第15話 架空請求
夜の教会本部への極秘潜入から一夜明けた、見習い聖女寮の朝。
柔らかな朝日が差し込む談話室のテーブルの上には、昨夜アリシアと共に地下書庫から持ち帰った大量の「実施報告書」が山のように積まれていた。
「……うん、やっぱりこれ、完全に黒だね」
大きな丸眼鏡を押し上げながら、ノノが分厚い書類の束を素早くめくっていく。彼女の目は、獲物を狙う鷹のように鋭く数字の羅列を追っていた。
「ダングロウド男爵の提出している書類、日付の矛盾や不自然な金額の計上が多すぎます。特に医療費関係がひどい。これなんて、同じ『迷い人』に対して、一ヶ月の間に三回も盲腸の手術をしたことになっていますよ」
「盲腸が三回!? どんな体の構造してんのさ、そいつ!」
ミーシャが呆れたように声を上げ、エルザは「信じられません。神への冒涜です」と眉間に深い皺を寄せた。
私は猫の姿のまま、テーブルの端で香箱座りをしながらその様子を眺めていた。
横領の手口としてはあまりにも杜撰だ。日本の会社なら、経理部から一発で突き返されるレベルの粗末な書類である。だが、教会上層部や王国の悪徳官僚が結託して意図的に審査を素通りさせているのだとすれば、このザルな請求書こそが、彼らの腐敗を証明する確固たる証拠となる。
「あ、見てこれ!」
書類の束をあさっていたミーシャが、一枚の羊皮紙を引っ張り出して声を上げた。
「『ヒロシ』っていう名前のおっさんの請求書だ! うちのヒロシちゃんと同じ名前だね!」
ミーシャはそう言って、書類と私を交互に指差して無邪気に笑った。
私は思わず「ビクッ」と毛を逆立てた。
そうだった。この寮の美少女たちは、私が大聖女アリシアによって偽装魔法をかけられた「保護おっさんのヒロシ」だとは夢にも思っていないのだ。「たまたま同じ名前の、可愛い小太り猫」だと信じ切っている。
「本当ですね。ええと、このヒロシという男性の直近の請求は……『重病につき緊急開腹手術、費用三百万ギロア』。それに、『高額ワクチン接種二回』……」
エルザがその請求書を読み上げると、談話室の空気がサッと冷えた。
「ミャ、ミャァァ!?(いやいや、俺どこも切られてないけど!? 超健康体なんですけど? メタボだけど……)」
私は心の中で激しくツッコミを入れながら、思わず立ち上がって書類を覗き込んだ。三百万ギロアといえば、この世界ではかなりの大金だ。ダングロウドの奴、私が売れ残っているのをいいことに、私の名前を使ってとんでもない額の架空請求をでっち上げていたのか。
「……ひどい。迷い人のおじさんたち、そんなひどい病気の手術ばかりさせられたことにされて、助成金を騙し取ってるの?」
クレアが悲痛な顔で両手で口を覆う。
「……ダングロウド、許せない」
ルミナも私の背中の毛をぎゅっと握りしめ、静かな怒りを燃やしていた。
彼女たちの純粋な善意と怒りに、私は居心地の悪さを感じていた。
すまない、その「手術をさせられたように装わさせられた可哀想なおじさん」は、今君たちの足元で猫のふりをして、毎日おやつをもらってゴロゴロしている私なんだ。事実を知ったら、君たちはどんな顔をするだろうか。
「皆、確認ご苦労様」
その時、執務室からアリシアが姿を現した。彼女はいつも通りの完璧な大聖女の微笑みを浮かべていたが、その瞳の奥には、氷のような冷たい怒りが静かに燃えているのが分かった。
「これで、連中を追い詰める準備は整ったわ。この証拠を持って、明日の『大規模ミサ』で、ダングロウドの不正を公の場で糾弾するわ」
アリシアの宣言に、見習い聖女たちは一斉に力強く頷いた。
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そして翌朝。聖都の巨大な大聖堂で執り行われる「大規模ミサ」の日がやってきた。
数千人の信者や貴族、王国側の役人たちが集う教会の最大行事であり、大聖女であるアリシアが最も注目を集める舞台だ。
私は「生きた証拠品」として、彼女と共に大聖堂へ向かうことになっていた。
