10.メルンシアの行方
「あなた方は、私をひとりの人間として見ていないのね。だから、反抗されると腹を立てる。違う?」
「ど……うして、それを、お前が!」
「どうしてかしらね?まあ、もっとも──誰かの犠牲で成り立つ国家なんて、必要ないんじゃないかしら。……というのが、私の考えなのだけど。どう?」
「な……お前、何を言って?」
唖然としたようにネイサンがこちらを見る。
だから私は、ふたたびにっこりと笑みを見せた。
「だから──犠牲の上で成り立つ国なんて、なくなってしまえばいいのではない?って、思うのだけど。ぜひ、王太子殿下のご意見も聞いてみたいところね」
「な……ネロワローという国を、潰すつもり……か?」
ここになって、ようやくネイサンは私の言葉を理解したらしい。顔を蒼白にして、彼が信じられないものを見る目を私に向けてくる。
「そんなことしたら、罪のない民まで巻き込んでしまう。そんなことはしないわ。ただ、もう二度と、儀式なんかできないようにする必要はある、と思っているわ」
「何を……するつもりだ!?」
「それは、起きてからのお楽しみ♡……ということで、ハイ、お喋りはここまで。起きたらきっと、世界が変わっているわ。ねえ、アシェル?」
振り返って彼を仰ぎ見れば、アシェルが頷いてポケットから取り出した小瓶を、ハンカチに湿らせているところだった。
それを見て、何をされるか察したのだろう。ネイサンが大声をあげようと息を吸ったが、彼が叫び出す前にアシェルが手に持っていたハンカチを、彼の口元に押し当てた。
「ンンンン!ンン!!」
「ああほら、暴れると薬の周りが早くなるわよ?まあ、熟睡はできるでしょうけど」
「ンンーーー!!ンン!!」
ハンカチに染み込ませたのは、発揮性のある眠剤だった。チラ、と視線を向ければネイサンはあっという間に夢の中。
「おやすみなさい、いい夢を」
これで、王手。
眠りに落ちたネイサンの寝顔からは──過去の面影を感じさせた。
あどけない寝顔は、意図せず昔の記憶を呼び覚まさせる。
(もし──)
だから、かしら。
つい、考えて、しまう。
もしかしたら、の未来。
彼と、笑い合える日々も、有り得たのだろうか……なんて、ね。
思わず考えてしまうのは、知っているから。
ネイサンと過ごした日々は、最悪の一言だった。
何が最悪かというと、最悪な日々にでも、楽しい出来事もあった、ということ。
誰しも、そのひとを嫌いになる時、ふとした時に……そのひととの楽しい記憶もあったことを思い出してしまうのは……あることなののではないかしら。
きっとこれは……この感傷を抱くのは、私だけではない。そう思う。
『ねえ……!ネイサン、どうして私にチューリップの……ブーケを?』
『だって、きみは、チューリップが好きなんでしょう?』
他愛のないやり取りを、思い出してしまう。
あの時はただ純粋に、他意もなく、想っていたから、こそ。
「…………はぁ」
私はため息を吐いて立ち上がった。
過ごした時間が長ければ長いほど、想起する出来事も自然と多くなる。
だけど、それはそれ。これはこれ、だわ。
許せないことは、許せないもの。
私はネイサンが大嫌いになった。
何より、ミリアを巻き込んだことが心底許せない。
それはもう、理論とかを超越した何か。感情論だ。
だけど──だからといって、過去、彼を想っていたフローラまで蔑ろにする必要は、無い。
私に必要なのは記憶の整理、というラベル貼り。
昔の記憶を、過去の私が抱いた感情を、その日々を、ぐちゃぐちゃにする必要は無い。
自らの手で壊す必要は無い。
ただもう、思い返したりしない。
ちゃんと、整理し終えたから。
ラベルは貼った。
「恋愛感情って、本当厄介」
ぐっと腕を伸ばして、呟く。
「なんでこんなひとを好きだったの?とか、正気に戻った時のショックが激しいというか……。そもそも恋愛自体、正気を失わないとできないわよね」
と、オモワスそのようなことを口走っていた。
だってもう、色々と信じられない。恋は盲目、とはいうけれど、今まで見て見ぬふりをしてきた違和感を、きっと私は奥底に沈めてきた。
今思うと、どうしてあの時ああしなかったの?とか。
ああ言えばよかった、とか、後悔が次から次に湧いてでる。
「……そういえば、あなたたちは、想うひととか、いないの?」
どちらの話も聞いたことがない。
ふたりは、婚約の話が出ても断っていると聞いた。
実はいいひとがいる可能性もある。
そう思ってアシェルを見ると、アシェルはアシェルでなにか考え込んでいたらしい。ハッとしたように、彼が私を見る。
「……アシェル?」
「ああ、いや。……そろそろ行こう?ミリアが痺れを切らしてるかも」
「ええ、急ぎましょうか」
(うーん……?)
