第18話 生活延長
大聖堂での歴史的な告発劇を終え、私とアリシアは裏手にある大聖女専用の豪華な控室へと戻ってきた。
扉が閉まった瞬間、アリシアは大きく息を吐き出し、豪華な祭服の胸元を軽く押さえた。大舞台をノーミスで乗り切った疲労と、重圧から解放された安堵がないまぜになったような表情だ。
「やりましたね、アリシアさん」
私は首元の巨大な赤いリボンを自らほどきながら、彼女に声をかけた。
「あなたの堂々とした告発、お見事でした。ダングロウドも完全に言い逃れできずに拘束されましたし、これで教会に巣くう腐敗も一つ取り除けましたね」
「ええ、本当に……あなたのおかげよ、ヒロシ。あの場であなたが腹を括って立派な腹を見せてくれなかったら、言い逃れされていたかもしれないわ」
アリシアは心底ホッとしたように微笑み、ソファに深く腰を下ろした。
「これで、私の『生きた証拠』としての役目は終わりましたね」
私は純白のシルクのケープを丁寧に脱いで畳みながら、少しだけ肩の荷が下りたような、それでいて一抹の寂しさを感じるような複雑な心境で言った。
「これで私も、人間の姿で堂々と表を歩けます。異世界でのツテは相変わらずありませんが、何かまともな仕事を探して、自分のお腹は自分で養えるようにしますよ」
事なかれ主義の私としては、これ以上国家レベルの陰謀や権力闘争に関わるのは御免だった。誰にも迷惑をかけず、目立たず平穏な日常を取り戻す。それが、この異世界で生き延びるための最善の道だ。
しかし、アリシアは私の言葉を聞いて、少しだけ目を伏せた。
「……ヒロシ、あなたには今回の件で本当に恩があるわ。もしあなたが望むなら、もう少しだけ、あの寮にいてもいいわよ?」
「え……?」
「あなた、異世界の常識もまだ分かってないし、特別な魔法やスキルもない無防備なままでしょ? 今放り出されても、また行き倒れるか、別の悪党に捕まるのがオチよ。……それに、あの子たちもあなたのことを気に入っているみたいだしね」
アリシアは少し早口で、視線を逸らしながらそう提案してきた。
確かに、彼女の言う通りだ。私一人でこの過酷な異世界に放り出されても、明日生きていける保証はどこにもない。無能な私が安全に衣食住を確保できる場所は、現状あの見習い聖女寮以外に存在しないのだ。
私は深く頭を下げた。
「……他に行く当てもありません。お言葉に甘えて、もう少しだけお世話になります。恐縮です」
「そう? なら決まりね」
アリシアは先ほどまでの伏し目がちな表情から一転して、まるで悪女のようにニヤリと口角を上げた。
「じゃあ、また可愛い猫ちゃんに戻ってもらわないとね。あそこは男子禁制の聖域だもの」
彼女が楽しげに指を鳴らすと、再び温かい光が私を包み込み、私は「愛嬌たっぷりの小太り猫」の姿へと逆戻りした。
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見習い聖女寮へ帰還すると、玄関を開けるやいなや、黄色い歓声が私たちを包んだ。
「先生! ヒロシちゃん! お帰りなさい!」
談話室では、ミサの結果を知らずにそわそわしながら待っていた見習い聖女たちが、一斉に駆け寄ってきた。
「作戦は大成功よ。ダングロウドは近衛騎士に逮捕されて、彼の団体も解体されるわ」
アリシアが笑顔で報告すると、少女たちは手を取り合って飛び上がり、大喜びした。
「やったー! 先生、さすがです!」
「あの悪いおじさん、捕まったんですね! よかった……!」
彼女たちの目には、祭壇で腹を晒したよれたスーツのおっさんの存在は知らない。大聖堂で活躍した私の正体がバレていないことに、私は心底安堵した。
「ヒロシちゃんも、大舞台で先生のお供をして、お利口にできたのねぇ」
クレアが私を抱き抱え、頬ずりをしてくる。
「ミャオン(ええ、まあ、体を張りましたから)」
「ふふっ、偉い偉い」
完全にペットとしての扱いに戻った私を、エルザが優しくブラッシングし、ルミナが背中に抱きつき、ミーシャが腹の肉を揉む。相変わらずの揉みくちゃぶりだ。
その時、私がここへ来たときにアリシアが言っていた『とある問題が片付くまで面倒を見る』という言葉を思い出したミーシャがふと心配そうな顔で言った。
「でもさ、事件が解決したってことは……ヒロシちゃん、元の飼い主のところに帰しちゃうの?」
その一言で、談話室の空気がピタリと止まった。少女たちの表情から笑顔が消え、不安げな視線が私とアリシアに注がれる。
「やだ! ヒロシちゃんは私たちの大事な家族です!」
クレアが私を強く抱きしめ、涙目でアリシアに懇願した。
「ヒロシちゃんがいない生活なんて考えられません! 聖女寮の守り神として、ずっとずっと一緒にいたいです!」
「……ルミナも、ヒロシがいないと夜眠れない」
「風紀委員としても、これほど癒しを与えてくれる猫を手放すのは寮の損失だと考えます!」
見習い聖女たちの必死の引き止めと、私に向けられる無言の圧力。
中間管理職として数々の板挟みを経験してきた私だが、十代の美少女たちの涙目と無償の好意に逆らうことなど、到底不可能だった。ここで私が「いや、いつかは出て行く」などと言えば、彼女たちを深く傷つけてしまう。
「ミャ、ミャァ……(仕方ない、事なかれでいきましょう……)」
私は諦めの境地に至り、自らクレアの豊かな胸の中にすっぽりと収まり、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「あら、ヒロシはここがお気に入りのようね。あなた達がしっかりとお世話をするなら、もう少しここで飼ってもいいわよ」
アリシアが呆れたように笑いながら許可を出すと、談話室は再び割れんばかりの歓喜に包まれた。
こうして、私の見習い聖女寮での生活は延長されることになった。事件は解決したものの、すっかり情が移った美少女たちに揉みくちゃにされる、極楽で過酷な猫ライフはまだまだ続くらしい。
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しかし、ヒロシ、アリシア、見習い聖女5人が平和な日常を取り戻した裏で、事態は確実に悪しき方向へと動き出していた。
教会本部の最深部。陽の光が届かない薄暗い円卓の部屋に、ローブを深く被った枢機卿たちが集まっていた。
教会の実権を握る「元老院」のメンバーたちである。
「それにしても、あのお飾りの大聖女……アリシアの小娘が、少しばかり調子に乗っているようだな」
別の枢機卿が、不快そうに顔を歪める。
「我々が用意した神輿のくせに、自らの意思で動き、我々の利権を嗅ぎ回るとは。……これ以上、好きにさせるわけにはいかん。邪魔なものは、根こそぎ潰すのだ」
おっさんと大聖女が完全なる勝利を手にした裏側で、教会の真の暗部である元老院が、ついにその牙を剥こうとしていた。
事なかれ主義で生きようとするヒロシに、国家転覆レベルの最大の試練が迫っていることを、この時の彼らはまだ知る由もなかったのだ。