「さあヒロシちゃん、じっとしててね! アリシア先生の補佐として大舞台に出るんだから、完璧におめかししなきゃ!」
出発の直前、談話室ではクレアとエルザによる容赦ないグルーミングが始まっていた。
「ミャ、ミャァー!(いや、別に俺は表に出るわけじゃないから!)」
必死の抵抗も虚しく、私は二人の間に挟まれ、高級な猪毛のブラシで念入りにブラッシングをされる。毛並みがツヤツヤになるのは満更でもないが、問題はその後に着せられた衣装だ。
「よし、完璧! 教会の紋章入りの特注ケープよ!」
クレアが満足げに私のよれたスーツの上に着せたのは、真っ白なシルク生地に金糸の刺繍が施され、首元に巨大な赤いリボンがあしらわれた、王子様のような(しかしおっさんには致命的に恥ずかしい)特注ケープだった。
「聖女寮の猫として、これほど相応しい清らかな装いはありません。ヒロシ、とても似合っていますよ」
エルザが目を輝かせて拍手をする。
四十路のメタボおっさんが、シルクのケープに巨大な赤リボン。鏡を見るまでもなく、自分の姿が滑稽で痛々しいことは想像がつく。
「ミャオン……(もう、どうにでもしてくれ……)」
私は諦めの境地に至り、事なかれ主義のスイッチを入れて完全にされるがままになった。波風を立てるより、今は彼女たちの自己満足に付き合うのが最短の業務遂行だ。
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大聖堂の裏手にある、大聖女専用の豪華な控室。
開演の鐘が鳴るまであと少しという時間、室内にはアリシアと私の二人だけがいた。
「……ふぅっ」
鏡台の前に座るアリシアが、深い溜息をついた。彼女は純白の豪華な祭服に身を包み、大聖女としての威厳に満ちていたが、その手は微かに震えていた。
「緊張しているんですか?」
私は偽装魔法がかかったままの姿で、二本足で立ち上がり、人間の言葉で話しかけた。大聖女の偽装魔法は当事者間では機能しないため、彼女には私がいつもの小太りのおっさんに見え、声も普通に聞こえている。
「……そりゃあね。今回の告発は、ダングロウド以外にも教会上層部や王国の役人に真っ向から喧嘩を売る行為よ。もし失敗すれば、私は大聖女の座を追われるだけじゃなく、あの寮の子供たちにも危険が及ぶかもしれない」
アリシアは鏡越しに私を見つめ、弱音を吐露した。
表向きは完璧な聖女を演じている彼女だが、中身はまだ若い女性だ。何千人もの前で、巨大な権力を持つ悪徳貴族を糾弾するのだから、プレッシャーを感じない方がおかしい。
私は彼女の足元まで歩み寄り、かつて部下を励ます時に使っていた、中間管理職ならではの「リラックス術」を伝授することにした。
「アリシアさん。重要なプレゼン……もとい、大舞台の前に緊張するのは、相手を『自分より偉い人間』『自分を評価する人間』だと思っているからです」
「え?」
「いいですか。客席に座っている貴族や役人たちなんて、ただの『着飾ったジャガイモ』だと思ってください」
「ジャ、ジャガイモ?」
「そうです。彼らは見栄えがいいだけで、中身は土の中で育ったイモです。そしてダングロウドに至っては、『腐ったイモ』です」
私が真顔でそう言い切ると、アリシアはポカンとした後、吹き出すように笑い始めた。
「ふふっ……あははは! ジャガイモって、あなたねぇ……!」
彼女は肩を震わせて笑い、先ほどまでの張り詰めていた緊張が嘘のように解けていった。
「『腐ったイモ』を処理するのに、わざわざ緊張する必要はありません。私たちが持っているのは、彼らを完全に潰せる確固たる証拠です。堂々と、事務的に、淡々と事実を突きつけてやればいいんですよ」
私がウィンクをして見せると(アリシアの目にはおっさんの痛いウィンクに映っているだろうが)、彼女は震えが止まり力強く頷いた。
「ありがとう、ヒロシ。あなたの言う通りね。腐ったイモどもに怯えてなんていられないわ」
アリシアは立ち上がり、大聖女としての凛とした表情を取り戻した。
「行くわよ、私の最高のバディ。私たちの手で、あのイモを分解して土に返してやりましょう」
「ええ、喜んで」




