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レポート006 謎の美女 ― 所在不明

 ある日の夕刻、王都中央広場は数千の群衆が発する熱気と、祈祷の合唱に包まれていた。


 国を挙げての勇者召喚。


 国教の最高枢機卿たちが円陣を組み、天を衝くほどの魔力光が噴き上がる。

 光の柱が収まったとき、そこには、異世界から転移させられた好青年と、美しい女性が立っていた。

 

 群衆は狂喜した。二人の姿は、あまりにも神々しく、特に女性は、人々の理想を形にしたような美貌を湛えていたからだ。

 人々は口々に、彼女を「救世の乙女」と呼びだし、彼女の慈悲深い微笑みに酔いしれた。



 だが、ギルドの資料編纂室の窓からその光景を見下ろしていたホリィだけは、激しい吐き気を覚えていた。


 眼鏡を外したホリィの「眼」に映っていたのは、美しい女性ではない。その場所だけ、空間がぐにゃりと歪み、周囲の光を不自然に吸い込んでいる「空洞」だった。



(……あれは、人間じゃない。召喚の器を間違えたのね)



 すると、群衆の歓呼を浴びていた女が、ふと、視線を上げた。

 数千の人間を飛び越え、部屋の窓際に立つホリィと、まっすぐに目が合う。



 女は、首をもたげると、唇を、嫌悪感を催す角度でゆっくりと釣り上げた。



* * * * *



 その日の深夜。ホリィは一人、資料編纂室で残務に当たっていた。

 羽根ペンの走る音と、時折鳴る建物の軋みだけが支配する、閉鎖された空間。



 コンコンーー



 唐突に、ドアを叩く音がした。

 ホリィの指が止まり、ドアを見る。紙に一滴、インクが滴り落ちた。


 夜警やエドなら、「ホリィさん、まだいたのかい?」と声をかけながら、そのまま入ってくる。ノックだけで返事を待つような行儀の良い者は、この職場にはいない。



 コン、コンーー



 二度目の音。先程よりも幾分ゆっくり叩かれる。ホリィは無言で席を立つと、靴を脱ぎ、息を殺してドアへと近づいた。


 ドアの隙間から漏れる気配が、凍りつくように冷たい。

 

 彼女は迷わず、内側からかんぬきをかけ、鍵を二重に回した。



 ガチャガチャガチャッ!!



 施錠の直後、ドアノブが獣の牙で噛まれたかのように、猛烈な勢いで上下に揺さぶられた。



 もし一秒でも判断が遅れていたら、そのノブを回していた「何か」と対面していただろう。

 やがて、狂ったような振動が止まり、重苦しい静寂が訪れる。



 コンコンーー



 再び、静かな音が響く。


「ホリィ、ホリィ。まだいるかい?私だよ。今朝の件、確認したいことがあって。開けてくれないか?」


 ドアの向こうから聞こえてきたのは、気の良い年配のギルド員の声だった。

 抑揚も、間の取り方も、完璧に「彼」そのもの。


 完璧過ぎる声に、ホリィの背筋には冷たい汗が流れた。

 その声には、生物特有の、呼気の震えがなかった。スピーカーから再生されているかのような、あまりにも平坦で、均一な音の波。


 ……これは声真似ですらない。ホリィの脳にある「知り合いの声」という情報を引き出し、そのまま出力しただけの「現象」だ。



 しばしの沈黙。



 ホリィが何も答えないと分かると、ドアの向こうから、人の喉では出し得ないほど低く、鋭い音が漏れた。


 チッ。


 苛立ちを隠そうともしない、剥き出しの舌打ち。

 気配が、ゆっくりと遠ざかっていく。



 ホリィは、ドアに背を預けたまま、朝まで羽根ペンを握りしめて震えていた。



* * * * *



 翌朝。ホリィは、一睡もしていない重い瞼を擦りながら、何事もなかったかのように報告書をめくっていた。


「……勇者と共に召喚された女性。ロザリィと名乗ったそうですが、昨夜、王城の宿舎から『忽然と姿を消した』そうです」

「……王城の警備も形無しね。よほどおいたが過ぎる『お嬢様』なのかしら」


 ホリィは昨夜の強烈な舌打ちを思い出し、不快そうに目を細めながら、そっけない皮肉を返した。


(……呼び出したのは、救世主なんかじゃない。明確な敵意を持った、世界の『壊れ』そのものよ。昨日のは、ご挨拶ってところかしら)



「ところでホリィさん、昨日は徹夜ですか?服とその目の隈、何かあったんですか」

「仕事が立て込んでたの……それだけよ」

「そうですか。今日は早めに上がってください……今、新しい珈琲淹れてきますね」


 エドの後ろ姿を目で追う。


 ホリィは、一晩中放置され、完全に冷めきった珈琲の残りを、まだ少し震える指先で掴んだ。それを一気に喉へと流し込み、無理やり眠気を吹き飛ばす。


 窓の外では、新しい「勇者」が、救済を掲げて平和な街へと繰り出していく。

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