第31話 直営業
「あのタヌキジジイども……! 現場の俺たちがどれだけ血と汗を流してると思ってやがる! それを涼しい顔でピンハネしてただと!?」
ザルグの怒号が、防音結界の張られた執務室にビリビリと反響した。
彼が怒るのも無理はない。魔王軍の現場の兵士たちは、常に命懸けで人間の領土へ出向いている。その対価であるはずの報酬を、安全な場所にいる人間の上層部が中抜きして私腹を肥やしていたとなれば、魔族としてのプライド以前に、一人の労働者として絶対に許せないはずだ。
「ザルグさん。悪徳クライアントは切り捨てるに限ります」
私は彼を落ち着かせるように、低い声で静かに言った。
「元老院という中間業者をすっ飛ばし、教会のトップである大聖女様と魔王軍で、直接取引……いわゆる『直営業』をかけるのです。そうすれば、中抜きされていた本来の利益は、すべて魔王軍のものになります」
「直営業だと……? つまり、元老院を無視してこの人と協定を結ぶってことか」
ザルグは腕を組み、険しい顔で考え込んだ。
「だが、それは俺たち現場の人間からすれば、上層部への明らかな造反……クーデターだぞ。ルシフェル社長に直談判して、もし稟議が通らなかったら、俺の首が物理的に飛ぶことになる」
「でも、成功すればこの無意味な戦いは終わるわ」
アリシアが一歩前に出て、ザルグを真っ直ぐに見据えた。
「この寮の子たちも、あなたの部下たちも、もう無駄に命をすり減らさなくて済む。狂ったマッチポンプを終わらせるために、あなたの力を貸してほしいの。それに私は魔王軍とはお互いに利益を産む手法で平和的に付き合うわ」
大聖女の真摯な眼差しと、同じ中間管理職としての私の提案。
ザルグはしばらく沈黙した後、ふうっと長く息を吐き出し、覚悟を決めたようにニヤリと口角を上げた。
「……分かった、乗ってやる。だが条件がある。もしこの計画が失敗して、俺が魔王軍を追われるような事態になったら……俺も『保護おっさん』の枠で、人間界に亡命させてくれよな」
「ええ、約束するわ。私が責任を持って、一番待遇のいいシェルターを紹介してあげる」
アリシアが力強く頷くと、ザルグは「証拠となる魔界側の帳簿を取ってくる」と言い残し、転移魔法で音もなく姿を消した。
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ザルグが消えた直後、コンコンと執務室の重厚な扉がノックされた。
「アリシア先生! ヒロシちゃん、一緒にいますかー?」
アリシアが慌てて結界を少し緩めると、ドアの隙間からクレアとミーシャが顔を覗かせた。その後ろにはエルザたちの姿もある。
そして何より私の目を引いたのは、クレアの手にある大きなお盆に乗せられた、私の顔の三倍はあろうかという巨大な物体だった。
「魔族を追い払ってくれたヒロシちゃんに、特大の『勝利の祝賀ハンバーグ』を作ってきたの!」
「ミャ、ミャァ……(い、いや、今はまだ昨日の酒が抜けてなくて……)」
先ほどまで国家レベルのクーデターを企てていた私だが、彼女たちの前ではただの猫に戻らざるを得ない。事なかれ主義の悲しい習性で、私は四つん這いになって甘えた声を出す。
「さあヒロシちゃん、あーんして!」
私の抗議など届くはずもなく、肉汁が滝のように滴る超高カロリーなハンバーグが、有無を言わさず私の口にねじ込まれていく。
「ミャボォ……(う、美味いけど苦しい……)」
「ふふっ、ヒロシも怖い魔族の前に立って疲れてたんだな! 遠慮しないでいっぱい食えよ!」
ミーシャが私の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
緊迫した極秘プロジェクトの裏で、私は美少女たちからの過剰な愛情という名の暴力的なカロリー攻撃に、物理的にすり潰されそうになっていた。
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どうにかこうにかハンバーグを平らげ、少女たちの元気な足音が完全に遠ざかった直後。
再び執務室の空間が歪み、ザルグが転移してきた。
その両腕には、分厚い魔界の帳簿や密約書の束が山のように抱えられている。彼の額には玉の汗が浮かび、肩で激しく息をしていた。
「……持ってきたぜ。これが教会上層部と魔王軍との裏取引の領収書と、密約書のすべてだ」
ドサリと、執務室の机の上に証拠の山が積まれた。アリシアがすぐにそれを手に取り、中身を確認して目を輝かせる。
「完璧よ。これなら、連中が中抜きしていた金額の証拠になるわ」
「ザルグさん、ずいぶん急いで戻ってきたようですが」
私がハンバーグによる強烈な胃もたれを堪えながら尋ねると、ザルグは顔をしかめて首を振った。
「ああ。さっき魔王軍の本部に、『予想外の抵抗に遭って寮の襲撃は失敗した』って嘘の報告を入れて誤魔化してきた。だが、すぐに俺の部署に監査が入る。嘘がバレるのも時間の問題だ。……俺にはもう、後がなくなったってわけだ」
タイムリミットは極めて短い。監査が入ってザルグが拘束されれば、このクーデター計画は根底から崩れ去る。
私は気合いを入れて胃もたれを押し殺し、ドンッと二本足で立ち上がって帳簿の山に前足を置いた。
「上等です。これだけの証拠が揃っていれば、元老院を悪徳クライアントとして完全に切り捨てることができます」
私はアリシアとザルグの顔を交互に力強く見渡した。
「後がないなら、やることは一つです。よし、今日は寝るのを諦めましょう。徹夜で魔王軍向けの『事業転換企画書』を作り上げるんです。ルシフェル社長が絶対に断れない、完璧な数字と利益予測を叩きつけてやるんですよ!」
「ふっ……言うじゃねぇか、同志。やってやろうぜ」
「ええ。教会の未来とあの子たちの命、絶対に守り抜いてみせるわ」
事なかれ主義だったおっさんと、名ばかりの大聖女、そして後がなくなった魔王軍の中間管理職。
奇妙な三人の同志による、世界を揺るがす極秘プロジェクトが、今ここに本格始動したのだった。




