8.取引いたしましょう?
暑いあの日。
私がメルンシアを呼び出したですって?
冗談は、その夢見がちな思考回路だけにしてほしい。
本当に、私は馬鹿だ。
初恋なんて呪縛に囚われて、自分を蔑ろにされることに慣れてしまっていた。
慣れは、痛みを麻痺させた。
愛のために振り回されるのも。
【私】を良いように消費されるのも。
もうごめんだ。
謹んで、お役目は返上いたしますわ。
「涼蛍祭──欠席しろと言われたのに参加してしまってごめんなさい。メルンシア。お父様が許してくれないのよ」
先手を打って言うと、メルンシアがバッと顔を上げた。その顔は宵闇にあってもなおわかるひどに青ざめていた。
「欠席しろと言ったのはあなただわ……!フローラ!」
そしてこの後に及んで、その嘘をつき通すことにしたらしい。
(嘘でしょ??図太すぎない??)
その精神の太さはもはや天晴れである。
(本気で言ってたらどうしよう)
その場合、一気に話が変わってくる。真夏のホラーなんてお望みではないのよ……!
私は笑みを深めてメルンシアを見た。
蛍が舞う幻想的な光景の中、私は言った。
「まさか。そんな恥知らずなこと、言えるはずがないわ。思いつきもしなかったくらいよ」
「嘘よ……!!」
「フローラ。メルンシアを刺激しないでくれ。それに、この涼蛍祭は」
(そうね。ネイサン。あなたはメルンシアの肩を持つでしょうね。彼女の話を信じるはずだわ)
なぜなら、ネイサンはメルンシアを愛しているのだから。
だから、根拠なく彼女の肩を持つのだ。
いえ、たとえ根拠が見つかったとしても、何かしら理由をつけて、彼はメルンシアを擁護するのだろう。
そういうひとだと、私はもう既に知っている。
「ネイサン。あなたにも言いたいことは沢山あるわ。まず、そもそも、四つの四季の行事は、王家主催よね?あなたは、婚約者である私をエスコートしなければならない。そのマナーをご存知ないはずがないわよね?王太子ともあろうひとが」
「それは」
ネイサンは言葉を詰まらせた。
戸惑うように彼の視線が揺れる。
手を緩めず、私はさらに言った。
「今まで……ハッキリと抗議してこなかったからそれでいいと思った?私なら、何も言わないだろうから、良いだろう、と?」
「あのさ、フローラ。いい加減にしてくれないか?」
うんざりしたような冷たい声が響く。
心底、うんざりしたような声だ。
その声に、以前の私ならきっと怯えていた。
でも、今は引く気がない。
引き下がる気はなかった。
私の未来がかかってるのだから、当然だわ。
ネイサンはあからさまにため息を吐くと、ぐしゃりと前髪をかき混ぜる。
「今になって何でそんなこと言うのかな……今まで、きみだって納得ずくで受け入れてただろ?それもメルンシアがいる前で。時と場所を考えなよ。そういうところが、無神経だって言ってるんだ」
「…………あなたに無神経と言われるのは、流石に傷つくわね」
驚きにも似た声が出た。
「本当のことだろ?普通の人間なら、メルンシアの前でそんな話しようなんて思わない」
「そうね。普通の人間ならそもそも、王家主催のパーティーに愛人を同伴させようなんて思わないわね。まさかあなたに、気遣いの必要性を説かれるなんて、思いもしなかったわ」
無神経はどちら?という話だ。
私の心底驚いたような声に、ネイサンはカッとなったようだった。
怒りのあまり息を呑んだのが気配で分かった。
「黙って聞いていれば……!!フローラ、お前は何様だ!? 口を慎め!!今、僕はメルンシアとの時間を楽しんでいた!あとからやってきて何だ!?不敬罪で投獄してやろうか!」
早口で、まくし立てるように言う彼に、私は思わず、クスクスと笑ってしまった。
「あら。できるものならやってみてくださいな」
全てをシャットアウトするような話し方は、彼の癖なのだろうか。
私は──以前の私は、彼にこうしてまくしたてられると、もう何も言えなくなっていた。
物理的に割り込むタイミングがなかったというのもあるし、一返せば十で返ってくるのだ。
これ以上彼に嫌われたくないという思いも手伝って、私は返す言葉を失っていた。
だけどそれも、もうおしまい。
私はネイサンとメルンシアを見るようにしながら言葉を続けた。
「もっとも、あなたは何と言ってこの状況を説明するのかしら?婚約者ではなく愛人と逢瀬を交わしていたら、婚約者が訪ねてきたので、投獄した?……ふふ、国民に知られたら大変なことになりそう」
「僕を……脅す気か!?」
「それこそ、まさか」
ネイサンは、信じられないものを見る目で私を見てきた。
まるで、国賊でも見つけたかのような顔だわ。
(恋に逆上せあがって……何も、見えていないのでしょうね)
恋を前に、常識も、ひとの目も、気にしていられないのだろう。
自分がどう見られ、どう思われているのかなんて、ネイサンはきっと、考えてもいない。
ネイサンのお父様──国王陛下も、愛人をそれはそれは愛していたという。
王妃陛下と愛人の繰り広げる愛憎劇は、今でも社交界で話題になるほどだ。
今のネイサンを見ていると、血は争えないのかと思ってしまう。
(昼ドラさながらの愛憎劇のキャストなんて……真っ平御免だわ)
しかもその主要キャスト。
是非とも降板させてもらいたい。
私は、脇役Fくらいでちょうどいい。
平凡で穏やかで、慎ましくも静かな生活を送れたら、それで十分だわ。
私は肩を竦めて、ため息交じりに笑った。
「……ただ、私は巻き込まれたくないだけよ。あなたたちが悲劇に酔うのは構わない。だけど、それに私を巻き込まないで」
「悲劇……?」
「メルンシアは、私の存在を邪魔──コホン。私の存在に、胸を痛めているのでしょう?その度に、あなたは傷ついたメルンシアを慰めている。……違う?私をダシにして、イチャつく材料にしてるのでしょ?そんな使われ方をされるのはごめんだわ」
生贄の話は、しない。
それで正気に戻られては困るからだ。
だから、感情論でいく。
そうすれば、ネイサンは恋を起因とした感情ベースで答えを出すだろうから。
「ネイサン。別に私は、あなたと諍うためにここに来たわけではないわ。あなたに提案があるの。きっと、メルンシアにとっても良い話だわ」
取引をいたしましょう?ネイサン。
こちらから差し出す旨みの返答は、既に分かっている。
どちらにせよ、ネイサンに配られるカードは、YESの記載しかないのだから。
私は笑みを浮かべて、彼に提案した。
「この婚約、解消しましょうか」




