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魔王生まれ変わる2


 一般的な子供たちと比べるまでもなく、彼は明確な自己意識を抱えていた。

 かつて魔王であった魂が転生したその男の子は、ザインと名付けられた。

 その肌は褐色の輝きを放ち、髪は白銀にきらめき、そして瞳は淡い灰色をしていた。これらの特徴は、彼の両親のいずれからも想像することのできないものであった。彼の両親の容貌や血筋からでは到底受け継がれるはずのない、特異な色合いを湛えていたのだ。


 転生する前の記憶と膨大な知識を持つザインは、幼少期が過酷なものとして覚悟していた。

 両親と異なる外見が、周囲に受け入れられないだろうと、確信に近い予測を立てていた。

 しかし、蓋を開けてみれば、その予測は良い意味で裏切られることになる。彼と両親の関係は、穏やかで良好なものに落ち着いていたのである。その家庭には、彼が懸念していたような激しい対立や、彼自身への露骨な排斥の空気は見られなかった。


「これは、彼らが遺伝に関する見識を持たないがゆえのことなのか。はたまた、親というものの愛情が成し遂げた奇跡的な賜物なのか……いずれにしても、幸運としか言いようがないな。」


 両親が示してくれる、穏やかな愛情と平穏な家庭の様子は、ザインを育てる乳母をはじめ、彼らの生活に深く関わる使用人たちの間にも安堵と、しかしどこか拭いきれない不安が入り混ざっていた。

 彼らの表情には、新しい命への温かい眼差しと、同時にその異質さに対する戸惑いが、複雑に混じり合って読み取れた。彼らは、ザインという存在が、この家にどのような波紋をもたらすか、漠然とした不安を抱えていた。


 そのような中でも、ザインに対して特に強い嫌悪の感情を向けてきたのは、彼の二人の兄たちだ。

 彼らは最初こそ、三人目の兄弟が誕生したことに純粋な喜びと期待を抱き、あふれんばかりの感情を小さな弟に向けていた。しかし、その純粋な感情は、時間の経過とともに徐々に変質していく。

 周囲の人々のザインに対する好奇の目や、使用人たちが陰で囁く、まるで陰口に近いような言葉を耳にする。

 彼らの幼い心の中に「不義の子」という、いわれのないイメージが深く植え付けられてしまったのだ。

 それゆえ、まだ赤子であるザインが、両親の深い関心と愛情を一身に集めている状況を目の当たりにし、幼心にも激しい嫉妬の炎を燃やしていたのだろう。彼らにとっては、それまで独占していた両親の愛情が、突然現れた異質な弟に奪われたように感じられたのかもしれない。


 しかし、その兄たちの嫉妬心も、ザインが一歳を迎える頃には、ひとまず落ち着きを見せていた。ザインは、その状況を冷静に観察し、心の中で思案した。恐らく、それは血のつながりがあるか否かに関わらず、親の関心が新しい存在に向けられることに対する、ごく一般的な子供たちの反応だったのだろう。時間が経ち、新しい状況に適応する中で、彼らの幼い感情も落ち着きを取り戻したのだと、ザインは解釈した。


 周囲の景色が、まだぼんやりとした輪郭でしか捉えられなかった新生児の時期が終わり、しっかりと物体の色、形、そして材質までも正確に理解し、識別できるようになってきた。

 ザインは改めて自身の見た目が、両親や兄たちとは大きく異なっていることを再認識させられることになった。

 顔立ちの細部は、どこか非常に整った母親の優美な形質を確かに受け継いでいると言える部分もあったのだが、それ以外のほぼ全ての身体的特徴、例えば、褐色の肌や白銀の髪、淡い灰色の瞳の色などは、全て前世でダークエルフとヴァンパイアの混血児であった、かつての魔王自身のものと寸分違わぬ姿であったのだ