今、明らかに話をそらされた、ような気がする。
けど。気のせいかしら?
いや、と私は思い直す。
(アシェルは今年十七歳。多感な時期だし、あまりこういう話はしたくないのかも)
姉弟とはいえ、こんな時に聞く話でもない。
私はひとり、反省会を開くのだった。
そこで、ハッと思い出したことがあって、顔を上げる。
私は、既にバルコニーに足を向けていたアシェルを呼び止めた。
「ねえ、アシェル」
「どうしたの?」
「今から地下に行くわけだけど……万が一に備えて、保険が欲しいわ」
私の言葉に、アシェルは私の意図を理解したようだった。
☆
城の警備兵の姿は見えない。
廊下には誰一人姿が見えないので、もし何も知らない第三者が足を踏み入れたら、その異様さに戸惑うことだろう。
予め予定していたルートで降りると──
「っあ!姉様。おかえりなさい!」
壁に背を預けたミリアが、私たちに気がついてにっこりと満面の笑みをうかべた。
「ミリア……!無事でよかった。怪我はない?」
尋ねると、ミリアは満面の笑みを浮かべて答えた。
「もちろん!相手は、実戦経験の少ない兵隊よ?取るに足らないわ」
得意げに言うミリアを、上から下まで怪我がないか確認するように見つめる。確かに、怪我はしていないみたい。
それより、気になったのが──
「……それはミリアの武器?」
首を傾げると、ミリアは手に持っていたそれ。
刃先が柔らかく、柔軟性に優れている武器は、目にしたことがない類のものだった。尋ねると、ミリアが、武器に視線を落として答える。
「これ?私の獲物!ウルミ……っていうの」
「ミリアは、こう見えて武闘派だよ」
アシェルが続けて言う。
ミリアがウルミ……という武器を丸めてコートの内側に収納するのを見ながら、アシェルは続く地下への扉を確認する。
「僕は長剣より短剣派。大剣より、短剣派。だけどミリアは全部逆」
「そうなの……!?」
この細腕の、一体どこにそんな力が……??
困惑してミリアを見ると、ミリアは少し気恥ずかしそうに頬を染めた。
「巡回の近衛がそろそろ来るかもしれない。急ぎましょう」
声をかけると、ふたりとも頷いて答えた。
ちらりとアシェルに視線を向けると、先程の相談の通り、アシェルが仕掛けを施す。
それから──ゆっくりと、私たちは階段を降りる。
地下への階段は真っ暗で、魔力灯がなければ、降りるのは困難だっただろう。
「こ、こわぁい……姉様……」
「お前、いつもこのくらい──」
「こわあい!!くっついてもいい!?」
アシェルが何か言いかけた言葉を、ミリアが大きな声でさえぎった。アシェルが何を言いかけたのかも、ミリアが甘えたがっていることも把握した私は、それを微笑ましく思いながらくすくすと笑みをこぼす。
「いいけど、足元には気をつけてね。下が見えないから、なおさ──……」
最後まで、言葉は音にならなかった。
なぜなら、見てしまったから。
魔力灯で照らした足元──進行方向に、見覚えのあるものが、落ちていた。
白のリボン。
あれは──メルンシアがいつも、身につけているもの……ではない?
息を呑んだ私に、アシェルとミリアも続けて、私の視線の先を追う。
それから、ふたりとも、顔を険しくしたよう……だった。
「あれ……メルンシアのものよね」
硬い声でミリアが言う。
アシェルが声を潜めて、続けた。
「どうして彼女が地下に向かったかはともかく……気をつけて進んだ方がいいみたいだね」
アシェルの言葉に、私もミリアも、頷いて答えた。




