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第40話 契約打ち切り

 大聖堂の空中に展開された巨大な魔導スクリーン。

 そこに映し出された漆黒の玉座と、それに深く腰掛ける威風堂々たる男の姿に、数千人の群衆は文字通り息をするのも忘れて凍りついていた。

 圧倒的な魔力と、冷徹な知性を感じさせる鋭い双眸そうぼう。魔界の頂点に君臨する、魔王軍代表取締役社長・ルシフェルである。


「な……ま、魔王……!?なぜ、最高審議会の通信に魔王が……!」

 祭壇の上に立つ筆頭枢機卿ゲルドバは、完全に腰を抜かし、ガチガチと歯の根を鳴らして後ずさった。

 無理もない。彼らにとって魔王軍は、自分たちの利権を正当化するための「便利な脅威(下請け業者)」に過ぎなかったのだ。そのトップが、全世界へ生配信されているこの公式な場に直接乗り込んでくるなど、彼らのちっぽけな想定の範囲をはるかに超えていた。


 私はアリシアの足元で香箱座りをし、特注ケープの赤いリボンを揺らしながら、心の中でガッツポーズを決めた。

「ミャオン(やりましたね。見事なアポ取りです)」

 私が見上げると、アリシアは完璧な大聖女の微笑みを浮かべ、スクリーンの中の魔王に向かって優雅に一礼した。


「魔王ルシフェル殿。突然の通信接続、そして我々の『総会』へのご出席、感謝いたします」

『ふん。そちが大聖女か。……我が社の前線営業部長から、そちらの作成した急ぎの企画書を受け取ってな。一読させてもらった』


 ルシフェルがそう言うと、画面の端に、彼に控えるように立つ一人の男の姿が映った。

 禍々《まがまが》しいオーラを放つ大悪魔の姿ではあるが、その佇まいは完全に「社長の随行でやってきた優秀な営業部長」のそれである。同志ザルグだ。

 ザルグはこちらの視線に気づくと、バレないように口角を僅かに上げ、小さく頷いてみせた。


 どうやら彼は、魔王軍の社内政治と厳しい監査部門の追及を振り切り、ルシフェル社長への決死の直談判に見事成功したらしい。徹夜で書き上げた私たちの『事業転換企画書』が、魔王の心を動かしたのだ。

 私とアリシアは視線を交わし、静かな喜びを分かち合った。中間管理職同士の泥臭い連携が、ついに世界を動かすトップダウンを引き出した瞬間である。


 +++


『さて、人間の経営陣どもよ。いや、悪徳クライアントと呼ぶべきか』

 ルシフェルの低く冷徹な声が、大聖堂にビリビリと反響する。

 彼は手元にあった分厚い書類――私たちが徹夜で作成した、あの企画書と監査資料の束をパラリとめくった。


『我が社はこれまで、貴様ら元老院との契約に基づき、人間界への適度な侵攻という興行……いわゆるマッチポンプ事業を請け負ってきた。だが、この書類と我が社の帳簿を突き合わせた結果、極めて不愉快で不誠実な事実が判明した』


 ルシフェルの鋭い眼光が、スクリーン越しにゲルドバを射抜く。

 ゲルドバは短い悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。


『貴様ら元老院は、我々に対する正当な報酬を八割も中抜き(ピンハネ)し、己の懐に入れていた。これは我が社に対する重大な背信行為であり、甚大な契約違反である!』

 魔王の怒れる一喝が、全世界に配信された。


 信者たちから、怒号と悲鳴が入り混じったどよめきが巻き起こる。魔王自身の口からマッチポンプと中抜きの事実が語られたことで、ゲルドバの言い訳は完全に粉砕されたのだ。


『我々魔族は、契約には絶対の重きを置く。このようなコンプライアンス意識の欠如した腐敗組織と、これ以上ビジネスを続けるわけにはいかない』

 ルシフェルは冷徹に、そして事務的に、次なる決断を全世界へと通告した。


『通達する。我々魔王軍は、契約不履行を理由に、元老院との取引を即時打ち切る。同時に、未払い分の報酬および違約金として、運営していた枢機卿団員達へ多額の損害賠償を請求させてもらう』


「そ、そんな……!待ってくれ、話せばわかる!報酬なら上乗せするから……!」

 ゲルドバが床に這いつくばりながら命乞いのような叫びを上げるが、合理主義の塊である魔王がそんな見え透いた嘘に耳を貸すはずもなかった。


『さらに、我が社からの重大発表だ』

 ルシフェルはゲルドバを完全に無視し、堂々たる態度で言葉を続けた。

『大聖女アリシア、およびその優秀なスタッフから提案された「事業転換企画」の利益予測は、極めて合理的かつ魅力的であった。よって我が軍……いや、我が社は、利益を生まない不毛な人間界侵攻事業から、本日をもって完全撤退する』


 人間界への侵攻から、完全撤退。

 長きにわたって人間たちを苦しめてきた魔族との戦争が、今、書類上の「事業撤退」という形で唐突に終わりを告げたのだ。大聖堂に集まった人々は、あまりの展開に言葉を失い、ただ呆然とスクリーンを見上げている。


『今後の魔界は、無駄な侵攻による兵站へいたんコストを削減し、社員の無駄な残業を無くすための働き方改革を実施する。そして、人間界とは正規の国交を樹立し、健全な資源貿易および観光事業による利益の最大化を図る方針だ。……大聖女アリシアよ、今後の前向きなビジネスパートナーとして、よろしく頼むぞ』


「ええ。お互いに有益な関係を築けることを、心より楽しみにしておりますわ、ルシフェル社長」

 アリシアが優雅にお辞儀をして応える。


「ミャオン(完璧なトップ会談ですね。お見事です)」

 私は足元で短く鳴いた。

 無意味な残業に苦しめられていたザルグたち魔王軍の現場は救われ、人間たちも魔族の脅威から解放される。そして、中間搾取を行っていた元老院というブラック企業だけが完全に切り捨てられたのだ。


 魔王軍の働き方改革宣言という、歴史の転換点。

 圧倒的な情報量と急展開に、会場の群衆はまだ事態を呑み込めていないようだったが、ゲルドバら元老院の老人たちだけは、自分たちの足元が完全に崩れ去ったことを理解し、絶望に顔を歪めていた。

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