 。鏡に映る自身の姿を見るたびに、前世の記憶が鮮やかに蘇り、この世界の自分との差異を改めて突きつけられた。


「この見た目で、人間種に分類される……?んだよな。」


 前世ではダークエルフという種族は、広義には「人種」という大きな括りの中に入ることもあった。

 元魔王時代は疑いようもなくヴァンパイアの系譜を継いだ、アンデット種であった。

 自身の正確な種族を判別する方法は、前世でもかなり高位の鑑定術を必要とした複雑なものであったことを鑑みれば、現在のザインには、その真偽を確認する術がない。


 もし仮に自分が純粋な人間種であるとすれば、問題となってくるのはその寿命だ。

 人間種の多くは非常に短命であり、精々80年も生きれば、肉体的な衰えから行動はかなり困難になる。前世の自分が有していた、途方もない時間の概念からすれば、それはあまりにも刹那的な命だ。

 ダークエルフも長寿の人間種であるのだが、両親が通常の人間であることを考えると、その性質が現れる可能性は皆無だろう。


「そうなってくると、行動はできる限り早く開始するに越したことはない。そして、かの『自称女神』との合流も、急がなければならないだろうな。」


 まだ3歳にも満たない幼い歳で、ザインは、かつて自身をこの世界に転生させた『自称女神』の転生体と巡り合うための行動を起こさなければならないと決意した。


 ザインがまず最初に行動に移したのは、この新しい世界における自身の「異常性」と、前世の世界との「相違点」を具体的に確認することであった。漠然とした感覚ではなく、具体的な事象としてそれらを把握する必要があったのだ。


 特に顕著に感じることができたのは、周囲の環境そのものの変化と、人間種としての肉体に備わった感覚器の変化であった。前世の彼が持っていた感覚とは、まるで異なる世界がそこには広がっていた。


「周囲の『魔素』を感じない……? あるいは、この世界にはそもそも存在しないのか?」


 元魔王時代を過ごした世界においては、大気中に溢れるほどに存在し、あらゆる魔法の根源となっていた『魔素』。

 それが、この世界ではほとんど感じ取ることができないのである。それは、魔法を扱う者にとって、あまりにも致命的な状況だ。

 もし、前世で最も得意としていた、魔法が存在しないのであれば、今後の行動方針そのものを、大きく変更する必要が出てくるだろう。


 その点においても、辺境伯領の領主の息子という、現在の立場は、彼にとって非常に役に立った。

 どのような時代であれ、貴族として必要な知識を得るために与えられた環境は、彼が情報を収集する上で最高の条件を提供してくれたのだ。


 「さながらここは、宝箱のようだな。」


 平均的な貴族の家と比べても圧倒的な蔵書量を誇る蔵書室は、ザインにとってまさに知の宝庫であった。

 そこには、この辺境領を含む帝国の書物のみならず、周辺国家で発行されている一般的な書籍から、現在研究段階にある最先端の研究資料まで、非常に多種多様な蔵書が収められていた。壁一面に広がる本棚にびっしりと並べられた書物は、彼に尽きることのない知識の源泉を与えてくれた。


 知識とは財である――。


 これは、元魔王時代からザインが揺るぎなく抱き続けてきた確固たる信念であった。決して減ることのない財産。そして、いくら収集しても尽きることがなく、むしろ収集すればするほど、新たな知識へと繋がる、そんな無限の財産だと彼は考えていた。


 その幼い体で文字の勉強を行い、同時に蔵書室に通い詰めること約一年。その努力の甲斐あって、彼は魔法に関するありとあらゆる基本的な知識を習得するに至った。この世界の魔法体系の概要を、彼はほぼ完璧に把握していた。


