1.お断りですわ
「配慮は強要するものではありませんわ。お体が弱いのは気の毒に思いますが、それは他者を思いのままに動かすカードではありません」
気がついたら、するりと言葉が零れていた。
「な……どう、して、そんなこと……」
目の前の女の瞳が見開かれる。
ポソポソとした声は、震え、今にも泣きそうだった。
しまった……!と思う感情。
もうやってらんないわよ!!という感情。
ふたつが同時に込み上げてくる。
私は、フローラ・ローレンシア。
王太子殿下であるネイサンの婚約者であり、ローレンシア公爵家の長女だ。
だけどこれは、あくまで政略結婚。
貴族の夫婦は、互いに愛を求めないのが暗黙の了解だ。
恋は、愛人とするもの。
それが、我が国のルールであり、常識だった。
だから私も、ネイサンに愛を求めることはしなかった。
私は、私の【責務】を果たそうと──そう思ってきた。
だけど。
「どうして……どうして、そんなことを言われなきゃならないの!?あなたには、私の気持ちなんて分からないのに……!」
か細い声で彼女──メルンシアが言う。
彼女はメディリアン公爵家の一人娘で、そして王太子殿下の幼馴染。かつ、彼の【恋人】だ。
いつからネイサンと彼女が恋人になったかは分からない。
ただ──私とネイサンの婚約は私が生まれた時に成立した。
けれど、気がつけばいつも彼が優先しているのは、病弱の幼馴染だった。
『これ、メルンシアが好きそうだ』
あなたが優しげにはにかむのは、いつだってメルンシアの話をする時。
花を手に取って、美しい景色を目の当たりにして彼が思い浮かべるのは、彼女だった。
だけど、私の存在を完全に忘れているということはなく、忘れた頃に、私にも贈り物が届く。
『きみに似合いそうだと思って』
メッセージカードにはそう記されていた。
少なくとも、この花を選び、メッセージカードを書いている時は私のことを思い出してくれているのだと……私は嬉しかった。嬉しいと、思ってしまった。
ネイサンは優しかった。
……メルンシアが関わらない時は。
彼のエスコートは丁寧だ。
言動には気遣いがある。
顔も整っていて、スタイルも良い。
社交界の貴公子としても有名で、銀色の髪も相まって、私には彼が、煌めいているように見えたのだ。
だけど。
(いつから、だったかしら)
時々、彼の様子はおかしくなっていった。
急に気分を害して席を立つこともしばしばだ。
『……気分が悪い。今日はこれで帰る』
『え……!?今から、オペラの約束を』
『見たいならきみだけで見てくるといいよ。馬車はこのまま使うといい』
『…………』
ポツンと残された馬車の中はいやに広く感じた。虚しくて、とてもオペラなんて気持ちにはなれない。
込み上げるのは──恐れと、不安。
予定を突然キャンセルされることは……よくあった。
話の脈絡というものはない。
それまでニコニコ笑ってたひとが、急に冷たくなる。
その落差は、思った以上に私を不安にさせた。
最初は、私が何かしたのかと怯えていた。
だんだん、彼との逢瀬は、彼の顔色を伺うようになっていった──。
のだけど。
(う、んん?……んんんん?)
その時、まるでパズルのピースがカチリと嵌るように、私は光明を見た。
(………あら?モラハラでは?)
約束をドタキャン。
溜息を吐いたり、不機嫌であることを示し、私に謝罪させる。
なお、なぜ彼が不機嫌だったのか理由は解明できていない。
(ド、ドタキャン常習犯に、フキハラ……?)
説明しよう!
フキハラとは、不機嫌であることを理由に相手をコントロールしようとすることである。
「──」
その時、ピシャーン……!!と、私は雷に打たれたような衝撃を覚えた。
今、目の前には泣きそうなメルンシアがいるというのに。
私は凄まじい既視感と、衝撃を覚えていた。
(そう……そうだわ!!
そうよ!私、これ知ってる!!)
これは──この世界は、読んだことがある。
小説だ。前世、読んだ小説だわ……!
この小説、とんでもないメリバである。
これを読んだ時、非常に、ひっじょ~~~~に腹が立ち、怒りのあまりスマホ──読書媒体を投げた記憶があるもの!
なお、スマホはベッドに投げたので破損はしなかった!
(あまりの展開に一週間は引きずったもの……!!)
それからも定期的に思い出してはイライラするというオマケ付き……!
ここは、そのとんでもない理不尽メリバ鬱小説の世界……!!!!
