第17話 不正の証明
「ええ、お見せしましょう。あなたが絶対に言い逃れできない、真実の姿を」
大聖堂に集まった数千人の群衆が固唾を呑んで見守る中、大聖女アリシアの凛とした声が響き渡った。
彼女はゆっくりと私の頭上に白魚のような美しい手を差し伸べ、短く呪文を紡いだ。
「偽りのヴェールよ、解けなさい」
瞬間、私の体を温かい光が包み込んだ。
これまで私を「可愛い小太り猫」として周囲に誤認させていた、最高位の偽装魔法が解除されていく感覚があった。光が粒子となって空中に溶け込んでいくと同時に、祭壇の上の空気が、文字通り凍りついた。
パイプオルガンの余韻すら消え失せた、完全なる静寂。
数千人の視線が、アリシアの足元に一点集中している。
そこにはもう、愛嬌たっぷりの小太り猫の姿はなかった。
代わりに存在していたのは、よれたスーツに身を包んだ、四十二歳、薄毛進行中の中年男性――つまり、私である。
しかも私は、猫の演技の延長で四つん這いの姿勢をとったままだった。さらに最悪なことに、私の体には、今朝クレアとエルザに無理やり着せられた「教会の紋章入り、純白シルクの特注ケープ」と、首元には「巨大な赤いリボン」がしっかりと結ばれている。
四十路のメタボおっさんが、メルヘンチックなケープと赤リボンをつけて、大聖堂の祭壇で四つん這いになっているのだ。
圧倒的なシュールさ。この世の終わりとしか思えない地獄絵図である。
「な……なん、だ、それは……?」
最前列の来賓席に座っていたダングロウド男爵が、目を限界まで見開いて、間抜けな声を漏らした。
無理もない。大聖女の足元にいたはずの可愛い猫が、突如として変態的な格好をした中年男性にすり替わったのだから。
会場の貴族や役人たちも、あまりの光景に言葉を失い、完全に思考が停止しているようだった。
私は羞恥心で顔から火が出そうになりながらも、事なかれ主義で培った「どんな理不尽な状況でも表情に出さない」という中間管理職のポーカーフェイスを維持し、ゆっくりと二本足で立ち上がった。
そして、コホンと一つ咳払いをして、乱れたスーツの襟元と、純白のケープを直した。
「失礼。少しばかり、窮屈な思いをしておりましてね」
私の口から出たのは、可愛らしい「ニャー」という鳴き声ではない。長年クレーム対応で鍛え上げられた、落ち着いたトーンの低い大人の男の声だ。
「き、貴様っ……! 神聖なる大聖堂の祭壇に、そのような薄汚い格好で上がりおって! 近衛騎士は何をしている、早くその不審者をつまみ出さんか!」
ダングロウドが我に返り、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
しかし、アリシアがそれを片手で制止した。
「お待ちなさい、ダングロウド男爵。彼は不審者ではありません。彼こそが、あなたが国と教会から補助金を受け取って保護していた『迷い人』の一人です」
「は……?」
「名前はヒロシ。あなたが提出した実施報告書に記載されている、哀れな迷い人の男性ですよ」
アリシアの言葉に、ダングロウドの顔からスッと血の気が引いていくのが分かった。
彼は私が自分のもとからローラ(アリシアの偽装姿)に引き取られていった売れ残りのおっさんであることに、ようやく気づいたらしい。
「ば、馬鹿な! あいつがなぜ大聖女様のそばに……」
ダングロウドは額に脂汗を浮かべながら、必死に言い逃れようと声を張り上げた。
「し、しかし私の報告書は完璧だ、彼には重病の治療を間違いなく施した!」
完璧な書類。確かに、おそらく王国の悪徳役人と結託しているであろう彼にとって、書類上の辻褄は合っているのだろう。
だが、実際の現実は書類の通りにはならない。私は中間管理職として、本社が作ってきた「完璧な数字の計画書」が、現場の実態といかにかけ離れているかを死ぬほど見てきた。
「証拠なら、ここにありますよ」
私は静かにそう告げると、ダングロウドに向かって一歩前に出た。
そして、首元の巨大な赤いリボンを少し横にずらし、よれたワイシャツの裾を掴んで、下から一気にまくり上げた。
ボヨンッ!
大聖堂の荘厳な空気の中、私の立派な「メタボ腹」が白日の下に晒された。
運動不足とストレス、そして見習い聖女寮で毎日クレアから与えられていた高級クッキーや甘いおやつの数々によって育て上げられた、豊満でぽっこりとした超健康的なお腹である。
再び、大聖堂が静まり返った。
数千人の視線が、私の腹の肉に釘付けになっている。おっさんとしてはこれ以上ないほどの生き恥だが、ここまで来たら毒食わば皿までだ。私は胸を張り、さらに腹を突き出した。
「ご覧の通りです、男爵」
アリシアが私の横に立ち、よく通る声で宣言した。
「あなたが提出した実施報告書には、このヒロシに対し『重病につき緊急開腹手術を施した』とあり、数百万ギロアもの費用を国に請求しています。……しかし、彼のお腹には、メスを入れた傷跡など一つもありませんね」
彼女の指摘は、誰の目にも明らかだった。
私の白くてたるんだ腹には、手術の痕はおろか、虫刺されの跡一つない。どこをどう見ても、メタボだがどこも切られていない、超健康体のおっさんそのものである。
「あ、あ、ああ……っ」
ダングロウドは口をパクパクとさせ、後ずさりした。
「さらに、彼には短期間に高額なワクチン接種を二回も行ったことになっていますが、教会の専属医に診せたところ、彼の体内からはそのような抗体反応は一切検出されませんでした」
アリシアは次々と事実を突きつけ、彼を精神的に追い詰めていく。
「男爵。あなたは『哀れな迷い人を救う』という甘い言葉で信者たちから集めた聖布金と、国民の血税を、存在もしない病気のでっち上げによって己の懐に入れた。これは紛れもない、国家と教会に対する重大な詐欺行為、および横領です!」
決定的な矛盾を突きつけられ、ダングロウドの「完璧な書類」という防壁は完全に崩れ去った。
会場からは、怒りと非難の声が津波のように湧き起こった。
「なんてことだ、我々の浄財を……!」
「悪徳貴族を許すな!」
「迷い人を食い物にしていたのか!」
怒れる群衆の熱気の中、ダングロウドは完全に膝から崩れ落ちた。
「ち、違う、私はただ、爵位を維持するために少しばかり……」
言い訳にもならないうわ言をこぼす彼の元へ、国王直属の近衛騎士たちが重々しい足音を立てて歩み寄り、その両腕を容赦なく拘束した。
「ダングロウド男爵、国家詐欺および横領の容疑で同行願う」
抵抗する気力すら失った彼は、そのまま惨めに引きずられ、大聖堂から連行されていった。彼が立ち上げた「おっさん愛護団体」という名の搾取システムは、ここに完全に失脚し、崩壊したのだ。
圧倒的な沈黙。悪徳権力者に対する、完全なる成敗が成立した瞬間だった。
私はまくり上げていたシャツを下ろし、ほっと息をついた。これでようやく、私の「生きた証拠」としての役目は終わったのだ。




