第4話 猫偽装魔法
「あら。命の危険があるかもしれないのに?」
「一人で逃げたところで、どうせ野垂れ死にますから。それなら、教会のトップであるあなたに拾ってもらうのが、私の平穏にとって一番安全で確実な『事なかれ』の道だと判断したまでです。……もちろん、あなたが私を必要としてくれたことへの感謝もありますが」
私が正直に現実的な計算を口にすると、アリシアは少しだけ目を丸くし、やがてフッと肩の力を抜いて、心底面白そうな笑みをこぼした。
「ふふっ、あはは!正義感や下心じゃなくて、自分の保身のための計算ってわけね。……いいわ、そういう現実が見えている人間の方が、私は信用できる」
アリシアは満足げに微笑むと、すっと立ち上がった。
「でも、そのままの姿じゃダングロウドの追手に見つかってしまうわ。だから、安全を確保するために、少しだけ姿を変えさせてもらうわね」
彼女がそう言って私の頭に手をかざすと、温かい光が全身を包み込んだ。
だが……光が収まっても、私には何の変化も起きていなかった。何らかの魔法をかけられたようだが着ているものも、相変わらずよれたスーツである。
「あの……大聖女様。何をされたのでしょうか?」
私が首を傾げると、アリシアは満足げに頷いた。
「何かって? これはあなたの姿そのものを変える魔法じゃなくて、周囲の認識を歪める最高位の偽装魔法よ。一種の強力な催眠術みたいなものだと思って」
「認識を歪める?」
「そう。私とあなた自身には今まで通りの大人の男性の姿に見えているけれど、それ以外の人間には、あなたが『猫』にしか見えなくなるの。あなたの声も、周りの人の耳には猫の鳴き声として届くわ」
つまり、私はおっさんのまま普通に立って歩いているのに、周りからは猫に見えるということか。にゃんだかなぁで、まだよく理解できていない。
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店を出て、私はアリシアの隣を二本足で普通に歩いた。
通りを歩いていると、すれ違った身なりの良い貴婦人が私を見て目を細め、足を止めた。
「アラ、なんてかわいいおデブ猫ちゃんなのかしら。しかも、こんな立派なスーツまで着せてもらって。器用に二本足で歩いてるなんて」
貴婦人が私の頭を撫でようと手を伸ばしてくる。おっさんとして四十数年生きてきて、初対面の女性に「かわいい」と言われ頭を撫でられる経験など皆無だ。私は思わず後ずさって身構えた。
「ニャーニャー(ちょっと、やめてください! え? そういうこと?)」
私が抗議の声を上げたが、貴婦人は怯むどころか、さらに目を細めて私を見つめた。
「あらまぁ、ニャーニャー鳴いちゃって。突然でビックリしちゃったねぇ。ごめんねぇ」
どうやら私が普通に喋った言葉は、彼女の耳には猫の鳴き声に変換されているらしい。しかも、彼女の目(というか脳内)には、「特注のスーツを着せられた小太り猫」として認識されているようだ。完全に催眠状態である。大魔法ではないか。
アリシアは愛想の良い笑顔を浮かべ、貴婦人に向かって言った。
「ヒロシって言うんですよ。かわいいから、つい餌をあげすぎちゃって。えへぇ」
えへぇ、じゃない。私は自分の尊厳がゴリゴリと削られていくのを感じたが、偽装魔法のおかげで、私がどんなおっさんじみた動きをしても、完全にただのペットとして認識されることは確認できた。
っていうか、見た目を意図した動物に決められるのであれば、小太り設定はいらないんじゃないだろうか。
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貴婦人と別れ、しばらく歩くと、高い塀に囲まれた立派な建物の前にたどり着いた。門には細かいデザインの紋章が刻まれており、明らかに一般の立ち入りを拒むような厳かな空気が漂っている。
「ここが『見習い聖女寮』よ。私が創設した、外部の手が一切入らない場所。男の立ち入りも厳格に禁じられている不可侵の聖域だから、ここにいれば絶対に安全よ」
アリシアは門の前で立ち止まり、私を振り返った。その瞳が、スッと冷たく細められる。
「いいこと、ヒロシ。中にはこれから聖女になる純真な女の子たちが暮らしているわ。彼女たちは過酷な過去を持っている子も多いの。だから……」
アリシアの顔がズイッと近づき、地を這うような低い声で私に囁いた。
「もし、周りから猫に見えることをいいことに、あの子たちに手を出そうとしたら、死より苦しい思いをさせるわよ。分かったわね?」
彼女の背後に、一瞬だが底知れぬ圧を伴った魔力のオーラが見えた気がした。私は背筋を凍らせ、直立不動の姿勢のまま激しく縦に首を振った。
「は、はいっ! もちろんです! 絶対に何もしません!」
「よろしい。じゃあ、行きましょうか」
アリシアは満足げに微笑むと、重厚な門を押し開けた。
こうして、私は「大聖女様が拾ってきた小太り猫」として、男子禁制の聖域で永久おあずけをされ、新たな生活をスタートさせることになったのだ。