「あとは、物語の中に登場する魔法なのだが……。まずは、今まで得た体系的な知識を、一度しっかりとまとめるとしよう。」


 辺境伯家の三男であるザインは、一般的な子供であれば、ようやく単語同士を組み合わせて簡単な文章を構成できるようになるかどうかの年齢であった。

 そんな幼い子供に専用の一つの部屋が与えられているのは、この辺境伯家の莫大な財力と、その地位がなしえた賜物と言えるだろう。


 好都合にも得られた一人きりの空間で、ザインは思う存分、前世の記憶があるという圧倒的なメリットを行使することができた。誰も見ていない安全な場所で、彼は自身の内なる知識を解き放つ。貴重な紙に、この世界では誰も読むことのできない、前世の文字を書き連ねていく。万が一、誰かに見られ、読まれたとしても、それを理解されることがなければ、彼が持つ異常なまでの魔法的知識や、その真実を世間に晒すことはないだろうという、彼なりの綿密な防衛措置であった。


 今まで得たこの世界における魔法的知識を整理したところ、いくつかの重要な前提が明らかになった。


 一つ、この世界において魔法は非常に稀有な才能であること。


 一つ、魔法が使える者は、「ダンジョン」と呼ばれる遺跡周辺に多く存在すること。


 一つ、魔法は後天的に扱えるようにはならないこと。


 一つ、魔法は自身の内部に蓄えられた魔力量に依存し、尽きると一定時間行動不能に陥る可能性があること。


 さらに細かく細分化すれば、まだまだ書き出せる事柄は無数に存在するのだが、ひとまずこの程度の前提知識があれば、ザインが当面行いたいことに大きな支障はないだろうと判断した。


「異なる部分はいくつかあるが、私でも魔法を使うことは確認できた。」


 以前、自称女神が言っていた「魔力やステータスの変動が緩やかである」という言葉を、ザインは思い出していた。

 もし、その状態で全く魔法が使えなければ、致命的な状況であっただろう。

 幸いにも、そのような最悪な状況は回避することができた。


 その上、この世界の魔法の行使方法を見る限り、自然界に存在する魔素をあまり利用しないという特徴が見て取れた。

 それは、前世の魔法知識ではありえないことであり、内在する魔力量の多いザインからすれば、朗報でもあった。

 もしかしたら、彼はこの世界において、既存の魔法使いが到達し得る限界、あるいはその到達点すらをも凌駕しているかもしれない、という可能性が脳裏をよぎる。


「また、この世界の神に粛清されないといいのだが……。」


 心の中で苦笑する。

 前世は、まさにその「神の都合」によって終わりを迎えることになったのだから。すでに終わってしまった過去に対して、彼自身はもう別段不満を抱いてはいなかった。

 長すぎる生に退屈もしていたし、守るべき家族や、自分以上に大切な存在も作っていなかったからだ。

 問題は、今回も神の都合で粛清されたとして、果たして再び次があるのかどうか、という点だった。


 退屈はしていたが、決して自ら死にたいわけではなかった元魔王時代の自分からすれば、今の新しい人生も同じような末路を迎えないことこそが、あの「自称女神」の願いをかなえること以上に、重視すべき点だと彼は考えていた。


「少しそれたが、重要なのは、もうひとつ。前世で使っていた魔法が使えるか否か、ということだ。」


 ザインは、自身の部屋を出て、あまり人気のない屋敷の裏手に広がる野山へと足を踏み入れた。

 この山は、辺境伯家の所有地として完全に管理されており、人間を食い殺すような凶暴な獣や、危険な魔物も存在しない。とはいえ、まだ幼い子供一人で奥深くまで入っていくには、少々危険が伴う場所であることには変わりない

 だが、彼が魔法を使う姿を、まだ誰にも見られるわけにはいかなかった。


「えっと、まずは二次被害の少ない、風系の魔法を試してみるか。確か、この世界の魔法書にも、基本的な風の魔法はいくつか記載があったはずだ。」


 ザインは、自身で作成した魔法用の資料を左手に持ち、右手を静かに前方に突き出して詠唱を開始した。彼の口から、かつての魔王の力を宿した言葉が紡ぎ出される。


「雄大なる大地を駆け巡る大いなる流れよ。その奔流は、何者にも遮ることのできない秩序をもたらさん。満ち、流れ、吹きすさめば、如何なるものも等しく呑み込まれていくだろう。その一端を我が手に、その一筋を放ちたまえ。ア・ラーム・ヴァン。」


