レポート025 スライム ― 溺死
「ビット。お前みたいな無能、我がパーティにはいらん。今すぐ荷物をまとめて出て行け」
王都の外れにある、鬱蒼とした濁った沼地。
大柄な戦士、リーダーのキールが、傲慢な笑みを浮かべて少年を見下ろした。
能力も低く、まともな戦闘スキルもない少年は、パーティの中で常に都合のいい雑用係、そして格好の鬱憤晴らしの対象だった。
「そんな……。せめて、今までの報酬の分け前だけでも貰えないでしょうか。それがないと、宿代も払えなくて……」
「はあ? 誰に向かって口を利いてるんだ?」
背後に控えていた魔法使いの男トーラと、僧侶の女リサが、品性のないあざ笑いを浮かべる。
キールは、少年の胸ぐらを乱暴に掴み上げると、そのまま地面に放り投げた。地面に這いつくばる少年を囲み、三人のいたぶるような視線が注がれる。
「なぁ、キール。分け前が欲しいか。じゃあ、ちょっとした余興だ。これをお前の最後の仕事にしてやるよ」
キールが、沼の傍でうごめいていた、人の頭ほどの大きさのスライムを剣の先端で雑に突き刺した。
「よし、お前ら、押さえとけ」
核を貫かれ、ぐちゃぐちゃと濁った泡を吹く粘液の塊。二人がビットを羽交い締めにして、顎を無理やりこじ開ける。
そして、スライムの残骸を喉奥へと一気に押し込んだ。
「ほら、無能。残さず綺麗に掃除しろよ!」
からかい半分の、悪質な悪ふざけのつもりだった。
だが、生きたまま気管へと流れ込んだ冷たい粘液は、少年の食道に恐ろしい強さでへばりついた。吐き出そうとすればするほど、スライムの身体は少年の肺を塞ぐように、ぶちぶちと気泡を立てて広がっていく。
「あ、が……ッ、ひ、う……!」
少年は喉を掻き毟り、白目を剥いて地面を転がった。少年の顔面は瞬く間に土気色に変色していく。
やがて、ピクピクと手足を痙攣させた後、彼は完全に動かなくなった。
「おいおい……。死んでるぞ、これ」
トーラが怯えた声を出す。三人は顔を見合わせ、引き攣った笑いを浮かべながら、少年の死体をその場に打ち捨てて一目散に逃げ出した。
* * * * *
一時間後、冒険者ギルドの受付窓口。
三人は罪を逃れるため、平静を装って嘘の報告を口にしていた。
「その、俺たちの仲間が、王都の外で急に凶暴なスライムの群れに襲われて……。助けようとしたんですが、手遅れで……」
「そうなんです! 本当に可哀想な事故で……!」
リサが、わざとらしい涙を指先で拭う。
だが、受付嬢が怪訝そうな顔で、彼らの背後――ギルドの入り口の自動扉へと視線を向けた。
「あの……死んだって、そこにいるじゃないですか」
え、と三人が一斉に振り返る。
ギルドの喧騒を切り裂くように、じっとり、じっとり、と不快な足音が近づいてきていた。
大通りの光を背に受けて立っていたのは、全身からポタポタと黒ずんだ水を滴らせた、ずぶ濡れの「彼」だった。
肌は死人のように白く、濁った両目は焦点が合わずに虚空を見つめている。
何より異様なのは、彼の開いた口元から、あの半透明な粘液が、とめどなく溢れて胸元を汚していることだった。
「ひっ……、あ……」
キールの喉から、短い悲鳴が漏れた。
死んだはずの人間が、なぜ歩いている。なぜあんな目で自分たちを見ている。
「いや、いやあああ! 来ないで!」
リサが狂ったように叫び、三人はギルドの床を蹴って、窓口を乗り越えるほどの勢いで奥へと逃げ出した。ギルド中が騒然とする中、ずぶ濡れの少年は彼らを追う風でもなく、ただ、首を不自然に傾げながら、ずるずると這うような足音を響かせて雑踏の向こうへ消え去った。
* * * * *
恐怖のあまりギルドを飛び出し、夜道を逃げ惑っていた三人の前に、それは再び現れた。
王都を流れる川の傍、人気が無い路地で、
月明かりに照らされた少年の輪郭は、もはや人間のそれから崩れかけていた。
服の隙間、耳の穴、そして限界まで大きく見開かれた眼球の縁から、ぐちゃぐちゃの半透明な粘液が、生きた虫のように這い出して脈打っている。
「あ……、が……、お……」
喉の奥から、汚泥が沸き立つような不快な音が響く。
少年が顎が外れるほど大きく口を開いた瞬間、ゲボゲボと汚物のような粘液が、凄まじい勢いで撒き散らされた。
「ぎゃあああ! 」
まともに浴びたキールの顔面に、粘液が絡み付く。呼吸ができず、苦しみと恐怖に男がのたうち回る。
少年は、恐怖で腰を抜かした残りの二人の首を、粘つく両腕で掴んだ。
人間のものとは思えない腕力で、そのまま、ずぶずぶと川へ引きずり込んでいく。
「た、すけ……」
数日後、川に死体が浮いてると通報があり、引き揚げられたのは、恐怖を顔に張り付けたままの、三人の無惨な溺死体。
そして、その場にいたはずの「彼」の姿は、川をいくらさらっても、どこを探しても見つからなかった。
* * * * *
ギルドの資料編纂室。
ホリィは、提出されたばかりの遺体発見現場の調書に目を落としていた。
遺体発見の通報後、彼女はエドと共に川のほとりに立っていた。眼鏡を外した彼女の「眼」には、川底の泥と同化し、じっと息を潜めながら、次の獲物を待つように蠢いている「巨大な半透明の粘液の塊」が、はっきりと視えていた。
それはもう人間でもスライムでもない、ただの濁った怨念の変異体だった。
カチャン、と静かな音が響く。
ホリィはいつも通りの淡々とした筆跡で、報告書にペンを走らせる。
『パーティの内紛による不慮の溺死。容疑者ビットは行方不明』。最後に「処理済」の判を押した。
「パーティ全員が川底で仲良く溺死なんて……なんとも、酷い事件ですね。しばらくは川魚食べるの控えようかな」
手際よく温かい珈琲を淹れながら、エドが苦々しい顔で呟く。
「そう。なら、あなたの分は、私が食べてあげるわ」
「ホリィさんはこういう凄惨な現場の後でも、よく胃が受け付けますね……」
ホリィはいつもの鉄仮面のまま、差し出されたカップを受け取る。
「これくらいで食欲を落としていたら、この街の空気には耐えられないわ」
ふと、手元に置かれたインク瓶に目が留まった。
黒い液体が、一瞬だけ、じっとりと波打ったような気がした。
ホリィはそれを一瞥すると、何事もなかったかのように視線を外し、珈琲を静かに口に運んだ。




