2.初恋の終わり
夢を見ていた。
さっきまで、メルンシアと話していた会話だ。
まるで映像を巻き戻しているかのよう。
私は真っ白な顔を赤く染める彼女を見て、心配になった。
炎天下の中、外に出て大丈夫なのかしら……?
(彼女が倒れたらネイサンが心配するわ)
彼女が倒れたら、ネイサンは足繁くメディリアン公爵邸に通うのだろう。
手ずから看病を行って、花を持って見舞いに行って。
……私には、一度もされたことがない、それらを。
当たり前のように行い、それを受け取る彼女が──
(いい、な)
私はまつ毛を伏せた。
胸が、じくじくと痛む。
まるで、切りつけられたかのような、苦しい痛みだった。
(ネイサンは、メルンシアといる時、すごく柔らかく笑うの……)
それだけではない。
まるで、宝物に触れるように優しく、そっと接するのだ。
蜃気楼のためか、彼女の足がぼやけて見えた。
その時、か細い声が聞こえてきた。
『蛍涼祭を……休んで欲しいの……』
メルンシアの声だ。彼女の声はいつも、とても小さい。
ともすれば、聞き取り損ねてしまうほどに。
私は一瞬、彼女が何を言っているのかすぐには理解できなかった。
彼女の白い頬は赤く染まっている。
この暑い日差しにより、紅潮しているのだろう。
『だけど蛍涼祭は……』
夏の始まりに催す【蛍涼祭】。
本格的な夏が来る前に、冷涼を取り入れて、夜の涼しさを楽しむお祭りだ。
この国では、各シーズンに一度、大きな催しがある。
春は色彩祭。
夏は蛍涼祭。
秋は豊穣祭。
冬は星夜祭。
その四つの祭りは王家が主催する。
私は、いつも彼と一緒に参加していた。
王家主催のパーティーを、王太子の婚約者である私が欠席できるはずがない。
だけど──
メルンシアは訴えるように私を見た。
『蛍涼祭は、愛する人と過ごすもの、でしょ……?』
『──』
その言葉の意味を理解して、私は絶句した。
(ネイサンと一緒にいたいから、私に欠席しろと言っているの……?)
言葉を失う私に、メルンシアが懸命に言葉を紡いだ。
『お願い、フローラ……。私はいつも、外に出られるわけでは……ないの。あなたも知ってるでしょ……?でも、その日だけは……どうしても、一緒に、いたいの』
一語一句、噛み締めるようにしてメルンシアは言った。
辛うじて、私は答えた。
『それは、できないわ。ネイサンの婚約者は、私、だもの。欠席は……できない』
ネイサンと私は政略結婚だ。
愛は無い。恋も無い。……はずだった。
彼が私を見る瞳は、メルンシアを見る瞳とは、全く違う。
それを、私は誰よりも知っている。
『初めまして、きみが僕のお姫様?』
庭で、彼と初対面を果たした。
私に手を差し伸べている彼は──まるで、私をどこかへ連れて行ってくれるかのようで。
ネイサンと初めてあったのも、夏のはじまりの日だった。
一目惚れだったのだ。
どうしようもないほどに。
『……どうして?』
メルンシアの震えた声が聞こえてハッと顔を上げた。
彼女は泣きそうな顔をして、頬を赤く染めて、震えていた。
『どうして、気を使ってくれないの……!!どうして、私の気持ちを分かってくれないの……!?どうして、どうして……っ』
彼女の息は荒くなっていく。
発作が起きてしまう。
そしたら、ネイサンになんて言われるか。
こんな時までネイサンの顔色を窺う自分に、彼に嫌われたくないと思う自分に自嘲した──その時だった。
『あなたはもっと……私に配慮すべきだわっ……』
掠れたその声に、気がつけば言っていたのだ。
『配慮は強要するものではありませんわ。お体が弱いのは気の毒に思いますが、それは他者を思いのままに動かすカードではありません』
するりと、口からこぼれおちていた。
☆
「ん……」
気がつくと、私はどこかのベッドに寝かされていた。
(ここは……王都のタウンハウスね……)
まだ、頭がぼんやりとする。
私は……。
窓から差し込む光を見るに、まだ陽は沈んでいないみたい。
私はそっと、額の上に手の甲を置いた。
(確か……そうだわ。王都の大通りで偶然メルンシアと会ったんだったわね)
どうして彼女、体が弱いのにあんなところにいたのかしら?
今日は、例年にも珍しい猛暑日だというのに。
「はぁ……まだ気持ち悪い」
さっき見てた夢は、私が前世の記憶を取り戻すきっかけとなった、メルンシアとの会話だ。
配慮しろだの気を使えだの、無茶ぶりをされたのだった。
だいたい、今までだって散々、譲歩してきたでしょう……!!
(公的行事だって、ちゃっかりメルンシアはネイサンの隣にいたし?メルンシアがパーティーに参加するなんてなったら、私はもう空気よ空気!!)
メルンシアの参加=私のエスコート役の不在だ。
彼女の参加を事前に知る度に、私は弟にエスコートをお願いしていた。
『次の夜会は、メルンシアが参加するんだ。
会場で会おう』
ネイサンのメッセージカードはそれだけだ。
乱暴な筆跡は、よほど急いでいたのだろう。
彼女の参加が嬉しかったのだと思う。
彼はきっと、このメッセージカードを書き上げた次の瞬間にはもう、私のことなど気にもとめていないのだろうと思った。
なぜなら、メルンシアのドレスやアクセサリー選びで忙しいから。
後回しにされるのも、二番手に甘んじるのも仕方ないと思っていた。……諦めていた。
【これは政略結婚だもの】
だから、彼が彼女を愛するのも仕方のないことだ。
【メルンシアは体が弱いから】
だから、彼が彼女を優先するのも仕方のないことだ。
そうやって私は、自分を納得させてきた。
「貴族の責務だから……務めを果たさなければって思っていたわ。でも」
この先、私に待っているのは、儀式の壇上……とか。
そんなの、あんまりすぎるわ……!!
私は、私という存在を、この命を消費されるために生きてきたんじゃない。
私は額に置いた手を、強く握りしめた。
「……いいわ。あなたたちが愛を取るというのなら、それも構わないわ」
彼らは幸せを築くのだろう。
私という屍を築いて、その上で、何食わぬ顔で幸福を味わう。
愛を取るというのならどうぞご勝手に。
だけど──その犠牲にされるのは、ごめんだ。
もう、お利口ちゃんで何でも言う事を聞く人形はいない。
良い子の私はもうおしまい!
私はよしっ、と気合を入れて起き上がった。
儀式は私とネイサンの結婚式の夜、執り行われる。
──つまり、星夜祭の日だ。
私はベッドから降りると手早く髪を紐でひとつに結んだ。
腰まである髪は、桃色。
この、夕暮れ時のような、夢のような髪色は、私の密かな自慢でもあった。
髪を結んで、ライティングデスクの前に座る。
大丈夫。頭は冷えた。
策は──ある。
前世の記憶を取り戻したことで、活路は開けた。




