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レポート005 透視 ― 変死

 斥候にとって「透視」スキルは、生存率を劇的に引き上げる強力な武器だ。

 壁の向こうの魔物、地面や宝箱に掛けられた罠、そして壁に隠された秘密の通路。


 ライナスの「眼」は、パーティーの窮地を何度も救ってきた。


 スキルレベルが上がり、より「深く」まで見通せるようになったあの日。

 見えてはいけないものまで、見えるようになった。



「……ライナス、休憩するか?さっきから様子が変だぞ?」

 ダンジョンの薄暗い通路を歩いている時、戦士のボルグが不思議そうに声をかけてきた。

 ライナスは答えられなかった。


 透視を起動している彼の視界では、ボルグの右肩に、真っ黒な「何か」があった。

 輪郭がぼやけていて形は分からない。ただ、口らしきものだけが見える。

 

 そこにあるべきでない、何かがいる。




 カチ、カチ、カチカチカチ




 時折、歯を剥き出しにして打ち鳴らす乾いた音が、ライナスの鼓膜を直接叩くように響く。



「……あぁ、いや、なんでもない。罠がないか確認してただけだ……

 それよりもボルグ、おまえ、何か聞こえるか?」

「おいおい、俺の耳でわかるわけねーだろ」

「そうだよな」

 ライナスは必死に視線を逸らした。


 ボルグにそれとなく「肩が重くないか」と聞いたが、

 それでも彼は「絶好調だ」と笑うだけだった。



 その日から、視界の端に違和感が残るようになった。

 透視を使っていない時でも、完全には消えない。


 黒い何かはパーティメンバーの肩を気ままに移動しているようだった。

 彼らを飲み込むでも、何かをするでもなく、ただその肩にいるだけ。



 何かは、ライナスだけを見ていた。

 いや、正確には、「視えている人間」を見ているのだろう。



 その日から、日常は摩滅していった。

 探索中も、街に戻っても、透視を切っているはずの視界の端に、

 あの「歯」が見えるようになった。


 黒い何かは常にパーティーの誰かの肩に乗り、

 ライナスが近くにいるとカチカチと音を鳴らす。


 彼には、それが、嬉しそうな音にしか聞こえなかった。



 耐えられなくなった彼は、ある日の夕食後、パーティメンバーに切り出した。


「悪い、俺はパーティを抜けさせてもらう」

「突然だな」

「すまない……」

「最近思い詰めた顔をしてると思ってたが……何が理由なんだ?」

「黙ってたんだが、少し前から……体調が悪くて」


 適当な病名を理由にパーティーを抜けることにした。

「しばらくは一人にさせてくれ。休みたいんだ」


 

 心配する仲間たちを振り切り、彼は逃げるように宿屋の個室へと駆け込んだ。


 重い鉄の鍵をかけ、窓を閉め切り、分厚いカーテンを引く。



 ようやく一人になれた。これで黒い何かから解放される。


 ライナスは荒い息を吐きながら、ベッドに腰を下ろそうとして、ふと足を止めた。



 部屋の隅。暗がりに。

 パーティの肩に乗っていたはずの「何か」が、そこにいた。

 最初から、そこで待っていたかのように。



 気が付くと、それはライナスの足元にいた。

 影は右足のつま先を飲み込み、脚を伝い、上半身を舐めるように滑り……右肩に留まる。



 至近距離。逃げ場のない沈黙。

 耳元で、これまでで一番大きく、快活に。まるで喜ぶかのように歯を鳴らした。




 カチッ




* * * * *



「ホリィさん、おはようございます。本日の調査依頼はこちらです」

 朝一番、資料編纂室を訪れたエドから依頼書が渡される。


「密室での変死」

「はい」

「嫌だと言ったら?」

「嫌だと仰るのです?」

「……行ってきます」

「流石ホリィさん。よろしくお願いします」



 朝食を取りながら、依頼書に目を通す。


 ライナス。将来有望なスカウトで周囲からの評判も良かったようだ。  

 密室となった宿の部屋で、両目をえぐり取られたような状態で冷たくなっていたところを発見された。



 ホリィは現場となった部屋を訪れた。

 既に遺体は運び出され、特に変わったことのない、どこにでもある宿の一室。


 ホリィは、眼鏡を外す。

 世界の輪郭が、わずかに揺れる。


 青白くなった視界に飛び込んできたのは、部屋の至る所にこびりついた、何かに噛まれたような痕。

 木材にも、石壁にも、ライナスの遺体が転がっていた床にも。


(……自分の目を潰したところで、もう遅かったのにね)



 一瞬、黒い影のようなものが視界の端に映り――

 即座に眼鏡をかけ直した。



「……調査終了」

 そうつぶやき、宿を足早に立ち去ることにした。



「……ホリィさん、お疲れ様でした。それで、何かわかりました?」

 資料編纂室に戻り、報告書をまとめていると、エドが声を掛けてきた。



「いいえ、何も。……極度の精神疲労による自傷、あるいは魔力の暴走でしょう。

 特に珍しいことじゃありません。

 じゃ、あとはよろしく」


 ホリィは事務的に報告書を判を押し、エドの胸に押し付け、早々に部屋を出る。


 廊下を歩き、誰もいない角を曲がろうとした、その時。



 耳元で、カチ、と。



 一度だけ、乾いた音が聞こえた気がした。


 彼女は振り返らず、ただ足早に帰路を急ぐ。

 見なければ、何も問題はない。


 また一つ、見なければよかった記録が増えただけのことだった。

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