第24話 非情な宣告
「はぁ、はぁ……」
「ふぅ、ふぅ……」
一時間に及ぶ地獄の特訓が終わり、私とエルザはプールサイドのデッキチェアへ横に並んで倒れ込んだ。
私はだらしなく大の字になり、エルザも風紀委員の威厳を保つ余裕もなく、濡れた髪を床に散らして息を整えている。
「……ミーシャの体力は、バケモノですね……」
エルザの呟きに、私は「ミャァ(全く同感です)」と深く頷いた。
ミーシャは「ウチ、もうひと泳ぎしてくる!」とまだ元気にプールを泳ぎ回っている。彼女の底なしの体力には呆れるほかない。
しばらくして呼吸が落ち着いてくると、エルザが体を横に向け、私のほうを見つめた。
水に濡れた彼女のまつ毛が、午後の日差しを反射してキラキラと光っている。
「……ヒロシは、本当に不思議な猫ですね」
エルザが、ぽつりと語り始めた。
「私、男の人が本当に苦手なんです。……厳格な教会の教義を信じて育ちました。清く正しく生きることがすべてだと」
彼女の瞳から、スッと光が消え、暗い影が落ちた。
「でも、私がいた教会の神官は違った。立派な祭服を着て、神の教えを説きながら……裏では欲望にまみれた、下劣な獣でした」
私は無言のまま、彼女の言葉に耳を傾けた。
「ある夜、その神官に無理やり部屋に押し入られ……手込めにされそうになったんです。力では絶対に敵わないという恐怖。あの男の醜悪な息遣いと、欲望にまみれた目。……今でも、思い出すだけで吐き気がします」
エルザの声は微かに震えていた。
彼女がどれほど深いトラウマを抱え、男性という存在そのものに恐怖と嫌悪感を抱いているのか。その過酷な過去の傷跡が、生々しく伝わってくる。
「だから、私は逃げ出した。そして、アリシア先生に拾われ、この見習い聖女寮にやってきました。ここは男子禁制で、誰も私を傷つけない。私にとって、ここは唯一の安全な居場所なんです」
エルザはそう言うと、そっと手を伸ばし、私の濡れた頭を優しく撫でた。
「ヒロシがここに来た時、あなたが『オス』だと知って、正直に言えば少しだけ怖かったんです」
「ミャ……?」
「でも、ヒロシは全然違った。私の言うことをよく聞いてくれて、一緒に消毒層に入っても、ただ怯えているだけで……」
彼女はふわりと、心底安心したような微笑みを浮かべた。
「オスであるはずなのに、ヒロシからは少しも嫌な気配がしない。むしろ、私のことを心の底から心配してくれているような、そんな温かさを感じるんです。……ありがとう、ヒロシ。あなたが来てくれて、本当によかった」
エルザのその言葉に、私は胸の奥を強く締め付けられるような思いがした。
彼女は、大人の男によって深い傷を負った。そして今、彼女が心から安心し、家族のように信頼してくれているこの小さな猫の正体は、彼女が最も恐れている「大人の男」なのだ。
騙しているという罪悪感が、針のように心を刺す。
だが同時に、私は強く実感していた。
親に売られそうになったクレア、スラムで生き抜いてきたミーシャ、化け物扱いされたルミナ、孤独だったノノ、そして、男の暴力に怯えていたエルザ。
小太り猫としてこの寮で過ごすうちに、私は彼女たちの過酷なバックボーンを知った。
彼女たちにとって、この見習い聖女寮は単なる生活の場ではない。外界の悪意から身を守り、心を癒やすための、唯一無二の安全な居場所なのだ。
「ミャオン……(私は、あなたを二度と傷つけさせはしませんよ)」
私は彼女の震える手に、自分の頬を擦り付けた。
オスである自分を恐れず、信頼し、家族として扱ってくれる彼女たちの思いに、何としても報いたい。
私は事なかれ主義で生きてきた卑怯なおっさんだが、彼女たちのこの安らかな笑顔を奪うような理不尽が迫るなら、決して許してはおけない。
温かい日差しの中で、エルザと共にプールサイドで微睡みながら、私は静かに、しかし確固たる決意を固めていたのだった。
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その日の夕暮れ。
水泳特訓の心地よい疲労感に包まれていた見習い聖女寮の談話室は、突如として重く冷たい静寂に支配されることとなった。
重々しい音を立てて扉が開き、大聖女アリシアが姿を現したのだ。
彼女の表情は青ざめ、いつもの凛とした威厳は見る影もない。まるで魂を抜かれたように虚ろな瞳をした彼女は、集まってきた見習い聖女たちを前に、絞り出すような声で残酷な事実を告げた。




