第30話 マッチポンプの暴露
分厚いマホガニーの扉が重々しい音を立てて閉ざされ、大聖女執務室は完全な密室となった。
アリシアが杖を一振りすると、部屋全体に強力な防音と不可視の結界が幾重にも張り巡らされる。これで外からは中の様子を窺うことはできず、声も一切漏れない。
静まり返った執務室の中央。
私はクレア特製のフリフリ洋服を着たまま、二本足で直立不動の姿勢をとっていた。私の隣には、禍々《まがまが》しい大悪魔から「くたびれたスーツ姿の中年男性」へと姿を変えた魔王軍・前線営業部長のザルグが、これまた背筋をピンと伸ばして並んで立っている。
二人の前には、腕を組み、冷ややかなジト目を向ける大聖女アリシアが仁王立ちしていた。
「……さて。どこから説明してもらいましょうか」
地を這うような低い声。完璧な大聖女の仮面を脱ぎ捨てた、キレる寸前の女性上司の顔だ。
「あ、いや、これはですね……」
私はネクタイを締めるふりをして喉元を触りながら、しどろもどろに口を開いた。
「昨夜、少し夜風に当たりたいと思い、寮を出たところで、たまたま赤提灯の居酒屋を見つけまして。そこで隣に座ったのがザルグさんでして……お互い、理不尽な上司やクライアントに振り回される中間管理職としての苦悩を語り合っているうちに、すっかり意気投合してしまったというか……」
「そうそう! この同志とは、酒の趣味も愚痴のツボもぴったりでな! まさか今朝の襲撃タスクのターゲットが、同志の居候先だとは夢にも思わなかったんだよ!」
ザルグも必死に相槌を打つ。
「つまり……」
アリシアはこめかみをピクピクと引きつらせた。
「私が元老院のクソジジイどもからあの子たちを守るために、徹夜で嘆願書を書き、胃に穴が開くような思いで根回しに奔走していたというのに。あなたは夜中に寮を抜け出し、敵の幹部と酒を酌み交わして管を巻いていた、と?」
「ミャ、ミャァ……(返す言葉もございません)」
私は完全に平伏した。言い訳の余地はない。事なかれ主義の息抜きが、結果的に大聖女の逆鱗に触れてしまったのだ。
「……はぁっ」
アリシアは深く長い溜息を吐き出すと、組んでいた腕を解き、ドサリと執務室の椅子に腰を下ろした。
「無断外出については、後でたっぷりお説教させてもらうわ。でも……」
彼女は鋭い視線を少しだけ和らげ、私とザルグを交互に見た。
「結果的に、あんたがこの魔族の方と知り合っていたおかげで、あの子たちの命と、この寮は救われた。……今回だけは、大目に見るわ。ありがとう、ヒロシ」
ぽつりとこぼされた感謝の言葉に、私は「ミャオン(恐縮です)」と短く鳴いて頭を下げた。
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「それで、ザルグ殿と言いましたね」
アリシアはすぐに厳しい表情に戻り、魔王軍の幹部を見据えた。
「あなたたち魔王軍が、なぜ急にこの見習い聖女寮を襲撃してきたの? ここは戦略的な価値なんて何もない、ただの学生寮よ」
「ああ、それについてなんだがな」
ザルグは来客用のソファーにどっかりと腰を下ろし、懐から細長いガムを取り出して口に放り込んだ。
「これは戦略的な侵攻じゃねぇ。教会上層部――元老院からの、正式な『依頼』だ」
「元老院からの依頼、ですって?」
アリシアの眉がピクリと跳ねる。
「そうだ。俺たち魔王軍と教会の上層部は、裏でガッチリ繋がってるのさ。俺たちが適度に人間領へ出向いて暴れ、魔族の脅威を煽る。教会や王国はそれを理由に民衆から防衛費やら聖布金やらを巻き上げ、その一部を『興行(侵攻)の対価』として俺たちに支払う。さらに、それらに色を付けるため民衆の希望になる勇者召喚を繰り返す始末……典型的な出来レースってやつだ」
ザルグが吐き捨てるように言った「マッチポンプ」の真実に、アリシアはギリッと奥歯を噛み締めた。
私はかつての会話を思い出していた。ダングロウドの事件で、彼らがどれだけ腐敗しているかは知っていたが、まさか魔王軍の侵攻そのものが、彼らの資金繰りのための自作自演だったとは。
