第35話 託された企画書
「……よし。これで、魔王軍側の説得材料は完璧に揃いました」
大聖女執務室の机の上に置かれた、徹夜で書き上げられた分厚い『魔王軍・事業転換企画書』。それを前足でポンと叩き、私は大きく息を吐いた。
この企画書には、教会上層部――元老院が魔王軍への報酬を八割も中抜きしている証拠と、現在のマッチポンプ事業から撤退し、正式な国交樹立と資源貿易に切り替えた場合の圧倒的な利益予測が、完璧なロジックで記されている。
「あとは、これをザルグさんに託すだけですね」
私が顔を上げると、アリシアが力強く頷き、結界を少しだけ緩めて通信魔法を起動した。
ほどなくして、執務室の空間が歪み、くたびれたスーツ姿の中年男性――魔王軍・前線営業部長のザルグが姿を現した。彼の顔には濃い疲労の色が浮かんでおり、状況の切迫さを物語っていた。
「……できたのか、同志」
「ええ。元老院の悪事を暴き、ルシフェル社長に直営業をかけるための、最強のプレゼン資料です」
アリシアが企画書の束をザルグに手渡す。その重みを受け取ったザルグの目に、鋭い光が宿った。
「目を通すまでもない。お前たちが徹夜で作り上げた希望だ。間違いないだろう」
ザルグは企画書を大切そうに懐へしまうと、ニヤリと口角を上げた。
「俺はこれから、監査部門の追及を振り切って、社長室へ直談判に行ってくる。……失敗すれば首が飛ぶが、やってやるさ。お前たちも、人間界の掃除を頼んだぜ」
「ええ、任せてください。お互い、無事に生き残ってまたうまい酒を飲みましょう。その時は絶対にはしごしましょうね」
私の言葉にザルグは無言で頷き、再び転移魔法で魔界へと帰っていった。
これで魔王軍側の手筈は整った。次は、我々の番だ。
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魔界、魔王軍本部ビル。
ザルグが転移魔法で自身のオフィスに戻るなり、部屋のドアが乱暴に開け放たれた。踏み込んできたのは、冷徹な目つきをした監査部門の悪魔たちだった。
「ザルグ営業部長。襲撃タスクの不可解な中止と、それに伴う虚偽報告の疑いについて、直ちに監査委員会の聴取を受けていただきます」
監査官の冷たい声が響く。部下たちが不安げにザルグを見つめる中、彼は懐の企画書の膨らみを確認し、不敵な笑みを浮かべた。
「悪いが、監査に付き合っている暇はねぇ。俺はこれから、ルシフェル社長に『新規事業』の直談判に行くところだ」
「なんだと? 我々の監査を無視する気か!」
監査官たちが色めき立つが、ザルグは彼らを完全に無視して歩き出した。
「どきな。これは魔王軍の未来と、莫大な利益に関わる重要案件だ。止めればお前らの首が飛ぶことになるぜ?」
ザルグが放つ、覚悟を決めた中間管理職の凄みに、監査官たちは思わず道を譲った。彼は監査部門の追及を背中で躱しながら、最上階の社長室へと続く専用魔導エレベーターに乗り込んだ。
扉が閉まる直前、ザルグはネクタイを締め直し、小さく呟いた。
「さて……一世一代の大プレゼンといくか」
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同じ頃、人間界。王国財務局長バルデスの執務室。
分厚い絨毯が敷かれた豪華な部屋で、バルデスは最高級の葉巻を燻らせていた。彼の対面には、豪奢な祭服を纏った筆頭枢機卿ゲルドバが、深紅のワインを傾けている。
「魔王軍の襲撃が失敗に終わったとはいえ、大した問題ではありません」
ゲルドバが薄く笑いながらワイングラスを揺らす。
「あのアリシアの小娘は、近日中に開かれる最高審議会で弾劾し、大聖女の座から引きずり下ろします。全世界配信の場で『無能』の烙印を押されれば、見習い聖女寮の解体もスムーズに進むでしょう」
「結構。あのお飾り勘違い野暮聖女が消えれば、我々の利権もさらに盤石になるというもの」
バルデスも満足げに頷く。
「王国から出る防衛支援金と、教会に集まる聖布金。これからも上手く吸い上げさせてもらいましょう。魔王軍という便利な脅威がある限り、民衆は我々にすがり続けるのですからな」
二人は醜悪な笑みを交わした。彼らは、自分たちの足元で巨大な包囲網が敷かれようとしていることなど、露ほども知らなかった。自分たちが築き上げた腐敗のシステムが永遠に続くと、微塵も疑っていなかったのだ。
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見習い聖女寮の執務室。
「ザルグさんが魔王様を説得できたとしても、元老院を完全に追い詰めるには、人間側の権力である王国を巻き込む必要があります」
私はホワイトボードの前で、今後の戦略を語った。
「教会の高すぎる防衛費への上納で、王国の財政は破綻しかけているはず。現状に不満を持ち、この状況を打破したいと考える『まともな若手役人や騎士』が、王国側にも必ずいるはずです」
アリシアが真剣な顔で頷く。
「ええ、心当たりはあるわ。ただ、彼らと接触して協力を取り付けるには、大聖女である私が直接動くわけにはいかない。元老院の監視の目があるから」
「そこで、猫の出番というわけです」
私は胸を張った。
「私の中間管理職としての『根回し』と『接待』のスキルをフル活用し、彼らを秘密裏に糾合して、元老院を外堀から完全に包囲します。……アリシアさん、一時的に猫魔法を解いていただけますか?」
「ええ、分かったわ。でも、外では絶対に見習い聖女たちに見つからないように気をつけてね。あの子たち、感がいいから」
アリシアが杖を振り、光が私を包み込む。
「ミャ……あ、あー。よし、声も出ますね」
久しぶりに取り戻した四十二歳の中年男性の姿。よれたスーツに身を包み、私は首を鳴らした。これで準備は完了だ。