 詠唱が進むにつれて、突き出したザインの右手の先に、目に見えないはずの風が収束を始めた。


 魔力が集中していくに従って、視覚的に捉えることができるほどに、周囲の空間が微かに湾曲する。それは、ごく普通の自然な風では決して起きない現象であったが、彼の魔力によって周囲の人間も感知できるような、物理的な影響を及ぼす。


 詠唱を終えると同時に、収束した空気は一気に解放され、目の前にそびえ立つ樹木を根元から薙ぎ倒した。


 鋭利さのかけらもない純粋な風の塊。横薙ぎに吹き荒れたその風は、半径40センチほどの太さの木を易々とへし折るには十分な威力を誇っていた。土煙が舞い上がり、木の葉が舞い散る中で、ザインは結果を確認する。


「うん。流石に記載通りだな。では、次は……。」


 ザインは再度、隣に立つ木に右手を伸ばした。その大きさは、先ほど薙ぎ倒した木とほぼ同等である。先ほど身体中を駆け巡った魔力の流れを、まるで再び体現するかのように、彼は身体中の魔力を巡らせる。


 すると、今度は何の詠唱もすることなく、先程と同様の空気の刃が、狙った木を静かに、しかし確実に切断した。


 今度の切断面は、しっかりと鋭く、まるで刃物で切り裂かれたかのように滑らかであった。切断された木は、吹き飛ばされることなく、まるで滑るように地面へと倒れていった。


「これも、事前の記載通りの結果だな。詠唱による魔法は、確かに一定の結果を安定して出すことができる反面、発動までに時間がかかるし、威力も今一。一方、無詠唱は、非常に早く発動が可能だが、魔力の緻密なコントロールが必須となる。その上、出てくる結果にもブレが生じやすい、といったところか。」


 書物に記載のあった通りの事象が、実際に起きてくれたことに、ザインはひとまずの安堵を覚えた。そして、その実験結果を、自身の記憶と資料にしっかりと記していく。


 この世界における魔法の発動には、大きく分けて4つの方法が存在する。


 一つは『詠唱魔法』。

 先ほどザインも使用した、言霊、すなわち特定の言葉を紡ぐことによって魔法を発動する方法である。

 これは、発動までの所要時間、発動後の結果、そして消費する魔力量が必ず一律になるという利点があった。

 また、詠唱の持つ意味や、そこに込められた概念を深く理解すれば、完全な詠唱を省略し、短縮された形で魔法を発動し、それでも期待通りの結果を生むことも可能であると記されていた。


 二つ目は『無詠唱魔法』。

 こちらは、術者の極めて緻密な魔力コントロールを必要とする分、詠唱を行った場合以上の、より強力で精度の高い結果を得ることも可能になっている。

 しかし、前述した通り、その高次の結果を常に一定の水準で出すことは、ひどく困難を極める。


 三つ目と四つ目は、『記述魔法』と『儀式魔法』である。これらもまた、魔法体系の一部ではあったが、今回の実験では、その複雑さや準備の必要性から、行う予定はなかった。


「単独で『儀式魔法』を行使する……。胸は踊るが、目下の課題は、魔法を使用した後の『魔力回復方法』の確立だな。」


 前世では、呼吸をするのとほとんど同時に自然に行われていた、魔力の回復。


 この世界には、魔力の元となる『魔素』がほとんど存在しない。


 それは、彼が能動的に魔力を回復する手段がないことと同義である。


 ザインの予想では、『ダンジョン』付近にいる場合、自然な魔力の回復を行うことができるのだろう。しかし、そのダンジョンから遠く離れたこの辺境伯領では、その恩恵を受けることは叶わない。

