9.蟻の一穴
「はあ?何言ってるんだ、きみは」
ネイサンは呆れたようにため息を吐いた。
「頭がおかしくなかったのか」
「ふふ、あなたが思っているよりはずっと、正気だと思うわ」
少なくとも、あなたよりは。
私が答えると、ネイサンはふたたび、苛立たしげにため息を吐いた。
恋人との逢瀬を邪魔されて、こんな問答をしているのが馬鹿らしいと思っているような、そんな素振りだった。
いい加減にしてくれとでも言うように、彼は首を横に振った。
「婚約解消なんてできるはずがないだろ。平民の婚約とは、訳が違うんだぞ?」
「あら、不可能ではないわよ?少なくとも、あなたなら不可能ではない。違う?」
臣下である私が婚約解消を申し立てるのは、現実的に不可能だ。
だけど、王位継承権第一位を持ち、王太子である彼なら──不可能ではない。
(ただ、不可能ではないってだけで、大変なのは間違いないけど)
でも、できないことはないのだ。
私の言葉に、うんざりしたようにネイサンが「あのさぁ」と苛立ちを隠すことなく言った。
「いい加減にしなよ、フローラ。感情的になってるんだろ。気が動転してるのか?きみが、僕を愛していたとは知らなかったよ」
ペラペラと言葉を並べて、ネイサンが言う。
「当てつけのつもりか?それとも脅しか?だけどそんなのは無意味だ。僕はきみを愛することはない」
どこかの小説のテンプレセリフのようなことを言って、ネイサンが私を見る。
最後通牒だとても言いたげに。
「感情的になって咄嗟に出た言葉なんだろうけど。ああ、クソ!本当にきみと話しているとイライラしてくる。気分は最悪だ。早く消えてくれないかな?」
いつの間にか、蛍の姿はずいぶん減っていた。
もうじき、蛍涼祭が終わるのだろう。
私はそれを寂しく思いながら、思わず笑ってしまっていた。
「ふっ……ふふふっ」
「は?何が面白いんだよ!?」
珍しく、ネイサンが声を荒らげた。
それにメルンシアが怯えたように顔を俯かせる。それを慌てて慰めるネイサン。茶番だ。
(感情的になってるのはネイサン。あなたの方ではなくて?)
私は顔を上げてふたりを見る。
「さっき、私は言ったわ」
ゆっくりと、私は言葉を続けた。
「……あなたが思うより、私はずっと正気だと」
この時のために、時間をかけた。準備をしたのだ。
我が国には、古い伝承がある。
それは神話のようなもの。
だけどその言い伝えを信じて、王家は因習を続けている。
それは、儀式に生贄を捧げるというもの。
生贄のことを【夜明けの花嫁】と呼び、儀式に捧げる悪習を、王家はこの千年もの間、続けている。
伝承の内容は、こうだ。
【昔、太陽神と恋仲の娘がいた。だけど娘は、太陽神を裏切り、地上の男と恋に落ちた。その罰として、太陽神は地上から光を奪った】
……つまり、朝を奪ったのだ。
朝が来なければ当然、昼も来ない。
世界は闇に固定された。
さながら、極夜のように。
国は当然混乱した。
そして、初代国王は生贄を用意することにした。
太陽神を裏切った娘──初代王妃を生贄にしたのだ。
国王は、自らの妻を差し出した。
彼女は色違いの瞳をしていたという。
そして、その娘を生贄に捧げた途端、世界に朝は戻った。
太陽神は言った。
百年に一度、生贄を捧げよ。
さすれば百年は怒りを収めよう。
それを受けた王家は、それから千年。
欠かさず、生贄を捧げてきた。
それが、この国の内情。
(国民どころか、貴族だって知らない風習だわ)
私が知っているのは、前世小説で読んだから。フローラが、生贄に捧げられる理由を。
この悪習を知っているのは、王家と儀式に捧げられる花嫁、そしてその生家だけ。
だからこそ、王家は新たな風習を作った。
【恋は愛人とするもの】という風習だ。
王家は、愛するひとを生贄に捧げたくなかったのだ。
私は顔を上げて、ネイサンとメルンシアを見る。
そして、恐らくふたりにとっては、突拍子もないことを口にした。
「実は、先日、体調を崩したの。倒れてしまったのよ。お医者様からは、精神的なものが理由だろう、と言われたわ」
「っ……」
私の言葉に、メルンシアがひゅ、と息を呑んだ。
その顔は青白くて、薄い体は震えている。
(責められていると感じたのかしら?)
そもそも、あなたに呼び止められて倒れたんだけど。忘れてないわよね??
様子のおかしくなったメルンシアに、ネイサンが慌てて彼女の背を撫でる。
「メルンシア!大丈夫か?気分が悪いんじゃないか?早くこの場を離れよう」
「ネ、ネイサン。わたし……」
「このままだと私は、命を落とすかもしれないわ!」
私はメルンシアの言葉を遮るようにして声をはりあげた。
悪いけど、茶番を観覧する気は無いわ。
会話を遮られたメルンシアとネイサンがびっくりして私を見ていた。
「……と!心配になった私は、手を打つことにしたの。もし、私が何らかの理由で命を落としたら──。その時は、私を取り巻く全てを明らかにしようと思うの。……どうかしら?」
背中で手首を交差させて、私は窺い見るようにふたりに笑いかけた。
正しく意味を理解したのは、ネイサンの方。
ネイサンは、私があと半年ほどで死ぬと思っている。
今年の星夜祭の日。
私はその日に、儀式の生贄に捧げられる予定なのだから。
ネイサンは、私が儀式の花嫁にされることを知らないと思っている。
だけど私は『私を取り巻く全て』と言った。
ネイサンはその【全て】がどこまでを指すか分からない。
〈もしかしたらフローラは全て知っているのかもしれない〉
〈知っているなら、その【全て】は王家の秘密を意味している〉
〈確かめるか?だけど何と言って?〉
〈ああいう言い方をした以上、自分が死ぬのを知っているみたいだ。それならフローラは儀式のことを知っている──?〉
と、こんな感じで、疑心暗鬼に陥っているのだろう。
ネイサンは酷い顔色で、その思考は手に取るようにわかった。
(これは、時限爆弾)
私が死んだら、発動するようにできている爆弾だ。
(もっともこれが明らかになったら……本当の爆弾が城に投げ込まれるのも、時間の問題かもしれないけどね)
千年続く儀式。
その生贄にするために、王家は花嫁を貰ってきた。
この事実が明らかになれば──民は、近隣諸国は、ネロワロー王家をどう見るかしら?
何がきっかけで、王政が崩れるか分からないのだ。
蟻の一穴、という言葉がある。
この事実がどう作用するか分からない以上、王家の答えは……ネイサンの答えなど、分かりきっていた。




