第32話 中抜きの証明
ザルグが膨大な魔界の帳簿と密約書の束を残し、転移魔法で姿を消した直後。
アリシアは執務室の防音結界を解き、扉の外で不安げに待機していた見習い聖女たちを招き入れた。
「先生! 魔族は……あの怖い男はもういないんですか?」
おずおずと顔を覗かせたクレアが、荒らされた形跡のない部屋を見回して安堵の息を吐く。ミーシャやエルザ、ルミナ、ノノも、怯えた表情を浮かべながらアリシアの周りに集まってきた。
「ええ、もう大丈夫よ。彼は……私たちの敵ではなかったわ」
アリシアは机の上に山積みになった書類の束を指し示し、事の顛末を語り始めた。教会上層部である元老院が魔王軍と裏で通じ、この見習い聖女寮を襲撃させようとしたこと。そして、その狂った自作自演を終わらせるため、魔王軍の幹部と手を組み、元老院を失脚させるクーデターを企てていることを、一切隠さずに打ち明けた。
もちろん私が人間のおっさんであることを除いてだ。
少女たちは、自分たちの唯一の居場所が上層部の都合で破壊されようとしていた残酷な事実に言葉を失った。しかし、それ以上に彼女たちの心を動かしたのは、自分たちを守るためにたった一人で巨大な権力に立ち向かおうとしているアリシアの姿だった。
「先生……あたい、やります!」
沈黙を破ったのは、寮のお母さん的存在であるクレアだった。彼女は豊かな胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、力強く宣言した。
「先生と、この寮を守るためなら、なんだって手伝います!」
「ウチもだ! あんな腐った老人どもの思い通りになんてさせねえ!」
「風紀委員として、教会の腐敗を見過ごすわけにはいきません。完璧な裏付けを取ってみせます」
「ルミナも……先生とヒロシのため、がんばる」
「僕の頭脳、すべて使ってください」
見習い聖女たちは誰一人怯むことなく、先生のため、そして寮存続のために快く協力を申し出た。その純粋な忠誠心と結束力に、私は胸が熱くなるのを感じた。
さあ、ここからは時間との勝負だ。ザルグの部署に監査が入る前に、魔王軍向けの「事業転換企画書」を作り上げなければならない。中間管理職としての私の血が騒ぐ。
私は二本足で立ち上がり、ホワイトボードに見立てた壁の前に立って、前足でバンバンと板面を叩いた。
「ミャオン、ミャ、ミャァァ!(よし、まずは証拠の突き合わせだ! クレアとミーシャはダングロウドの資料を、エルザとルミナは教会の公開予算を分類してくれ!)」
完璧な業務指示を飛ばしたつもりだったが、少女たちはきょとんとした顔で私を見つめた。
「ヒロシちゃん、どうしたの? いきなり立って鳴き出して……もうお腹すいた?」
クレアが首を傾げる。そうだった、私は的確な指示を出しているつもりだったが、彼女たちにはただの猫の鳴き声にしか聞こえないため、全く通じていなかったのだ。
「……コホン」
見かねたアリシアが、わざとらしく咳払いをして前に出た。
「わ、私が指示を出すわ。まずは証拠の整理が必要よ。……クレアとミーシャはダングロウドの押収資料の分類。エルザとルミナは教会の公開予算のリストアップをお願い」
「はい。先生、やってやりますよ!」
アリシアが苦笑いしながら通訳として、あたかも彼女が指示を出しているような奇妙な連携が成立した。これで業務の指揮系統はバッチリだ。
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執務室は、深夜の即席監査部門へと様変わりした。
机の上に広げられたのは、ザルグが持ち込んだ魔王軍側の帳簿、教会の公開予算書、そしてダングロウドから押収した裏帳簿の三種類の資料である。これらを突き合わせ、元老院がどこでどれだけの資金を中抜きしているのか、その不自然な金の流れを完全に証明しなければならない。
この極めて複雑で膨大な監査作業において、主担当として抜擢されたのは、マイペースな天才オタク少女、ノノだった。
「ふむ……魔界の古代文字ですね。文法は少し特殊ですが、基本構造はルーン語と同じ。解読は容易です」
ノノは自分の体より大きな魔界の帳簿を開き、大きな丸眼鏡を指で押し上げた。彼女の目は、獲物を狙う鷹のように鋭く数字の羅列を追っていく。幼い頃から教会の地下書庫に隠れ住み、膨大な書物を読み漁ってきた彼女の、古代文字と数字に対する知能はまさに天才的だった。
「教会の公開予算では、魔王軍への『防衛名目の上納金』として月額五千万ギロアが計上されています。しかし、こちらの魔王軍側の帳簿を見ると……」
ノノのペンが、紙の上を滑るように走る。
「……ルシフェル社長の決裁印が押された入金記録には、月額一千万ギロア分しか記載されていません。さらに、報酬として支払われるべき希少資源の量も、教会の出庫記録と魔王軍の入庫記録で『八割』もの誤差が生じています」
「八割……!?」
アリシアが息を呑んだ。「防衛費として民衆から巻き上げたお金の八割を、元老院のジジイどもは自分の懐に入れているっていうの……!?」
「ミャァ(完全なピンハネですね)」
私は深く頷き、ノノの叩き出した数字を覗き込んだ。
下請けである魔王軍に支払うべき報酬の八割を中抜きする。日本の悪徳企業でもそうそうお目にかかれない、極悪非道な搾取システムだ。現場で命を張っているザルグたちが激怒するのも当然である。
ノノの計算速度は落ちない。彼女は複雑な先物レートや物資の時価を暗算で割り出し、次々と元老院の横領の証拠を数値化していく。
「数字は嘘をつきません。元老院は、教会の信者だけでなく、魔王軍に対しても不誠実な対応をしています」
ノノが淡々と告げる言葉は、我々にとって最強の武器となる。古代文字と数字に強い彼女の存在なしでは、この数時間で証拠を固めることなど絶対に不可能だった。




