第36話 ドワーフ族の高級料亭
夕暮れ時の聖都の街角。
私はアリシアから受け取った「見込みのある若手役人」のリストを懐に忍ばせ、待ち合わせの酒場へと向かって歩いていた。
久々の二本足での歩行は、少しばかりの違和感と、懐かしさを感じさせる。
「ふぅ……さて、久々の接待に腕が鳴りますね……」
そんなことを考えながら大通りを曲がろうとしたその時だった。
「あー、もう! キャベツ高すぎじゃない!? これじゃ今夜のロールキャベツ、肉増しにできないわよ!」
「文句言わないの、ミーシャ。限られた予算でやり繰りするのも聖女の務めです」
聞き慣れた声に、私の心臓がドクンと跳ねた。
慌てて物陰に身を隠し、そっと覗き込むと、そこには紙袋を抱えたクレア、ミーシャ、エルザの三人の姿があった。どうやら今夜の晩御飯の買い出しの帰りらしい。
マズい。完全に油断していた。
私は息を殺し、気配を消して壁に張り付いた。彼女たちが通り過ぎるのをただ祈るのみだ。
三人は楽しそうにおしゃべりをしながら、私の隠れている物陰のすぐそばを通り過ぎていく。
「それにしても、ヒロシちゃんたら今日はずっと執務室から出てこなかったわね。帰ったら思いっきりプニプニしてあげなきゃ!」
クレアが嬉しそうに言うのを聞いて、冷や汗が背中を伝う。
その時、ミーシャがふと立ち止まり、私の隠れている路地のほうへ視線を向けた。
「ん? 今の……」
「どうしたの、ミーシャ?」
「いや……今路地に入っていったおじさん、なんか見覚えのあるよれたスーツ着てたなって。ほら、ヒロシが着てるあの服と同じ感じっていうか」
ビクッ、と私の肩が跳ねる。
鋭すぎる。ミーシャの体育会系特有の動体視力と直感の鋭さに、私は肝を冷やした。
「もう、ミーシャったら。ヒロシが人間の姿になって街を歩いてる? ないない。でも、もしそうだったら、超うけるよね」
エルザが呆れたように言い、クレアも笑って同調する。
「そんなホラーな事ないない。さ、早く帰ってご飯作ろ!」
「……そっか。気のせいか!」
三人の足音が次第に遠ざかり、大通りの喧騒に紛れて消えていく。
「はぁ……はぁ……寿命が縮むかと思った……」
私は壁に寄りかかったまま、ズルズルとその場にへたり込んだ。
もし見つかって「男子禁制の寮に隠れ住んでいたおっさん」だとバレれば、今回の計画も私の安寧なペットライフもすべて水泡に帰す。それどころか、エルザのトラウマを刺激し、彼女たちを深く傷つけることになってしまう。
接待の前に、とんだ冷や汗をかかされてしまった。私は気を引き締め直し、よれたスーツの埃を払うと、足早に酒場へと向かった。
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大通りの喧騒を抜け、私が向かったのは聖都の裏路地にひっそりと佇む、ドワーフ族が経営する隠れ家的な高級料亭だった。
重厚な木の扉を開けると、芳醇なエールと香ばしく焼かれた獣肉の匂いが鼻をくすぐる。案内された地下の特別個室には、すでに数名の男たちが顔を揃えていた。
彼らこそ、アリシアが秘密裏に声をかけて集めた王国側のキーマンたち。王国財務局の若手官僚ルイスと、近衛騎士団の副団長アランをはじめとする、現状の国政に強い危機感を抱く実務担当者たちだ。
「アリシア様からお話は伺っております。あなたが、教会の不正を暴くための特使殿ですね」
ルイスが探るような視線を向けてくる。彼の目には、日々の激務による疲労と、腐敗した上層部への諦念が入り混じっていた。
「特使だなんてとんでもない。私はしがない、ただの裏方ですよ」
私はよれたスーツのまま深くお辞儀をし、極上の営業スマイルを浮かべた。
「本日は王国を支える若き俊英の皆様に、ささやかながら慰労の場を設けさせていただきました。ささ、まずは一杯。ドワーフの秘蔵樽から取り寄せた最高級エールです」
私は彼らのグラスに、琥珀色の液体を滑らかな手つきで注いで回った。四十二年間、日本の社会で培ってきた「接待」のスキルが、異世界で火を噴く瞬間である。
極上の酒と、ドワーフの腕利き料理人が振る舞う絶品料理。張り詰めていた彼らの表情も、胃袋が満たされるにつれて次第に緩んでいく。
「……特使殿。聞いてくださいよ。うちの財務局長バルデス、教会上層部と結託して、我々の血税を湯水のように『必要経費』として垂れ流しているんです!」
ルイスがジョッキをドンと机に叩きつけ、日頃の鬱憤を吐き出し始めた。
「その通りだ! 俺たち近衛騎士団は、終わりの見えない魔族との小競り合いで疲弊しきっている。なのに元老院の老人どもは、現場の被害などただの数字としてしか見ていない!」
アラン副団長も顔を赤くして同調する。
「おっしゃる通りです。現場の苦労を知らない上層部の尻拭い……本当に、胸が痛みます」
私は深く頷き、彼らのグラスにすかさず酒を注ぎ足した。
「皆様のように優秀な方々が、あのような私腹を肥やすだけの老害どもの下で飼い殺しにされているなど、王国にとってこれほどの損失はありません。皆様の優秀な実務能力があれば、この国はもっと豊かになるはずなのに」
徹底的な同調と、承認欲求を満たす賞賛。中間管理職の最強の武器である「傾聴」によって、彼らの心は完全に私――いや、私たちの陣営へと傾き始めていた。




