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魔王生まれ変わる 2 章間

魔王の魂が生まれ変わるもそれは両親とは異なる肌色、髪色であった。

そんな子が生まれたことによる愛妻家の領主オルトリアにフォーカスを当てる


 広大なベイオン帝国。その広々とした領地の最果ての地。

 未だ人の手が十分に及ばず、深々とした森が領地の多くを覆い尽くし、隣接する評議国との国境線をも厳しく管理する、帝国最大の領地を持つメフェリム辺境伯領があった。

 この地は、荒々しい自然と未開拓の可能性を同時に抱え、辺境伯家が常に開拓と防衛の重責を担ってきた。そんな家にて、未だかつて経験したことのないほどの深い亀裂と危機が襲いかかっていた。

 それは、外部からの侵略でも、領地内の反乱でもない。まさしく家庭の根幹を揺るがす、内側からの崩壊の危機だった。

 この混迷の引き金であり、辺境伯家の秩序をかき乱す存在。それは、他でもない、ほんの数日前にこの世に生を受けたばかりの、まだ幼い三男だった。その誕生が、長きにわたり築き上げられてきた辺境伯家の安寧を、一瞬にして打ち砕くことになったのである。


 その赤子は、両親からは到底生まれるはずのない、目を奪われるような白銀の髪を持っていた。まるで夜空に煌めく月光をその身に宿したかのような、神秘的な輝き。しかし、その美しさは同時に、辺境伯オルトリアの心に深い闇を投げかける。何よりも確かな事実として、最愛の妻がその子の母親であることだけは微塵も揺るがない。そして、その揺るぎない事実から、導き出される推測はただ一つ、残酷な結論しかなかった。それは、妻の不貞という、思いもよらない裏切りだった。


 三男がこの世に産声を上げてから、すでに一週間近くの時が流れているというのに、辺境伯は未だに妻と顔を合わせることができずにいた。寝室の扉は重く、その向こうにある真実と対峙する勇気が、今の彼には欠けていた。

 当然のことながら、未だ幼い三男には、名すら与えられていない。

 普段のメフェリム辺境伯であれば、生まれたばかりの我が子と、愛しい妻の傍らを離れることなど、耐え難い苦痛を伴うはずだ。しかし、今の彼は、執務室の机から一歩も動けずに、ただひたすらに頭を抱えていた。その重圧が、彼の全身を雁字搦め(がんじがらめ)にしていた。


「……いったい、どうすればいいのだ。オーエン。」


 肘を机につき、深々と頭を抱え込んだメフェリム・L・オルトリア辺境伯は、重苦しい沈黙が支配する執務室内にいる、もう一人の男性に、抑えきれない苦悩を吐き出した。その声には、日頃の威厳はどこにもなく、ただひたすらの困惑と疲労が滲み出ていた。


執事長であるオーエンは、主の言葉を受け、静かに問い返した。


 「それは、奥様である夫人のご処遇について、殿下は悩んでいらっしゃるのですかな? それとも、この山のように積み上がった、未処理の書類たちの整理に頭を抱えていらっしゃるのでしょうか?」


 その言葉には、状況を正確に把握しているが故の、わずかな皮肉と、主への深い配慮が感じられた。

 オルトリアは顔を上げず、苦しげに答えた。


 「分かっているだろう。聞くまでもなく、前者だ。」


 彼の言葉は、迷いなく、そして痛々しいほどに真剣だった。


 妻の不貞。

 その報せは、メフェリム辺境伯家に関わるすべての人間にとって、まさに青天の霹靂、寝耳に水の話であった。

 辺境伯夫妻の関係は、誰がどう見ても良好で、その絆の深さは領地中が知るところだった。この夫婦の間に亀裂が生じ、ひいては家門の関係が悪化することを是とするような貴族は、帝国中を探しても存在しなかっただろう。そのため、もし万が一にも不貞があるとしたら、それは旅の途中で偶然出会った一介の商人くらいだ。しかし、辺境伯夫妻の関係は、そうした一時的な欲求に走るほど、冷え切ったものでは決してなかったのである。その穏やかで確かな愛情は、誰もが認める事実だった。


