第22話 アリシアの絶望
『教会予算の抜本的見直しに伴う、見習い聖女寮の解体、および所属する見習い聖女の辺境部署への強制再配置を通達する』
『本決定に異議を唱える、あるいは抵抗の意志を見せた場合、大聖女の権限および職位を即刻剥奪するものとする』
「な……っ!」
アリシアの口から、声にならない悲鳴が漏れた。
手が震え、羊皮紙がカサリと音を立てて床に落ちる。
聖女寮の解体。
それは、アリシアにとって自らの命を奪われるに等しい宣告だった。
あそこは、ただの寮ではない。スラムでゴミのように扱われ、泥水をすすって生きてきたアリシアが、かつての自分と同じように過酷な過去を背負った少女たちを保護し、ようやく与えることができた「唯一の安全な居場所」なのだ。
親に売られそうになったクレア、ストリートチルドレンだったミーシャ、化け物扱いされて暗闇に閉じ込められていたルミナ、男の暴力に怯えていたエルザ、孤独の中で本だけを頼りに生きてきたノノ。
彼女たちを、過酷な辺境へバラバラに飛ばすだと? そんなことをすれば、あの純真な少女たちは再び地獄へ突き落とされ、使い潰されてしまう。
「冗談じゃない……!」
アリシアは椅子を蹴り倒すようにして立ち上がった。
怒りで視界が赤く染まる。教会上層部――元老院の老人どもは、自分を失脚させるためだけに、あの罪のない少女たちの人生を人質に取ったのだ。
補助金の不正を嗅ぎ回ったことへの、露骨すぎる報復。そして、圧倒的な権力による暴力。
「あいつら……絶対に許さない!」
アリシアは顔色を変え、ドレスの裾を振り乱しながら執務室を飛び出し、元老院の会議室がある本部の最深部へと駆け出した。
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「通しなさい! ゲルドバ枢機卿は中にいるんでしょう!」
元老院の重厚な扉の前で、アリシアの悲痛な叫び声が響いた。
両脇を固める屈強な衛兵たちが槍を交差させ、彼女の行く手を冷酷に阻んでいる。
「元老院の会議中です。大聖女様といえど、許可なき立ち入りは禁じられております」
「どきなさいと言っているの!」
アリシアが強引に衛兵を押し退けようとしたその時、重々しい音を立てて扉が内側から開いた。
中から姿を現したのは、筆頭枢機卿ゲルドバをはじめとする、元老院の老人たちだった。彼らは冷ややかな、まるで路傍の石でも見るような目でアリシアを見下ろした。
「騒々しいですね、アリシア。大聖女としての品格を疑われますよ」
ゲルドバが薄く笑いながら言い放つ。
アリシアは彼に詰め寄り、猛烈な抗議の言葉をぶつけた。
「これはどういうことですか! 見習い聖女寮の解体!? あの子たちは関係ないでしょう! あれは教会の未来を担う聖女たちを育てる、神聖な施設です!」
「元老院の決定事項です。それ以上でも、それ以下でもありません」
ゲルドバは表情一つ変えずに、冷酷に言い放った。
「防衛費の高騰により、教会の財政は厳しい状況にあります。あのような生産性のない施設に維持費を割く余裕はないのですよ。見習いとはいえ、彼女たちも教会の礎。各部署へ再配置し、しっかりと身を粉にして働いてもらうまでのこと」
「嘘よ! 財政が厳しいのは、あなたたちが私腹を肥やしているからじゃない! 私の動きを封じるために、あの子たちを人質に取るなんて、恥を知りなさい!」
アリシアの悲痛な叫びが廊下にこだまする。
しかし、ゲルドバは全く取り合わず、鼻で笑った。
「言葉には気をつけることです。大聖女とはいえ、あなたには何の実権もない。我々元老院が決定したことに従うのが、あなたの唯一の仕事です。……あなたが余計な嗅ぎ回りをしなければ、もう少し続いていたのかもしれないがね」
ゲルドバのその一言が、アリシアの心を鋭くえぐった。
自分が動いたせいで。自分が、あの子たちの居場所を奪ってしまった。
「……撤回して。お願いだから、この決定だけは撤回しなさい!」
アリシアはなりふり構わず、それでも決定を認めずゲルドバの祭服にすがりついた。大聖女としてのプライドなど、もうどうでもよかった。あの子たちを守れるのなら、泥にだって這いつくばる。
しかし、ゲルドバは汚いものでも払うかのように、アリシアの手を冷酷に振り払った。
「衛兵。大聖女様は少しお疲れのようだ。つまみ出せ」
「はっ!」
二人の衛兵が、アリシアの両腕を力ずくで掴み上げた。
「離して! ゲルドバ! あなたたちは腐っている! 絶対に許さないわ!」
アリシアの抵抗も虚しく、彼女は床を引きずられるようにつまみ出されていく。
バァン、と冷たく重々しい音を立てて、元老院の会議室の扉が完全に閉ざされた。
圧倒的な権力と理不尽の壁。それに抗うための武器を、今の彼女は何一つ持っていない。
衛兵に廊下へ放り出されたアリシアは、その場に膝をついた。
「……どうして」
ポツリと、震える声が漏れる。
「どうして……あの子たちが、こんな目に……」
助けられなかった。自分が無力なばかりに、一番守りたかったものを奪われようとしている。
冷たい石造りの床に顔を覆い、アリシアは声を出して泣き崩れた。大聖女としての完璧な仮面は砕け散り、そこにはただ、理不尽な世界に絶望する一人の無力な少女の姿しかなかった。