 それ故に、この歳になるまで、いくら魔法を使用しても、魔力が回復する感覚を得ることができなかったのだ。


 一方で、もし、元魔王時代のステータスをそのまま引き継いでいることが真実なのであれば、9桁を超える途方もない魔力総量を誇るザインからすれば、木を一本切る程度の魔法では、魔力を消費したという感覚すら感じることはない。

 実際に、彼の体からは何ら疲労感は感じられなかった。とは言え、いかに途方もない魔力量を誇っていたとしても、能動的に回復する手段がなければ、いつかは底をつく。

 しかし、医学書や薬学に関する知識を漁っても魔力を回復させる手段の記載はなかった。

 

「自然回復に任せるしかないのだろうか? あるいは、やはり人間には魔素を感知する感覚器がないだけで、周囲には魔素がしっかりと存在しているのか?」


 一つの疑問は、さらなる新たな疑念をもたらした。


 もし仮に、周囲に十分な魔素が存在しているのであれば、自身の内部の魔力を多く消費しなくても発動することのできる魔法を、ザインは前世の知識として知っていた。それは、この世界のいかなる書物にも書かれていなかったのだが、彼の肌が確かに感じたことのある、確かな記憶であった。


 前世の知識をフル活用することになるが、自身の内部の膨大な魔力を使うのではなく、外界に存在する魔素に直接干渉することで魔法を行使する方法である。魔素が溢れていたかつての世界では、ごく一般的な魔法使いでも行うことのできた魔法体系であったのだが、この魔素が希薄な世界においては、より一層緻密な魔力操作が必要になってくるだろう。


 感じることのできない魔素を、そこにあると仮定し、その希薄な魔素を意識的に操作する。先程と同じく右手を伸ばし、魔法を発動する地点を凝視する。以前であれば、ここまでの集中力を使わずとも、明確に感じた魔素をそのまま操るだけで良かったのだが、感覚器で捉えることのできない物を操るというのは、非常に困難を極める作業であった。


「……原理的には可能なのかもしれないが、今はまだ難しそうだ。もう少し、この世界の特性を深く理解する必要があるな。」


 完全に諦めるわけではないが、差し迫った時間もある。


 この秘密の魔法特訓が早朝に行われているのには、しっかりとした理由があった。

 午前からは、貴族として必要な教養や作法を学ぶための家庭教師の時間が始まるからだ。


 7歳を超える頃には、兄たち同様、それぞれ自身の将来を見据え、特化した家庭教師をつけてもらうのだが、5つになるザインには、まだ一般的な教養のみを学ぶ時間が与えられていた。


 その家庭教師の時間は午前中から午後にまで続き、それが終わる頃には、まだ5歳という幼い体力をもってしても、はっきりとした疲労を感じるほどであった。

 しかし、何度も述べている通り、この辺境伯家という環境にあるために、彼の受ける教育の水準は非常に高いと言える。特に、歴史や地理学に関しては、ザイン自身の知的好奇心を強くそそらせる、興味深い話が多かった。


 この世界に存在し、その歴史を含め、ありとあらゆる事象に大きく関わってきたもの。それが、他ならぬ「ダンジョン」であった。


 国が今のような広大な支配領域を持つようになる遥か以前は、大小様々な規模のダンジョンが、まるで星のように点在していたという。しかし、現在では「ダンジョン」と呼ばれる場合、ある一定以上の大きさを持つものを指すようになっていた。小さなものは、もはや遺跡として扱われることがほとんどだ。


「……であり、この世界に点在する数あるダンジョンの中でも、群を抜いてその規模と危険性において一線を画すダンジョンのことを『大ダンジョン』と呼び、現在では、それが7つ存在するということが定説となっております。」