オーエンは、深く沈黙した後、恭しく口を開いた。


 「そのような深遠な問題について、一介の執事に過ぎない私にご相談なさるのは、いささか筋違いではございませんか?」


 彼は、主の尊厳を守ろうとするかのように、控えめな言葉を選んだ。

 オルトリアは顔を上げ、執事長の目を見据えた。彼の言葉には、揺るぎない信頼が込められていた。


 「何を言うか。俺とお前だ。我々の間柄で、今さらそんなくだらない身分の差を論じるに値しない。」


 その言葉は、彼らが長年培ってきた、主従を超えた深い絆を物語っていた。

 オルトリアは皇帝に次ぐ権力と発言力を持つ辺境伯領主。どんなに親密な関係を築いていたとしても、その間には決して埋めることのできない決定的な身分の差が確かに存在していた。しかし、オルトリアとオーエン、二人の交わす口調や、執務室に漂う空気からは、そのような明確な身分の差は微塵も感じられなかった。そして、主からの信頼と意見を求められた執事長のセバス・T・オーエンは、懐から自前で用意してきた一冊の資料を静かに取り出した。


オーエンは、その資料をオルトリアの前に差し出し、深い敬意を込めて尋ねた。


 「……旦那様、恐縮ではございますが、こちらの資料に目を通していただけますでしょうか?」


 その声は、控えめながらも確かな自信に満ちていた。

 それは、オーエンが辺境伯の苦悩を察し、独自に極秘裏に調査を進めていたオルトリアの妻、すなわち夫人の日々の移動と行動の記録であった。このメフェリム家での使用人と主の関係は、帝国広しと言えども、非常に良好であることで知られている。

 使用人が体を壊すほどの業務過多は決して起こらず、また使用人に対する主の扱いは、隣人に対するそれと大差ないほど、人間味あふれるものだった。それは、このベイオン帝国で第二位の権威を有する当主オルトリアや、その妻子についても同様の配慮が常に払われていた証である。

 事細かに記載された夫人の行動の数々に、オルトリアは驚きを隠せないでいた。日々の買い物、慈善活動、友人との交流、すべてが克明に記されている。そして、その一つ一つがしっかりと裏付けされた証拠と共に提示されており、夫人の不貞を疑う要素の欠片すら見出すことはできなかった。彼の心に渦巻いていた疑念は、その資料の前にあっけなく打ち砕かれた。


オルトリアは、資料を凝視したまま、絞り出すような声で呟いた。


 「……これは一体、では、あの白銀の髪は、何を意味しているというのだ……。」


 彼の表情は、安堵と同時に、新たな困惑と混乱に支配されていた。

 オーエンは、主の動揺を静かに受け止め、真っ直ぐに答えた。


 「私がこの調査の結果に対して、いかなる処罰を受けようとも、甘んじてお受けいたします。しかし、我々が調べ尽くした限りでは、奥様がそのような行いに関わる、それらしい交友関係も、不審な行動も、疑わしい痕跡も、一切見つけることはできませんでした。」


 その言葉は、夫人の潔白を確信する、揺るぎないものだった。

 オルトリアの表情は、安堵感が六割、未だに残る疑問が二割、そして目の前の事態が全く理解できないという困惑が二割といった具合に、複雑に歪んでいた。帝国中で博識として名高いオルトリアの、これまでの常識では、子供の遺伝的形質は親から子へと受け継がれていくものだという研究は進んでいた。特に髪の色、肌の色、瞳の色といった、目に見えて分かりやすい特徴であれば、その傾向は一層顕著であるはずだと、彼は強く信じていたのである。


 もし、この子が妻の不貞による不義の子ではないのであれば、どうしてこれほどまでに両親とは明らかに異なる形質を持つ子供が生まれてくるのか。そのような前例を、彼はこれまでの人生で一度たりとも見聞きしたことがなかった。彼の常識が、目の前の現実に真っ向から否定され、深い思考の泥沼へと引きずり込まれるようだった。


