを告げられたような絶望の表情を浮かべている。
私は事態の急転直下にパニックを起こしていた。
「ミャ、ミャァァ……!?(ちょ、アリシアさん! 静かに旅立たせてくださいよ)」
私が抗議の視線を向けると、アリシアは机の上の「辞表」を手に取り、美しく残酷な微笑みを浮かべた。
「ということで」
ビリッ、ビリビリッ!
私の平穏な自立への希望(辞表)は、教皇の白魚のような手によって、あっさりと紙吹雪に変えられ、空中に舞い散った。
「ミャァァァァーーッ!?(私の辞表がーーっ!?)」
紙吹雪が舞う中、私は五人の見習い聖女たちに一斉に飛びつかれた。
「ヒロシちゃん! ずっと一緒よ!」
「もう絶対離さないからな!」
「ヒロシちゃんがいないと生きていけない!」
全身を柔らかい腕に包まれ、涙と笑顔で顔をぐりぐりと押し付けられる。おっさんとしての理性が吹き飛びそうになるほどの、圧倒的で暴力的な愛情の波が私を飲み込んだ。
+++
それからの日々は、まさに「スケールアップした極楽困惑ライフ」であった。
アリシアが教会のトップである教皇に就任したことで、見習い聖女寮の予算はかつてないほど潤沢になった。
その結果、クレアの作るご飯はさらに高級食材がふんだんに使われるようになり、背徳的なカロリーは限界を突破。私のメタボ腹は成長の余地をどこまでも広げている。
そしてカロリーを消費させるため、ミーシャが寮の裏庭に建設したのは、もはや猫の遊び場ではなく「魔王軍の軍事訓練用アスレチック」ほどであった。毎日泣きながら障害物を超える私の体力は、限界のその先を常に試されている。
エルザの潔癖なお風呂タイムは最高級の魔導アロマオイルが導入されて地獄の長風呂化し、ルミナの添い寝は完全な拘束魔法によって寝返りすら打てない仕様に強化された。
そしてノノには、私が人間の言葉を完全に理解していることがほぼバレており、毎日のように高度な知能テストという名の「おっさん炙り出しゲーム」を仕掛けられ、胃を痛める日々だ。
「ミャオン……(事なかれ主義とは、一体何だったのか……)」
特製アスレチックで泥だらけになり、クレアに最高級のステーキ肉を口に運ばれながら、私は遠い目をした。
波風を立てず、平穏にやり過ごしたかっただけなのに。
教会の腐敗を根絶やしにし、魔王軍を働き方改革に導き、世界に平和をもたらした立役者である私は、結局この男子禁制の聖域から抜け出すことはできなかった。
だが、私を囲んで心から楽しそうに笑い合う五人の少女たちと、その様子を執務室の窓から満足げに眺めている教皇アリシアの姿を見ると、不思議と悪い気はしなかった。
彼女たちの過酷な過去を塗り替え、この笑顔と居場所を守り抜いたのは、他でもない私なのだから。
異世界の平和を裏で操る「教皇の愛猫(兼・裏の専務取締役)」。
それは、美少女たちに愛という名のカロリーと体力勝負で揉みくちゃにされる、究極に「逃げられない」極楽困惑ライフ。
私の戦いは終わったが、おっさんとしての尊厳と健康診断の数値を守るための新たなサバイバルは、ここから永遠に続くのであった。
第1章 完
ここまでお読みいただきありがとうございました。
感想や評価☆いただけると執筆の励みになります。
続きを思案中です。




