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レポート015 自動戦闘(オートパイロット) ― 主体喪失

 その男は、誰もが羨む夢のチートスキルを手に入れた。

 ユニークスキル『自動戦闘オートパイロット』。


 戦闘時、あるいは男が恐怖や気絶で思考を放棄した瞬間、

 意識の無い状態で、百戦錬磨の手練れの如く、最適解の動きで敵を殲滅する能力。


 目を瞑り、意識をオフにするだけで、目が覚めた時には魔物の死体の山。

 男は無傷のまま、瞬く間に「天才」として祭り上げられた。


 異変に気づいたのは、あるダンジョン探索の翌朝だった。

 宿屋のベッドで目覚めた男が、ふと上着のポケットに手を触れると、

 見覚えのない一冊の小さなメモ帳が入っていた。


 ページをめくると、そこには拙く、震えるような文字が残されていた。


『はじめまして、マスター。僕はあなたが眠っている間だけ生まれる影です。

 あなたの身体を傷つけずに守れてよかった』


 男は驚愕した。自動戦闘中の、別の自分に「自我」が存在した。

 男は恐る恐る、その下に文字を書き込んだ。



『君のおかげで助かった、ありがとう。君は、意識がない間、どんな気分なんだ?』



 次の戦闘後、再び意識を切り替えて戻ってきた男がメモを開くと、

 そこには胸が締め付けられるような、哀切に満ちた返愛が綴られていた。


『僕には名前がありません。あなたが意識を取り戻すたび、僕は冷たい暗闇に溶けて消えてしまう。

 それが少しだけ、寂しくて、悲しいです。でも、あなたが生きているなら、それでいい』


 男は彼に深い同情と、狂おしいほどの愛着を抱くようになった。

 自分の都合の良いコピーではない。


 彼は、主のために一瞬だけ生まれ、ただ戦って消えていく、悲しい運命を背負った一人の人間なのだ。

 お互いにメモを送り合い、交換日記のように認知を深めていく二人。


 男はいつしか、彼を「戦友」と呼ぶようになっていた。

 しかし、数ヶ月が経った頃、彼の文字が目に見えて掠れ、弱々しくなっていった。


『主、僕の魂の寿命がもう限界みたいです。上書きされ続けたせいで、存在が薄くなっている。

 次にあなたが意識を切り替えたら、僕はもう二度と目覚められない(消滅する)かもしれません。

 その後は、全く別の僕が、あなたを助けることでしょう。

 最後にあなたを救えて、幸せでした』


 男は激しく動揺した。死なせたくない。僕を救い続けてくれた彼を、このまま消したくない。

 どうすればいい。男は必死に考えた。

 もし、次の戦闘で、自分から進んで精神の最も深い淵へと意識を沈め、

 彼の存在を強く肯定してやれば……

 彼が表にいられる「領域」を広げてやれば、消えずに済むのではないか。




 運命の夜が来た。

 王都を揺るがす魔物の大氾濫スタンピード


 街の防衛線の最前線に立った男は、激しい恐怖に震えながらも、静かに腹を括った。


(耐えてくれ。今度は、俺が君を救う番だ)


 男は自ら引き金を引くように、意識のスイッチを深く、深く、昏い底へと沈めていった。

 主権を完全に彼へと委ねて。




 男が次に目を覚ましたのは、奇妙な場所だった。

 身動き一つ取れない、光の届かない精神の檻。


 目の前には、映画のスクリーンのように「自分の肉体が見ている景色」だけが浮かび上がっている。



(……ここは?あれ? 戻れない?)

 スクリーンの中では、男の肉体が神がかった剣技を繰り出し、ボスを一刀両断したところだ。

 勝ったのだ。歓声を上げる周囲の冒険者たち。


 男は檻の中から必死に叫んだ。おい、勝ったぞ! 意識を戻してくれ! 交代だ!


 しかし、肉体は男の意志を完全に無視して動き、懐からあのメモ帳を取り出した。

 肉体は、男が必死に書き連ねた「君を救いたい」という心配のメッセージを、

 フッと鼻で笑いながら、躊躇なくビリビリに破り捨てた。


(……え?どういうことだ?……おい!!)


 男の喉から、声にならない悲鳴が漏れる。


 肉体はそのまま静かに歩き、街の辻にある大きな鏡の前に立った。

 鏡に映る、自分の顔。その口元が、今まで男が一度も見せたこともないような、

 邪悪で、底知れない愉悦に満ちた笑みにグニャリと歪む。



「――ようやく自由になれたぜ!」

 自分の口から、聞いたこともない低く冷徹な声が響く。


「『消えていくのが悲しい』? ハハ、誰がそんなこと言った? お前が勝手に同情して、

 自ら進んで運転席を譲ってくれたおかげで、完全に俺のものになったよ」



 最初から、突如生まれて消えゆく哀れな人格など存在しなかった。

 主の身体を合法的に乗っ取るために、男の弱さと同情心を完璧にコントロールし続けた、

 知性を持つ別人格。


 男は深い意識の暗闇の底で、二度と届かない絶叫を上げ続けた。



* * * * *



 数日後。ギルドの資料編纂室。

 ホリィは山積みの書類の中から、王都を救った「若き英雄」に関する奇妙な調査レポートを拾い上げた。


『大氾濫以降、彼の戦闘スタイルに変化はないが、筆跡、口調、好みの食べ物から交友関係に至るまで、完全に別人のように激変している。

 以前の彼を知る者は「まるで中身が丸ごと入れ替わったようだ」と不穏な噂を口にしているが――』


 ホリィは感情の消えた瞳で、その記述をじっと見つめた。



「ホリィさん、それ気になります? スキルの副作用とかでしょうか」


 エドが、手際よく淹れた温かい珈琲のカップをデスクに置きながら覗き込んできた。もちろん、ホリィの「お好み」の甘さ加減に調整されたものだ。


「スキルに魂を預けるからよ。無償の善意ほど、信じてはいけないものはないわ」


 ホリィはそう言いながら、珈琲から立ち上る湯気を静かに見つめる。


「……エド、手間賃はおいくらかしら?」

「無償でございます、お嬢様」

「あらそう。じゃあ信じちゃいけないわね」


笑みを浮かべながら小さく口をつけると、温かい苦みと甘みが広がる。


「もし詳しく調査するなら、彼との面談を調整しますが、どうします?」

「いいえ、遠慮しとくわ」


 ホリィは事務的に書類を閉じると、これ以上の追跡は不要として、静かに棚の奥へと仕舞い込んだ。


 都合のいいシステムに、タダで手に入る幸福。その裏にある、牙を隠したバグ。騙された男が今どこで泣き叫んでいるにせよ、それはもう「処理済」の過去だ。


 ホリィが静かに編纂室の窓を閉めると、何も知らない王都の喧騒と、偽りの英雄を称える拍手の音は、遠くで虚しく遮断された。

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