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第28話 決死の抵抗

 昨夜の赤提灯での、見知らぬ同志との熱い酒盛り。その心地よい疲労と余韻を引きずったまま、私は見習い聖女寮の談話室にある特等席――ふかふかのソファーの上で、登り始めた朝日を浴びて丸くなっていた。


 大聖女アリシアの偽装魔法のおかげで、私の姿は誰の目にも「愛嬌たっぷりの小太り猫」である。四十二歳の中間管理職が、十代の美少女たちに囲まれて衣食住を保証される極楽と、カロリーと過剰なスキンシップで命を削られる地獄。その狭間で、こうして静かに微睡まどろめる朝の時間は、私にとって何よりのオアシスだった。


 猫耳を立てて聞こえてきたのは、アリシアが執務室へ入っていく音だ。彼女は教会上層部――元老院の理不尽な寮解体決定を覆すため、朝から各所への嘆願書や根回しの書類作りに追われている。教会のトップでありながら実権を持たない「名ばかり管理職」の彼女が、現場の少女たちを守るために必死に戦っているのだ。私も、私のやり方で彼女たちを守ると決めた。そのための作戦を練らなければ……と、うとうとしながら思考を巡らせていた。


 +++


 それは、唐突に訪れた。


 鼓膜をつんざくような轟音と共に、談話室の巨大なガラス窓が粉々に吹き飛んだのだ。


「ミャギャッ!?」


 私は爆発音に心臓が止まるほど驚き、ソファーから無様に転げ落ちた。そのまま本能に従ってソファーの裏側に転がり込み、頭を抱えてブルブルと震える。

 破られた窓から室内に雪崩れ込んできたのは、朝の清々しい空気を完全に汚染する、どす黒く禍々《まがまが》しい瘴気しょうきだった。


 バサリ、バサリと巨大な背中の羽を羽ばたかせ、談話室の絨毯の上に次々と降り立ったのは、筋骨隆々で恐ろしい角を生やした魔族たちのようだ。その数、ざっと二十体以上。彼らが放つ圧倒的な暴力の気配に、談話室の空気は一瞬にして氷点下まで凍りついた。


「……チッ。朝イチの突発タスクが、こんな小娘どもの寝床の解体とはな。上の連中も趣味が悪いぜ」


 魔族たちの中心から、ひときわ巨大で威圧感のある大悪魔が一歩前に進み出た。漆黒の鎧をまとい、鋭い眼光を放つその男は、面倒くさそうに首を鳴らしながら低くしゃがれた声で宣言した。


「我々は魔王軍だ。クライアントからの正式な依頼により、ただいまをもってこの見習い聖女寮を完全に破壊する。……悪く思うなよ、これも仕事なんでな」


 魔王軍。その単語に、私はソファーの陰で息を呑んだ。

 私はここで異世界の恐ろしさを再認識した。こんなに恐ろしくて強そうな魔王軍と戦う人間。勇者召喚を繰り返して対抗しようとするのも納得した。


「キャアアアッ!」

「な、なに!? どうしたの!?」


 凄まじい破壊音と魔族の咆哮を聞きつけ、奥の部屋から見習い聖女たちが慌てて駆けつけてきた。皆、まだ寝起きのパジャマ姿のままだ。


「……っ! みんな、大丈夫?!」

 寮のお母さん的存在であるクレアが、とっさにルミナとノノを自身の背後に庇う。

「魔族……!? なんでこんなところに!」

 体育会系のミーシャが素手で構えをとるが、その足は二十体以上の精鋭が放つ殺気にガクガクと震えていた。

「いや……こないで……暴力……こわい」

 男性への深いトラウマを抱えるエルザは、魔族たちの筋骨隆々とした暴力的な姿に過去の恐怖をフラッシュバックさせたのか、顔面を蒼白にしてその場にへたり込んでしまった。


「あなたたちさがって! よくも私の大切な場所に……!」


 アリシアが執務室から飛び出し、少女たちの前に立ちはだかった。その手には神聖な光を宿した杖が握られている。大聖女としての強大な魔力が彼女の全身から立ち上り、魔族たちの瘴気と激しく衝突する。


「ほう、さすがは大聖女。だが、てめえ一人で俺たち精鋭二十体を相手にできるとでも思っているのか?」

 大悪魔のリーダーが鼻で笑う。


 アリシアは唇を強く噛み締めた。彼女の卓越した戦闘経験が、瞬時に絶望的な戦力差を弾き出していたのだろう。まともにやり合って勝機はあるのだろうか。たとえアリシアが数体を倒せたとしても、残りの魔族が背後の見習い聖女たちに襲いかかれば、彼女たちは一溜まりもない。


「……クレア、ミーシャ! 私がこいつらを抑える! その隙に、みんなを連れて裏口から逃げなさい!」


 アリシアは、大聖女としての誇りも、自らの命も投げ打つ覚悟を決めたような、悲壮な決意を込めた声で叫んだ。


「そ、そんな! 先生を置いて逃げるなんてできません!」

「いいから行きなさい! これは命令よ!」


 振り返らずに叫ぶアリシアの背中は、孤軍奮闘を強いられた悲しき管理職のそれだった。現場の少女たちを救うため、自らが盾となって使い潰されることを選んだのだ。


 私はソファーの陰で、ガチガチと歯の根を鳴らしていた。

 怖い。どう考えても怖い。私はただの四十二歳の日本のサラリーマンだ。チート能力も魔法もない、ただの小太りのおっさんなのだ。こんな化け物たちの前に飛び出せば、文字通り一捻りで瞬殺だろう。


『波風を立てず、平穏にやり過ごす』

 それが私の処世術だったはずだ。ここで息を潜めていれば、猫一匹くらい見逃されるかもしれない。逃げる少女たちについていけば、生き延びられるかもしれない。


 ――でも、それでいいのか?


 親に売られそうになったクレア。

 男の暴力に怯えるエルザ。

 暗闇を恐れるルミナ。

 親に捨てられたノノ。

 大聖女にあこがれるミーシャ。

 そして、何の実権もない中で、不器用に現場を守ろうと泥水をすするアリシアの背中。


 この世界で、私を「不要なゴミ」として見捨てず、無償の愛と居場所をくれた彼女たちを。

 かつての私のように、理不尽な上層部の都合で切り捨てられるのを、また黙って見過ごすというのか。


「ゴロニャ(……ふざけるな)」


 私の口から、低く、おっさんとしてのドスの効いた声が漏れた。

 気がつけば、私はソファーの陰から飛び出していた。

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