「その白銀の髪の件もございますが、旦那様。つきましては、こちらの聖王国内で現在、精力的に勧められている研究資料をご覧いただきたく存じます。」


 と、オーエンは、さらに数十枚もの用紙の束を、静かに執事長からオルトリアの手に受け渡した。その分厚い資料の表紙には、簡潔な要約が記されていた。『産まれてくる子供の遺伝的形質に関する例外事例』。それは、まさにオルトリアが今、直面している問題に直接的に関わるテーマだった。

 他国の学術的な研究資料に目を通すことは、ベイオン帝国の法律においては特に言及され、禁止されることはなかった。隣国の王国では、時に学術的見解であっても、その内容によっては禁書に指定されるものも多いと聞く。しかし、ベイオン帝国では、学術的見解に基づいた内容であれば、それがたとえ既成概念を覆すものであっても、積極的に検証し、その真偽を究明すべきであるという、開かれた方針が採用されていた。この自由な学問への姿勢が、帝国の発展を支えてきたのである。


 その資料の内容によれば、驚くべきことに、両親からは遠く離れた、はるか過去の祖先の遺伝的特性が、突発的に現代の子孫に出現する可能性があるということが指摘されていた。さらに、胎児が母親の胎内で形成される過程において、その期間に何らかの外的要因が強く作用することにより、通常とは著しく異なる形質を有した子供が生まれる可能性も存在するという、衝撃的な事実が指摘されていたのである。


オルトリアは、資料を食い入るように見つめ、信じられないといった様子で呟いた。


 「……まさか、ここまで親と異なる形質の子が生まれるといった事態が、本当に起きえるというのか?」


 彼の声には、疑念と同時に、一縷の希望が宿り始めていた。

 オーエンは、主の困惑を解くかのように、落ち着いた口調で答えた。


 「ええ、旦那様。肌の色といった目に見える特徴で言えば、ごく稀にではございますが、このような事例は報告されているとのことです。また、今回の場合は、いくつかの複合的な要因が重なり合った結果として、現れた可能性も十分に考えられるかと存じます。」


 彼の言葉は、冷静かつ論理的だった。


 そう言われて、オルトリアは提出された分厚い報告書をさらに深く読み進めた。その中には、近年、領内で観測されている獣や魔物たちの形質変化に関する詳細な記録が記載されていた。今まで見聞きしたことのない新たな魔獣の出現。並びに、これまでの常識では考えられなかったような、類を見ない強い魔物の発生など、メフェリム辺境伯領を取り巻く生物環境全体に、劇的な変化が起きていることが克明に記されていた。


オルトリアは、そのページから目を離すことなく、静かに言葉を紡いだ。


 「つまり、これらの異常な環境変化が、今や人間種にも影響を及ぼし始めている、という可能性を示唆しているということか。」


 彼の声には、深い考察と、事態の深刻さを受け止めようとする真摯な覚悟が込められていた。

 オーエンは、主の問いに対し、わずかに間を置いて答えた。


 「あくまで可能性としては、非常に高いと考えることができるかと思われます。」


 その言葉の裏には、さらなる詳細な調査と警戒が必要であるという、執事長としての危機感が滲み出ていた。


 『天帝雲』

 かつては単なる自然現象として認識されており、その後に現れる獣や魔獣の活動を加味したとしても、一般的な地震とそこまで大きな差を見出すことのできない程度の脅威だと考えられていた。しかし、近年、その規模と頻度は増し、単なる自然災害の範疇を超え、国の国力を著しく低下させる要因として捉えられるようになった。これは、もはや警戒するだけで留まる状況ではない、明確な危機へと変貌を遂げつつあったのだ。


