2.人形に自我は要らない 【前】
僕は、メルンシアを追いながら忙しなく考えていた。
フローラが、儀式の内容を知っている?
(いや、そんなはずはない)
ローレンシア公爵は、フローラには言わないといっていたはず。
『ないとは思うが、騒がれたり、逃げられたりしたら面倒ですからね』と。
だけど──。
だが──。
頭の中が忙しい。
逆接語ばかりが頭を巡る。
(ああもう、いいんじゃないか?)
考えるのが面倒になって、俺は思考を放棄した。
元々、考えるのは僕の仕事じゃない。
父上が決めればいいだけの話だ。
儀式の花嫁がフローラだろうと、フローラでなかろうと、僕にはどうでもいい。
ちょっと瞳の色が珍しいからという理由で、花嫁に選ばれたに過ぎないのだ。
(だいたい、今更過ぎないか?)
さっきは驚きのあまり言えなかったが、時間が経つごとに苛立ちが増してくる。
嫌ならその時に言えよ。
何でそう突然なんだ?
あれは事故だ。
突然キレるタイプのヒステリーに絡まれたとしか思えない。
恋は愛人とするものだ。
だから、僕がメルンシアを優先することは何はおかしいことではない。
(公的行事のエスコート?そりゃ大切かも知れないけど)
どうせお前はすぐ死ぬ運命なんだ。
(あと半年くらい大人しくしてろよ、面倒だな……)
短く舌打ちをして、僕は夜の森を駆けていく。
メルンシアは体が弱いんだ。
こんな夜の森で走るなんて──もし、遭難でもしたらどうするんだ?
それもこれも、全部あのクソ女が悪い。
『…………あなたは私を蔑ろにしていたの?』
ああそうだよ。
お前はゴミみたいな存在なんだ。
使い潰されるだけの消耗品。
生まれた時からそう決まっていた。
現に、父親である公爵だってお前をそう見て、王家に出荷したじゃないか。
公爵に売られた時点で、フローラはただの歯車だ。
儀式を行うためだけの材料になった。
その道具が、意志を持ち、刃向かってきた。
(公爵はどう責任を取るつもりなんだか)
苛立ちが止まらない。
さっきは、生贄はフローラでなくても構わないと思ったが撤回だ。
『あなたが感情を優先するのなら、私も感情に従って動く。それが公平というものでしょう?』
君主制の国で、公平性を求めるのが間違っている。
王政を敷いたこの国では、身分の上下が定められている。
今までフローラだってその恩恵を受けてきたんだろう?
不自由しない生活。
使用人に囲まれて、当然のように世話をされて。
飯の心配も明日の心配も、寝床の心配だってする必要すらない。
それはなぜか?
それは、フローラが貴族だからだ。
貴族なら、貴族の義務を果たせよ。
(身分しか取り柄のない寄生虫が……)
今まで優しくしてやったというのに。
この仕打ちはなんだ?
恩を仇で返しやがって。
犬の方がまだ賢い。あいつは犬以下だ。
(早いところ生贄にされてしまえ)
そうすればメルンシアは気を病まずに済む。
僕は新婚早々、花嫁を喪った哀れな王太子と見られるだろうがそれで構わない。
後は、フローラを忘れられないとか言っておけば、再婚の話も避けられるだろう。
そして落ち着いたら、メルンシアと再婚すればいい。
百年に一度の儀式さえ成功させてしまえば、あとは自由なのだから。
「っきゃあ!」
その時、メルンシアの細い声が聞こえた。
見れば彼女は派手に転んでしまったようだ。
灯りもない中、暗闇を走り回るのは鍛えている人間でも難しい。
それに加え、メルンシアは、体が弱く、体力もない。
一度転んでしまうと、彼女はもう起き上がれないようだった。
「メルンシア!」
彼女のそばに駆けつけると、メルンシアは泣いていた。
口を手で覆って、声を抑えるように。
「ひ、ひど……い。ひどいわ……。ネイサン……フローラが好き、なの?」
「僕が好きなのはきみだよ。フローラとは政略結婚なんだ。結婚しなければならい。それが僕の責務だからだ」
「そう……そうなの。私はいつまで経っても、日陰者なのね……」
「っ……それは違う!今はまだ言えないけど、いつかきみを──」
儀式のことは、伝えられない。
言えば、僕は死んでしまう。
そうなるよう枷をつけられている。
部外者に儀式の内容を伝えることは禁忌中の禁忌。
僕には、枷が付けられている。父上も同様だ。
王家の人間は生まれた時に、秘密を漏らさないよう枷を付けられるのだ。
口にした途端、僕の命はそこで途切れる。
そういうふうにできている。
僕の言葉に、メルンシアの顔色が変わる。
まるで、裏切られた、と思っているような顔だった。
「嘘ばっかり!その場しのぎの慰めなんていらないんだから……!それならっ、今すぐフローラとの婚約を解消……ううん。破棄よっ、破棄!!フローラはっ……あなたを脅したのよ!?不敬罪で投獄できるでしょ……!?」
メルンシアは、僕の胸元を強く掴んで尋ねてきた。
珍しく、声を荒らげている。
そんなに興奮しちゃいけない。発作が起きてしまう。
僕は、回答に迷った。……答えられなかった。
「それは」
メルンシアを落ち着かせてあげたい。
頷いてあげれれば落ち着くのだろう。
だけど、それはできない。
上辺だけの慰めなんてしたら、取り返しがつかなくなる。
そんなことをしたらもう二度と、メルンシアは僕を信じてくれなくなる。
(どうすればいいんだ?どう──)
フローラの言う【全て】は何なのか?
それは彼女に聞いてみなければわからない。
僕がメルンシアをただ優先して彼女を放ったらかしにしていたことを指すのか。あるいは儀式を指すのか。
前者なら放っておけばいい。
そんなもの公表されたところでどうとでもなる。
鼻で笑い飛ばしてやるさ。
だけど、もし後者なら。
……クソ、まずいことになった。
(……メルンシアは、僕の婚約者になりたがっている)
だけど、それはできない。
メルンシアを大切に思っているからこそ、できないのだ。
答えられない僕に、メルンシアはふたたび涙をこぼした。
しゃくりあげながら、彼女は尋ねた。
「…………ねえ。ネイサン。何を……隠してるの?」
「え──」
「あなたがなにかを隠してるのは……知ってるの」
息を呑んだ。
メルンシアはさらに言葉を続ける。
「それも、フローラに関わること、よね?どうして、私に教えてくれないの?」
「それは」
気付いているのか。
動揺は、すぐに彼女に気付かれてしまった。