 歴史、地理学を含むこの日の講義は、代々辺境伯家に仕える使用人の執事長である、セバス・T・オーエンが務めていた。

 非常に博識な彼は、父である辺境領伯爵の秘書的な役割も完璧にこなす、実に『ナイスダンディ』という言葉が似合う人物であった。


 白髪が混じり始めた栗色の髪や、淡い翡翠色のような瞳の色は、辺境領伯爵家とは明らかに異なる民族の系統を受け継いだ顔立ちをしている。

 身長はおおよそ180センチ前後で、がっしりとした体つきをした40代半ばといった印象だ。

 激務に追われる父を支え、この家全体における給仕長として、あらゆる管理業務を滞りなくこなした上で、まだ幼いザインの教育にまで手が回るのだから、彼の持つ優れた容量の良さと、類稀なる能力は明らかであった。

 

 ザインは彼を尊敬の念をもって「じい」と呼んでいた。


「じい。なぜ、その古文書の内容だけで、大ダンジョンが7つ存在することが示唆できた? 私も蔵書室の本に目を通した。が、それらしいものは見当たらなかったぞ?」


 ザインの鋭い質問に、セバスは満足げな笑みを浮かべた。


「坊ちゃんは、相変わらず非常に勉強熱心でいらっしゃいますな。ええ、おっしゃる通り、文献として明確に残っている現在の資料には、現時点で判明しているダンジョンは三つ。そこから存在が実しやかに示唆できる二つのダンジョンしかございません。」


 現在、その存在が確認され、実際に攻略が進められている三つのダンジョン。


 『摩天楼バベル』

 『大地の傷跡アビス』

 『輪廻迷宮ランビリス』


 そして、これらのダンジョンの中から出土する品々や、ダンジョン内部に存在する古代文明の資料から、時折、これら既存のダンジョンとは関わりの薄い、しかし明らかに同規模のダンジョンの存在を示唆するような記述が見つかることがあったのだ。


 これらの共通点から、最低でもあと二つ、同規模の大ダンジョンが存在することは確実であると、専門家たちは考えていた。しかし、それらの資料をもってしても、その他の二つのダンジョンに関しては、現時点で確認できた資料では、その存在を確認することはできなかったのだ。


「で、ありますが上に、坊ちゃんは、かの『聖典』はお読みではないのですかな? 少々嘆かわしいことです。」


 セバスの指摘に、ザインは小さく頷いた。


「……そうだな。宗教関連の書物は、優先度が低かった。」


 ザインは、この別世界に転生する前、実際に神に遭遇し、言葉を交わした経験があった。

 その上で、この世界の宗教観や信仰対象に関する解釈は、彼にとって優先すべき知識対象には入っていなかったのだ。

 彼は、生きた神(?)を知っていたからこそ、形骸化した宗教書に大きな価値を見出せなかった。


「そうですか。まあ、坊っちゃまの年齢では、まだ特定の信仰心が生まれないのも、無理からぬことですな。聖典内には『七つの試練』という記述がございます。その内容が、現存する大ダンジョン内の構造や謎に酷似していたため、残りの二つ、そして資料では確認できない二つを含め、合計で七つの大ダンジョンが存在すると考えられております。また、そこから派生して、聖典の内容は単なる神話ではなく、実際にあった歴史上の出来事を記したものだと解釈する流れに繋がってまいります。」


 さらに、聖典に書かれている七つの試練は、どれも同列に扱われていた。そのため、すでに封鎖されたり、攻略が完了したダンジョンではなく、現在「攻略不可」とまで言われる、危険極まりない大ダンジョンたちと、同列の規模と重要性を持つものだと捉えられているのだと、セバスは説明を続けた。


「なるほど。神話と言えども、この世界を理解するためには、重要な必要知識があるというわけか……。これは盲点だったな。」


 ザインは、素直に自身の認識の甘さを認めた。


「ええ。ですが、これもまた宗教の記載でございます。必要とした時に救いとして学ぶのであれば、学問として真っ先に学ぶ必要がないと考えるのも、一つの手でしょう。では、坊ちゃん、続きを行いますよ。」


 その後、5歳の誕生日を迎えるその日まで、執事長のセバスを中心とした、家庭教師の日々は続いた。

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