 それは、まさしく今回、辺境伯家で起きたような、子供の遺伝的変異という形で現れる可能性を示唆していた。知識と経験から、子供の形質の違いに深い疑念を抱いたオルトリアだが、もしこの子が、自身と明らかに異なる肌の色や髪の色を持つがゆえに、世間から正当に認知されないとしたら。あるいは、不幸にも「呪い子」などと呼ばれて疎まれる可能性は十分に考えられる。もし、このような事例が、辺境伯家のような貴族階級にも公然と起きれば、それは家同士の間に不和と亀裂を生み、帝国全体の秩序をも揺るがしかねない、極めて深刻な問題へと発展するだろう。


オルトリアは、深い溜息を一つ吐き出すと、力強く命じた。


 「この事態を受け、孤児や浮浪児、そして行き場を失った母子たちの増加が懸念される。直ちに、緊急の対処にあたってくれ。必要となる人員は、お前の判断で最適な者を選抜して構わない。この未曾有の事態が、我々の管理可能な範囲で収まりそうか、お前の見解を聞かせてくれ。」


 彼の言葉には、領主としての責任感と、民への深い配慮が込められていた。


オーエンは、一瞬考え込む素振りを見せ、慎重に答えた。


 「現在、既に調査に回っている者たちも含めれば、なんとか対応できるかと存じます。しかし、今回の変異現象の発生時期が未だ不明である以上、全ての事態に完璧に対応することは難しいでしょう。」


 彼は、現実的な困難も同時に伝えた。


オルトリアは、深く頷き、その現実を受け入れた。


 「もとより、その全てを救い出すことなど、最初から考えてはいない。今、我々の目の前で救える命があるならば、ただひたすらにその救済を与えるだけの話だ。並行して、皇帝陛下にも同様の上奏文を作成し、この新たな脅威について御触れを出していただくよう、働きかけよう。」


 彼の決断は、冷静かつ迅速だった。

 魔物たちの形質異常に関する最初の報告が上がってきたのは、今から約五ヶ月前のことであったと、記録には目立って記されていた。

 現在、その異常発生の具体的な経緯や、目撃例における魔物たちの成長速度などは、依然として不明瞭な点が多い。しかし、これらの一連の生物環境の変化を鑑みれば、ここ一年以内に生まれる人間種の子供たちも、その影響を極めて高い確率で受けている可能性があると言わざるを得ない。


 これほどまでに緊急を要する事態を、先送りにして良い結果が生まれるはずもない。であるならば、対応は一刻も早く、対応を行うのが賢明であると、オルトリアは強く確信していた。


オーエンは、主の決断を静かに聞き届け、深く頭を下げた。


 「かしこまりました。全て、迅速に手配いたします。それよりも、旦那様、一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」


 彼の問いかけには、次の行動を促すような、仄かな意図が込められていた。

 オルトリアは、オーエンの言葉に答えるように、深く、しかしはっきりと呟いた。


 「わかっている。今、このメフェリム辺境伯として、そして一人の夫として、最もすべきことは。」


 彼の目には、もう迷いはなかった。


 そう呟くと、オルトリアは執務室の机からゆっくりと腰を上げ、決意を秘めた足取りで歩みを進めた。ここまでの自身の対応に、決して非があったつもりはなかった。母子に必要な食事の量や栄養は、これまでと同様に配慮し、衣食住の環境に変化を加えることもなかったはずだ。しかし、これまでの日常と決定的に異なっていたのは、妻が抱えていたであろう精神的な不安と、言葉にできない苦痛だっただろう。あの白銀の髪の子を前にして、彼は疑念を抱き、妻を避け、その心の支えとなることを怠ってしまった。


 その疑念の心配がようやく晴れたこと、そして、その間、最愛の妻に寄り添うことを欠いてしまったことは、紛れもない事実である。であるならば、今、彼が行うべき行動は、自ずとただ一つに絞られる。彼は、一歩また一歩と、妻のいる部屋へと向かって歩みを進めていった。

https://50486.mitemin.net/i1142640/


https://50486.mitemin.net/i1142639/

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