レポート020 上限突破 ― 精神崩壊
「ついに、レベル150だ!」
異世界転移者で、職業は勇者。タクマは、ついに大台に到達し、
全身から溢れ出す圧倒的な魔力のオーラを纏い、高揚した声で笑った。
異世界人だけの特権。それは、この世界の住人の限界値(レベル99)を超えて成長できること。
それが「選ばれし者達」の証だと、誰もが信じて疑わなかった。
「……タクマ君。最近、体調はどう? 物忘れが激しいって聞いたけど」
ギルド内の応接室。
ホリィの問いに、タクマは一瞬だけ、何かに怯えるような目をした。
「……ああ。大したことじゃない。ただ、ちょっとね。……昨日、自分の実家の住所を思い出せなくなったんだ。いや、住所どころか、県の名前も、通っていた学校の名前も、親父の顔も……」
彼は震える手で頭を抱えた。
「でも、レベルが上がれば全部解決するはずなんだ。もっと強く、もっと高いレベルになれば、きっと何とかなる……そうだろ?」
「そうね……」
ホリィは否定も肯定もせず、書類に目を落とした。
* * * * *
魔王軍幹部との決戦。
タクマは、幹部を撃破し、レベル200を超えていた。
歓喜に沸く兵士たち。だが、その中心に立つタクマだけは、血濡れの剣を握ったまま、
石像のように微動だにせず、虚空を見つめていた。
勝利の凱旋。そこに、タクマの姿はなく、周囲の目を忍んでギルド最奥の秘密部屋へと連れてこられていた。
ホリィは、静まり返った部屋で彼を鑑定する。
『予備燃料スロット:前世記憶 0.00%』
異世界人が限界を突破できる理由。それは、異世界人が持つ「前世の膨大な記憶」を、
「高純度の燃料」として使い、レベルアップの上限突破として消費するからだった。
彼は魔族を倒すための最後の出力を得るために、「自分が人間であった」という最後の記憶すらも、青い炎へと変えて焼き尽くしていた。
「……タクマ君?」
ホリィが声をかける。
最強の勇者は、ゆっくりと首を捻った。
その瞳には、光がない。口は半開きになり、涎が垂れ、胸元を汚している。
「……タク……マ……?」
彼の脳内にはもう、日本の風景も、好きだった漫画も、元の世界に帰りたかった理由も、何一つ残っていない。
コンコン――
部屋がノックされ、ギルド長と、職員二名が入室してくる。
「残念ですが……」
ホリィはギルド長と目を合わせると、首を横に振る。
「よし、連れてけ」
ギルド長の声と共に、タクマの顔にフード掛けられ……
両脇を抱えるように、ギルド員が彼をどこかに連れていく。
「ホリィ君、わかってるね?」
部屋を出るホリィに、ギルド長が釘を刺した。
* * * * *
ギルドの資料編纂室。
ホリィは、遠くから微かに聞こえる凱旋パレードの喧騒を耳にしながら、手元の報告書に事務的に引判を押した。
――勇者タクマ。魔族との戦闘中の負傷により、帰還後、死亡。
異世界人が世界の理(上限)を突破した末路は、例外なく闇に葬り去られなければならない。
カチャ、とペンを置く。
「……あれ。私、さっき何を思い出そうとしてたんだっけ」
ホリィは、自分の記憶の端を懸命に探る。
少し前まで鮮明に思い出せたはずの、日本のコンビニのコーヒーの香り。それが、今日は霧の向こうに隠れているように薄い。
彼女は震える手でデスクの引き出しの奥を開け、一枚の、ひどく古びたメモを取り出した。
そこには、いつかの自分が忘れないように書き留めた、この世界には存在しない文字(漢字)が記されている。
『 堀井 ……』
「……ほり、い。私の、名前……」
この世界で生きる、あるいは世界の歪みを観測し続けること自体が、自身の魂を燃料として磨り減らしていく行為なのかもしれない。
しんと静まり返った部屋。
ホリィは、デスクに残されていた、すっかり冷え切った珈琲を一気に飲み干した。
口の中に広がる、容赦のない冷たい苦味。
まだ「自分」の輪郭が残っているうちに。
彼女はメモを再び引き出しの奥へと仕舞い込むと、新しい羊皮紙に向かって、狂ったように静かに羽根ペンを走らせ始めた。




