レポート012 従魔術 ― 主従不明
中堅冒険者のモンスターテイマー、レイズが、ダンジョンの奥深くから「それ」を連れて
帰ってきたとき、ギルドの酒場は一時騒然となった。
その騒ぎの質は、ホリィが想定したものとは根底から異なっていた。
「おい見ろよ、レイズの奴、滅茶苦茶強そうな魔物を連れてるぞ!」
「漆黒の皮膚に、洗練されたフォルム……こんな魔物見たことねぇ!」
周囲の冒険者たちは、目を輝かせて歓声を上げている。
ギルドのカウンター越しに、眼鏡を外して眺めていたホリィの目には、全く違うモノが映っていた。
それは、魔獣でも、魔物でもなかった。
無数の関節が不自然な方向に折れ曲がった長い四肢。粘着質のドロドロとした黒い皮膚。
顔と呼べる場所には固定されたパーツがなく、無数の眼球と裂けた口が、
蠢く肉塊のように位置を変え続けている。
直視するだけで正気が削られるような、おぞましい異形の化け物。
(……周りの連中には、これがまともな生き物に見えているの?)
血の気が引いて、氷のように冷たくなっていく身体と、強い眩暈に思わず倒れそうになる。
「ホリィさん大丈夫ですか?顔が真っ白ですよ!」
「エド、ありがとう……。あれ、何に見える?」
「新種の魔物ですかね。どこかのユニークボスかなぁ」
ホリィを椅子に座らせながら、エドが答える。
「どうだ、すげえだろ。ユニークスキル『絶対隷属』で完全に支配してる。ほら、見ろよ」
レイズが誇らしげに腕を掲げると、化け物の首に巻かれた鉄の首輪が、眩い「青い光」を放った。
ギルドの教科書にも載っている、隷属契約が正常に機能している証拠だ。レイズは自慢げに笑い、化け物の胴体を容赦なく蹴り飛ばした。
べちゃり、と嫌な音がして肉塊が床に転がる。だが、「それ」は反撃するどころか、
従順な犬のようにレイズの足元へ這い寄り、彼の靴を舐め回した。
「俺の命令は絶対なんだ。これさえあれば、深層の攻略だって夢じゃないぜ。
どうだ、俺とパーティを組みたいやつはいるか?」
どっと沸き上がる歓声。
ホリィは、気を取り直して、それを視る眼に力を入れる。世界の輪郭が揺れる。
網膜に投影された半透明のウィンドウが、見たこともないおぞましい文字列で埋め尽くされていく。
――――
警告:対■の個体■識別情■が不足してイます
レベル:■■■■■
ステータス:タヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒ
状態:縺翫∪縺セ縺斐→
――――
ホリィの気配を察知したのか、化け物の無数の眼球のうち、いくつかがギョロリと動き、
ホリィの視線と真っ直ぐに重なった。
その裂けた口が、ニヤニヤと歪む。それに合わせて、首輪の青光が軽く明滅する。
(遊んでる……のね)
あの光は、化け物が、人間を安心させ、油断させ、滑稽な「主従ごっこ」に付き合ってあげるために、『青く光らせてあげている』だけなのだ。
「……レイズ君。その……ペットの管理には十分に気をつけて」
ホリィが、乾いた声でそれだけ告げると、レイズは「心配性だなあ、ホリィさんは」と鼻で笑い、化け物の首を雑に引っ張ってギルドを去っていった。
「ホリィさん?……ちょっと!大丈夫ですか!」
ホリィさんが倒れた、と叫ぶエドの声が、意識の遠くで聞こえた。
* * * * *
数日後、ギルドの資料編纂室に、一枚の緊急報告書が届けられた。
「ホリィさん、身体はもう大丈夫ですか?」
「ええ、ただの貧血よ。」
「突然倒れたのでびっくりしましたよ。俺に隠れて一人で無茶しないでくださいね。これでも心配してるんですから」
「ありがとう、エド。心配かけたわね。それで、今日は?」
「はい、レイズのパーティーが……ダンジョンの、わずか二階層で全滅しているのが見つかりました」
エドが、書類を差し出す。
「死体はどれも、まるで巨大な顎で『咀嚼』されたように、原型を留めていなかったそうです。あのレイズが連れていた魔物も、現場のどこを探しても影も形もありません。逃げたか、殺されたか。イレギュラーボスの発生かもしれないと、討伐隊が準備されています」
「イレギュラーボス、ねぇ……」
それが、納得のいく不運、なのだろう。
あの化け物は、「テイム」というご都合主義の玩具で、自分を支配した気になって調子に乗る姿を、特等席で眺めて楽しんでいただけだ。そして、その「おままごと」に飽きただけのこと。
あれは、人の手に追えるようなものではない。
理由はどうあれ、あの化け物がレイズたちを平らげた後、街に戻ってきていないのは最大の幸運だ。
その事実に対して、ホリィの胸に去来したのは、ただ冷ややかな安堵だけだった。
「続報は期待しないでおくわ」
そう言って、自分のデスクに置かれた冷え切った珈琲に口をつけようとしたホリィの手から、すっと黒い陶器のカップが取り上げられた。
「ダメですよ。またそんな冷たいの飲んで。病み上がりなんですから。また体調崩しますよ」
長身の体を少し屈め、覗き込むようなエドの黒目がちの瞳が、心配そうに揺れている。
「俺が温かいの淹れ直しますから。待っててください」
「あら、優しいのね」
彼女は背中を向けたエドを一瞥すると、窓の外の青空を見上げることなく、素早くカーテンを閉めた。
「ホリィさん、砂糖入れますかー?」
「ええ、多めにお願い」
世界は今日も、歪な状態のまま、何事もなかったかのように回り続けている。