(【生贄に捧げられた】……何だったかしら……!)
思考を目まぐるしく回転させて、私は答えに辿り着いた。
確か
【生贄に捧げられた幸薄令嬢は、隣国の冷酷王太子に溺愛されるようです】
とか、そんなタイトルだった気が……するわ……!
どうやら私は、転生した、らしい。
婚約者に自己肯定感をゼロにされた女が、今度は自己中に攫われ軟禁される、メリバ小説……!
その……よりにもよって、ヒロインに……!!!!
ザァッと血の気が引く感覚がした。
低血圧の時のような目眩でぐわんぐわんと世界が回る。
(ええ?つまり?)
このままいけば私は、生贄に捧げられて殺されそうになり。
隣国の王太子に偶然攫われ。
挙句……ストックホルム症候群により幸せに暮らしました──ってこと!?
(ぜ、絶対に嫌……!!!!)
精神的な嫌悪感から、吐き気もが込み上げてきた。
知らなかった。
気持ち悪さが頂点に達すると、鳥肌がものすごく立つ……!!
出来れば知りたくなかったわ……!
気がつけば、視界が傾いていた。
目の前には、涙を瞳いっぱいに溜めたままの──メレンシアが。
(まさか、病弱のあなたの前で卒倒?……なんてね)
このシーンは心当たりがない。
小説には描写がなかった場面かしら?
どちらにせよ、私はこのメレンシアにも生前、とんでもなく腹が立ったものである。
そして、言い返さなかったフローラにも。
だけど──今の私になって、理解した。
(ううん、フローラとして生きてきたからこそ、納得したんだわ)
私は、意図的に情報を遮断されて育った。
全ては王太子の婚約者として、ゆくゆくは王妃となるように教育を施されてきた。
私に求められているのは、清濁併せ呑むこと。
『王太子殿下をあまり困らせるんじゃない』
【恋人より、婚約者を優先して欲しい──少なくとも、公の場では】
その希望は、私のワガママだと却下された。
『お前はただ黙っていればいい。それがお前の役目だ』
お父様のその命令を、私は違和感を抱きながらも受け入れた。
──お父様は、ネイサンは。
私が【生贄】に捧げられることを、儀式当日まで教えなかった。
その日、私は初めて知る予定だったのだ。
お前は【夜明けの花嫁】だ、と。
青々とした空とたなびく白い雲が、揺れる視界の中、何重にも重なって見えた。
☆
「きゃああああ!!」
その場は騒然とした。
なぜなら、大通りの往来でいきなり、貴族令嬢が倒れたからだ。
すかさずフローラの護衛騎士と侍女が駆け寄ってきて、彼女を呼びかける。
メレンシアは、卒倒したフローラを見て衝撃を受けたのか、顔を蒼白にして震えていた。
「お嬢様!お嬢様、ご無事ですか?」
「呼吸はされております。貧血かもしれません」
「最近、食事の量が少なかったからかしら?」
「馬車にお運びし──」
侍女と騎士が話していると、そこに第三者の声が響いた。
社交界に出入りするものなら誰もが知っている。
王太子のネイサンだ。
「メレンシア!!メレンシア……!ああ、ここにいたのか……!!」
銀色の髪に、緋色のマントを身につけた彼は、俯くメレンシアのそばに駆け寄った。
気がついていないのだろう。
フローラには目もくれない。
「……顔色が悪いな。早く移動を」
「ネイ、ネイサン。ネイサン……!どうしよう」
そこで、メレンシアが顔を上げる。
血の気の引いた顔は真っ白で、今にも泣き出しそうな様子だった。
彼女は、ネイサンの白いシャツに縋るようにしながら、もう片方の手で自分の胸元を掴んだ。
「私……っ!息が、苦しくて!呼吸がっ……!」
メレンシアの言葉を聞いて、ネイサンがハッとしたように顔を上げる。
そして、手早くマントを外すと彼女に羽織らせる。
彼女の肩を抱き寄せ、焦ったようにネイサンが言った。
「メレンシアを早く……!涼しいところに!」
今日は、この夏もっともと言っていいほどに暑い。
(また……体調を崩したら)
ネイサンは、それだけが心配だった。
背後で介抱されるフローラのことは、今の彼の頭にはない。
そもそも、彼はフローラがここにいることにすらまだ気がついていない。
悪気なく、本心から、彼はこの場にフローラがいることに気がついていないのだ。