「そして、今回のターゲットがこの寮に設定された理由。……それは、大聖女であるあんたを完全に失脚させるためだ」
ザルグはアリシアを真っ直ぐに指差した。
「元老院の連中が事前に結界を解き、俺たちにここを瓦礫の山にさせる。大聖女の庇護下にある施設が呆気なく壊滅したとなれば、あんたの無能さは全世界に知れ渡る。そうやってあんたから実権とカリスマ性を奪い、見習い聖女どもを辺境へ散り散りにする……そういう『仕様』のタスクだったのさ」
その非道な筋書きを聞いた瞬間、執務室の温度が数度下がったように感じた。
アリシアの瞳には、かつてないほどの激しい怒りが静かに燃え上がっていた。
「……あいつら。自分たちの保身のために、あの子たちの命まで差し出したっていうの……!」
私も、腹の底で黒い怒りが煮えたぎるのを感じた。
現場で生きる少女たちを、自分たちの権力闘争の駒として、いとも簡単に切り捨てる。日本の会社でもこんな卑劣な上層部は見たことがない。
「ザルグさん」
私は静かな声で、彼に問いかけた。
「あなたも、こんな現場をすり潰すだけの狂ったタスクに、嫌気がさしていたというわけですね?」
「ああ、その通りだ」
ザルグは苛立たしげにガムを噛みしめた。
「部下たちは意味のない襲撃で疲弊し、怪我人も出てる。そのくせ上の連中からは『もっと派手にやれ』だの『納期を早めろ』だの無茶振りばかり。……俺だって、こんな馬鹿げたマッチポンプ、もうウンザリなんだよ」
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怒りと不満が共有された空間で、私の中間管理職としての本能――事態を合理的に解決するための思考回路が高速で回転し始めていた。
「ザルグさん。一つ確認させてください」
私は彼に向き直った。
「あなたのボス……魔王様は、どのような人物なのですか? 世界征服を目論む、残虐な独裁者ですか?」
「ルシフェル社長か? いや、あのお方はそんな非効率なことは考えねぇよ」
ザルグは即答した。
「社長は超がつくほどの合理主義者で、利益至上主義だ。『人間を滅ぼして世界征服なんかしたら、その後の統治コストと維持費で魔族領が財政破綻する』って公言してるくらいだ。だから、人間を適度に脅かして報酬を得る、今のビジネスモデルを採用しているんだが……」
「なるほど。利益とコストカットを最優先する、完全な社長気質ですね」
私は小さく頷き、部屋の隅にあったメモ用紙と羽ペンを手に取った。
元営業マンとしての勘が、点と点を結びつけようとしていた。
ダングロウドが「おっさん愛護団体」で掠め取っていた補助金の規模。そして、元老院が防衛費という名目で民衆から巻き上げている莫大な予算。
「ザルグさん。魔王軍が元老院から受け取っている『報酬』の具体的な内容と、相場を教えていただけますか?」
「ああ? 魔界にはない希少資源とか、魔石、あとは用済みになったおっさんたちの労働力とかだが……量は大したことねぇぞ。毎回、雀の涙みたいな量で、現場の経費ギリギリってところだ」
その言葉を聞いて、私は確信した。
私はメモ用紙に教会の予算規模を示す大きな丸を描き、そこから魔王軍へ向かう矢印を引き、その途中にさらに大きな「元老院の財布」という図を書き込んだ。
「アリシアさん、ザルグさん。これは私の推測ですが……いや、ほぼ間違いないでしょう」
私はペンを置き、二人を見渡した。
「元老院の連中、魔王軍に支払うべき正規の報酬を、不当に『中抜き(ピンハネ)』しています」
「中抜き、だと……?」
ザルグが目を丸くする。
「ええ。教会の公開予算や、彼らが徴収している聖布金の額から考えて、魔王軍への報酬が『雀の涙』であるはずがありません。元老院は、魔王軍という『下請け』に支払うべき報酬の大部分を途中で掠め取り、私腹を肥やしているんです」
私は冷徹な事実を突きつけた。
「つまり、元老院は教会の信者を騙しているだけでなく、取引先である魔王軍に対してすら、甚大な『買いたたき』を犯している悪徳クライアントだということです」




