レポート017 聖女の奇跡 ― 集団意識不明
シデンの町。
入口に、ウィクト教の大聖堂があり、敬虔な信者が多く通うことで、往来が活発になり
発展してきた小さな町だ。
出張先からの帰任中、ホリィは災難に見舞われた。
街道の石畳の凹凸に足を取られ、酷く足を挫いてしまったのだ。
痛む足を引きずり、何とか辿り着いたのが、シデンの町の象徴である、この大聖堂。
教会の入り口で、神父に事情を話す。
「治療をご希望と。それでは、まずはこの『お清めの水』とご寄進を。
これは聖女セシリア様の奇跡を受けるための信徒の証。
これを飲み干し、聖女様の前で跪けば、あなたの痛みは聖女様に聞き届けられ、
忽ち消え去るでしょう」
司祭が恭しく差し出してきた銀の杯。
「……」
ホリィの直感が、その水が危険なものだと告げ、彼女に眼鏡を外させた。
「どうされましたかな?」
「ただの一般人に奇跡は勿体ないわ。ありがとう。やっぱり自力で治します」
眼鏡を掛け直すと、不服そうな司祭を振り切り、道具屋で包帯と痛み止めを買い、宿で一夜を過ごすことにした。
聖女セシリアが行う治療、ユニークスキル「聖女の奇跡」は、
どんな傷でも、手足が千切れていても、立ちどころに治してしまう。
教会が大きくなり町が発展した一番の理由だ。
このスキルは、「帳簿」の上に成り立っている。
教会の中でもごく限られたものだけが知る極秘事項だ。
大聖堂にある『地下牢獄』。
繋がれた囚人たちが、その帳簿の「支払人」だった。
彼らの刑期は、死ぬまで終わらない。
「ぐああぁぁぁぁぁぁ!」
鉄格子の奥で、男の叫びと、骨の砕ける音が響く。
地上で、聖女がスキルを発動し、騎士の折れた腕を優しく撫でると、
地下では、かつて盗みを働いた男の腕が不可視の力によって理不尽に粉砕された。
「うぐぅぅぅぅ!」
聖女が、事故で脚が切断された男の脚を撫で、元通りに治すと
今度は、男の脚が真っ二つになった。
絶叫すら、分厚い岩盤に遮られて地上へは届かない。
「なんだ、もう死んだのか。使い物にならんな」
看守が、事切れた囚人に唾を吐き捨てる。
これが、教会の「清らかな奇跡」なのだ。
ホリィが、宿で静養していた翌朝、事態が急変した。
聖女が、隣町への巡礼中、魔物の襲撃を受け、致命傷を負ってしまった。
腹部を貫かれ、溢れ出す鮮血。
死の淵で、彼女は禁忌である「自己治癒」を、最大出力で発動させた。
『聖女の……奇跡!!』
眩い光が弾け、聖女の傷は一瞬で消失した。
その瞬間。支払人であった地下の囚人たちは、肩代わりすべきダメージの巨大さに耐えきれず、
一斉に弾け飛んだ。
それでもなお、聖女という「高密度の存在」を救うための犠牲が足りない。
スキルは、彼女を、ウィクト教を信奉する、街の群衆をリストアップした。
「……あ、が……っ!?」
数百人の信徒や、かつて奇跡を受けた町人達が、一斉に胸を押さえて崩れ落ちた。
外傷はない。だが、彼らからは「生命力」という名の残高が、聖女の欠損を補填するために
強制的に引き落とされたのだ。
* * * * *
「……ホリィさん、大変だったそうですね」
一週間後。ギルドに戻ったホリィは、未だに少し痛む足首をさすりながら、報告書をまとめていた。
「……集団意識不明事件、ね。教会は『他信教による呪いだ』と息巻いて、勇者候補たちを
国境へ向かわせたようね」
ホリィは、教会で受け取ったパンフレットをゴミ箱へ捨てた。
「そうなんです。『これは他信教による卑劣な呪いだ。実行犯を今すぐ見つけ出せ』と、半狂乱で依頼をねじ込んできたんですよ」
「で、Aランクパーティーの派遣、と。」
「正直、呪いかどうかわからないんですが、教会からの依頼には逆らえず、しぶしぶ……」
エドが声を潜めて答える。
ホリィは、手元の報告書に目を落とした。
集団で倒れた信徒たちの魔力残高が、回復不能なマイナス値を示していることが記されていた。
「犯人探しか。……無駄なことを。犯人なら、大聖堂の一番豪華な部屋で、今日も元気に微笑んでるわよ」
「ホリィさん。そんな恐ろしいこと。冗談でも……」
「ただの独り言。……ところで、最近『極刑』の判決が増えていることに、皆さんはお気づきではないのかしら?」
「あー……そういえば、教会が絡む裁判での死刑判決、妙に多い気がしますね。教会に反発する勢力でも活発化してるからでしょうか」
「さあ、どうかしらね」
報告書の「事件性」の欄に「無し」と書き込み、判を押した。
あの時、一口でも「お清めの水」を飲んでいたら……
自分の足の痛みは消えていたが、代わりに、自分の命が、聖女の傷を塞ぐための
「肉の端切れ」として消費され、帰ってこれなかったはずだ。
奇跡の「支払人」の補充。
都合のいい恩恵の裏に潜む闇に、介入する義理も、それを正す義務もない。
(私はあれを「奇跡」とは呼ばない)
ホリィは、すっかり冷えきった珈琲を小さく啜る。
ゴミ箱に捨てられた教会のパンフレットの中で、美しく微笑む紙の聖女を一瞥もすることなく、彼女は静かに次の羊皮紙へと羽根ペンを走らせ始めた。




