第41話 突入する近衛騎士団
プツン、という微かな電子音とともに、大聖堂の空中に展開されていた魔導スクリーンが静かに消灯した。
魔王ルシフェルとの歴史的なトップ会談は、魔王軍の完全撤退と働き方改革の宣言という、これ以上ない最高の結果で幕を閉じた。
大聖堂の中は、数千人の群衆がいるにもかかわらず、水を打ったような完全な静寂に包まれていた。あまりにも強烈な情報と、歴史が覆る瞬間に立ち会った衝撃で、誰もが言葉を発することすら忘れているのだ。
その静寂を破ったのは、祭壇の上にへたり込んでいた筆頭枢機卿ゲルドバの、ひび割れたような叫び声だった。
「ち、違う……!今の通信は偽造だ!この小娘が用意した役者に決まっている!」
彼は血走った目で周囲を睨みつけ、必死に声を張り上げた。
「魔王軍が撤退するなどあり得ん!奴らは残虐な化け物だ、必ずまた人間界へ攻めてくる!我々元老院が防衛費を集めなければ、この国は滅びるのだぞ!目を覚ませ、民たちよ!」
それは、既得権益を失いかけた腐敗権力者の、あまりにも見苦しい最後のあがきだった。
魔王軍という「脅威」が存在しなければ、彼らが民衆から莫大な防衛費や聖布金を巻き上げる大義名分は消滅する。そして、大聖女を弾劾して実権を奪う理由も、見習い聖女寮を解体して予算を削減する理由も、すべてが根本から崩れ去るのだ。
梯子を外された彼に残されたのは、恐怖と保身だけだった。
「もうおやめなさい、ゲルドバ」
アリシアが、哀れな老人を見下ろして冷たく告げた。
「あなたのその浅ましい嘘に、もう誰も騙されはしません。あなた方の会社……いえ、元老院の倒産は、たった今確定したのです」
アリシアの言葉を証明するかのように、群衆の中から次々と怒りの声が上がり始めた。
「嘘つきめ!」
「我々の血税を返しやがれ!」
「大聖女様を罠に嵌めようとした悪党!」
怒号が渦巻き、大聖堂は今にも暴動が起きかねない一触即発の空気に包まれた。
――その時だった。
ズドォォン!という腹の底に響くような轟音とともに、大聖堂の正面を塞いでいた巨大な扉が外側から勢いよく開け放たれた。
「そこまでだ、元老院の逆賊ども!!」
外の光を背に受けて現れたのは、銀色の鎧に身を包んだ完全武装の騎士たちだった。彼らは一糸乱れぬ足取りで大聖堂になだれ込むと、あっという間に祭壇の周囲を包囲し、群衆と元老院の間を物理的に分断した。
盾と槍を構えた彼らの胸には、王家の紋章が誇らしく輝いている。王国の精鋭、近衛騎士団である。
「な……近衛騎士団だと!?なぜ貴様らがここにいる!」
ゲルドバが驚愕に目を剥く中、騎士団の先頭から一人の屈強な男が進み出た。
先日、私がドワーフの高級料亭とエルフのクラブで徹底的に接待し、「最強の稟議書」を書き上げて味方に引き入れたキーマンの一人、近衛騎士団副団長のアランだった。
アラン副団長は祭壇へと続く階段を重々しい足取りで登り、ゲルドバら元老院の面々を見下ろして、よく通る声で宣告した。
「筆頭枢機卿ゲルドバ、ならびに元老院の諸君。貴殿らを『国家詐欺罪』および、防衛費の『横領罪』の容疑で拘束する!」
「こ、拘束だと!?馬鹿な、我々は教会の最高機関だぞ!王国ごときが我々に手を出せるはずが……!」
「黙れ!貴様らが魔族と裏で結託し、国と民を欺いて巨額の富を掠め取っていた証拠は、すでに国王陛下のご裁可を得ている!」
アランの怒号に、ゲルドバはついに言葉を失い、その場に崩れ落ちた。
完璧な包囲網だった。大聖女アリシアの内部からの監査報告と告発、魔王ルシフェルのトップダウンによる事業撤退宣言、そして王国近衛騎士団による物理的な制圧。
逃げ道は、どこにも残されていなかった。
アランはさらに言葉を続けた。
「すでに王宮では、貴様らと裏で癒着していた王国財務局長バルデスも、我が同志であるルイス特命調査官の手によって完全に拘束・失脚したとの報告が入っている!貴様らの腐りきった共犯関係は、本日をもってすべて終了だ!」
バルデス財務局長の失脚。その報告を聞き、私はアランと視線を交わし静かに「ミャオン(完璧ですね)」と喉を鳴らした。
あの夜、高級エルフクラブの個室で、ルイス官僚とアラン副団長の野心と正義感に火をつけた私の「根回し」が、見事に実を結んだのだ。
中間管理職の武器である「接待」と「完璧な企画立案」が、国家レベルの腐敗経営陣を完全に一掃する大逆転を成功させたのである。
しかし、アランは、ただの小太りの猫に見えている私がヒロシだとは気づくはずも無く、ただ正義を続けた。
「連行しろ!」
アランの号令とともに、屈強な騎士たちがゲルドバら元老院の老人たちを取り囲み、両腕を乱暴に拘束して引き立てていく。
「離せ!私は筆頭枢機卿だぞ!こんなことが許されると思っているのか……!」
見苦しく喚き散らすゲルドバの悲鳴は、群衆の歓喜と拍手喝采にかき消され、やがて大聖堂の外へと消えていった。
彼らが連行された後、アラン副団長は振り返り、大聖女アリシアに向かって深々と、そして敬意を込めて頭を下げた。
「大聖女アリシア様。我々王国の騎士が動くのが遅れ、ご心労をおかけいたしました。……あなたと特使殿のアドバイスにより作成したあの完璧な稟議書……いえ、上申書のおかげで、我々もようやく長年の腐敗にメスを入れることができました」
「いいえ、アラン副団長。あなた方国を憂う若き騎士たちの勇気ある行動に、心から感謝いたします」
アリシアは優雅に微笑み、ねぎらいの言葉を返した。
そして、アランは思い出したように感謝を続けた。
「お世話になりました特使殿にもどうぞ、よろしくお伝えください」
「ミャァ(いいってことですよ。お互い、良い仕事をしましたね)」
私は四つん這いのまま、誇らしげに胸を張った。アランには届かなかったが。
大聖堂を包む、割れんばかりの歓声と拍手。
それは、長年にわたって民衆を苦しめ、見習い聖女たちのささやかな居場所を奪おうとした腐敗組織が、完全に浄化されたことへのごく自然な反応だった。
私は群衆の歓喜を見上げながら、心地よい疲労感に包まれていた。
波風を立てず、ただ平穏にやり過ごす「事なかれ主義」。
私はその処世術で自分を守るため、波風の元凶である腐った上層部を根こそぎ排除するという、究極の「事なかれ」を完遂したのだ。
これで明日からは、あの見習い聖女寮で、彼女たちが安心して暮らせる日常が戻ったのである。
私の四十二年間の会社員人生で、これほど完璧に、そして清々しく遂行できたタスクは他になかっただろう。
大聖女の足元で、私は大きくあくびをし、丸くなって目を閉じた。異世界での元中間管理職の過酷なクーデターは、ここに完全なる大団円を迎えたのだった。




