外伝 アリシャ
突然の外伝失礼いたします。
入学式後に入れる予定の話でどちらがいいか最後まで悩み、こちらにしました。
冒頭少し説明が重めですが、学園編でも主要なキャラなので、楽しんでいただけると幸いです。
アリシャにとって、帝都は想像を絶するほど広大な街だった。
山間の小さな村で育った彼女の目に、空を突き刺すようにそびえる建物も、果てしなく続く石畳の大通りも、絶え間なく押し寄せる人の波も、あまりに異質に映った。
生まれ育った、村では数えるほどしか出会わなかった他の種族も、ここでは当たり前のように行き交っている。
その過剰な情報量に揉まれ、感覚の均衡を失いそうになることもしばしばだった。
だが、何より違ったのは、人々の判断の速さだった。
帝都の人間は、ほんのひと呼吸で相手を評価し、分類してしまう。
アリシャが通りを歩くだけで、背丈、肩幅、擦れた衣服、荷物の重さ、足取りまでもが、精密な天秤にかけられるように観察される。視線を滑らせた相手が心の中で何を決めつけたのか、手に取るように分かってしまう。
そんな不快な確信があった。
「どうせ子供だろう」「見かけ倒しだ」「安く見られるんだ」
怒りでも悲しみでもなく、それはアリシャにとって、疑いようのない事実だった。何度も肌で感じてきた現実に、感情的に反発する気力すら、削がれていく。
十四歳。
この国では、その歳をもって成人として扱われる。厳しい家計を支えるため、何らかの形で収入を得ることは、彼女にとって避けられない義務だった。
故郷に残してきた家族を思えば、帝都での成功は彼女の双肩にかかっている。
ドワーフの血を引く彼女は、一般的な成人男性を凌駕するほどの怪力を誇る反面、手先を使う細かな作業が極端に苦手だった。
そんな自身の特性を鑑みて、最も効率よく稼げる仕事として選んだのが、重い荷物を運ぶ荷物持ちだ。
あらゆる才能と夢が行き交うこの場所なら、自分の居場所がきっと見つかる。そんな漠然とした期待を胸に、彼女は故郷を遠く離れ、帝都にやって来たのだった。
しかし、帝都は村では決して向けられなかった冷徹な視線を、アリシャに注いだ。同年代の他の種族と比べても、背が低く、肩幅は狭い。幼さの残る顔つきは、彼女を対等な職業人として扱うには決定的に不足していると、人々の目は語っていた。たったそれだけで、評価は一段階も二段階も引き下げられる。
「どうせ何も言えまい」「少し脅せば言うことを聞く」「押せる」――そんな侮りの視線も、日常茶飯事だった。朝、帝都の門をくぐるたびに、心を鋼のように硬くしなければ、一歩も前に進めなくなってしまう。
外套の内側に縛り付けた革袋を、アリシャは無意識に指先で弄んだ。中には苦労して稼いだ銀貨が入っていて、金属の冷たい重みがかすかに揺れる。
腕力と体力だけを頼りに働き続け、時には傷つき、血を流しながらも、立ち止まらずに得た対価だ。決して無駄にはできなかった。
やがて彼女は、目的の店の前でぴたりと足を止めた。探窟者の間でその名を知らぬ者はいないという、由緒ある装備店《グランツ工房》。
安売りの量販店とは一線を画し、実用性と確かな品質を重んじることで知られている。重厚な木の扉も、窓から覗く展示品も、一つ一つに職人の誇りが感じられた。
「ここなら……」
この店なら、見かけや年齢ではなく、品物の価値と、使う者の力量を正当に評価してくれるのではないか。そんなかすかな希望が湧き上がる。寸暇を惜しんで働き、入学金を貯めて、ようやく掴んだ学園の受験機会。その入学試験に欠かせない装備を整えるために、今日ここへ来たのだ。
荷物持ちから脱却し、一人前のパーティーメンバーとしてダンジョンに挑むために必要なのは、身の丈ほどもある巨大な大盾だった。しかも、それを二枚、両手に携えるという前例のないスタイルだ。
故郷では並外れた腕力で魔獣の被害を抑えてきたが、成人前の少女が第一線の戦力と認められることはなく、結局は大型のリュックを背負う運搬役のままだった。
学園では違う。
最前線で戦うことが求められるからこそ、身を護り、敵を阻む盾が要る。この大盾こそが、未来を掴む唯一の道だと信じていた。
固い決意を胸に、アリシャは店の重い扉を、渾身の力で押し開けた。
店内は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
鼻をくすぐるのは、冷たい金属と、油と革の混じり合った工房の匂い。壁に整然と掛けられた盾や鎧は、どれも飾り気のない実戦向けの品ばかりで、派手さこそないが、雑な作りのものは一つもない。
使い手への配慮と、確かな技術が宿っていた。
「……本物だ」
思わずそんな言葉が漏れた。ものづくりは得意ではなくとも、使う側の目なら嫌というほど鍛えてきた。粗悪品や見かけ倒しの装備を見てきたからこそ、この店の品の真価を直感で見抜けたのだ。
店内の一角では、場違いなほど華美な装いの貴族の少年が、剣を体に固定する留め具を真剣に吟味していた。
ただ、その指先や視線の動きには、強度や機能性とは別の何かを確かめているような、微かな違和感があった。
まるで、独自の基準で品の本質を見極めようとしているかのようだった。
「……変な人だな」
一瞬だけそちらに視線を取られたが、アリシャはすぐに目的へ意識を戻した。一枚の銀貨も無駄にできない状況なのだ。
彼女の所持金は銀貨三十枚。全財産だ。さらに厄介なのは、盾を二枚選ぶ以上、重さがなるべく揃っていなければならないことだった。
手作りの盾は一つ一つ個体差があり、重量もバランスも微妙に違う。
左右の筋力に合った、重さも形も均衡の取れた二枚を、限られた資金で探し出さなければならない。
幸い、彼女にはハーフドワーフとして天性の目利きの力があった。木材の密度や金属の鋳造具合まで、見ただけで重さの違いをおおよそ判別でき、触れれば質や耐久性まで見極められる。
早々に、感覚にぴたりと合う二枚に目星をつけることができた。問題は、ここからだった。
《グランツ工房》は帝都でも指折りの有名店で、品には相応の価格が付く。
大半の店では、客と店主の交渉で最終的な値が決まるが、格式ある店ほど、アリシャのような幼い客を軽んじ、足元を見ることが少なくない。それも、彼女は経験から知っていた。
「すみません、この盾を買いたいのですが」
声を上げると、店の奥から中年の男性が現れた。店先で見かけたことのある、職人気質の店主とは明らかに違う顔つきだった。
鍛冶場の火と鉄に打ち込んできた者特有の威厳がない。見習いか、店番だろう。そう直感した瞬間、嫌な予感が胸を過った。
案の定、男性はアリシャの幼い外見に気づくと、気怠そうな態度を隠そうともしなかった。子供の相手は面倒だと言わんばかりの視線だ。
「……どちらの盾のことですか?」
「あ、えっと、この二つです」
「少々お待ちくださいね」
外見を理由に、売ること自体を渋る店もあった。それに比べれば、不満そうでも客として見てくれているだけ、ましだ。一瞬だけ安堵したアリシャに、男性は告げた。
「一つ銀貨二十五枚。合わせて五十枚ですね」
その価格を聞った瞬間、アリシャの胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。全財産の銀貨三十枚では、到底手が届かない。




