入学式
式典が始まる前のわずかな間。
入学式の開催を待つ新入生たちの中の何人かに、リリシアが話しかける。
「ねぇ、ちょっといいかな。今日、入学した子?」
声をかけた相手は、緊張した面持ちで並んでいた男子生徒だった。突然話しかけられた驚きよりも、声をかけてきた相手への驚きの方が勝ったのか、みるみるうちに顔が赤くなる。
「え、あ、は、はい。そ、そうです、けど……。」
「よかった。ワタシもなの! あっ。ワタシはリリシア。これからよろしくね。」
にっこりと笑いかける。相手はもはや言葉を失っており、頷くことしかできない様子だった。
手応えあり。そう思ったところで、頭を掴まれる。
「何をしている。」
「信者の開拓。」
「やめろ。」
一言で断ち切られ、元の位置へ引き戻される。
「ケチ。」
「もう直ぐ式典だ。大人しくしてろ。」
まるで保護者に引っ張り戻される子供のようにザインに連れ戻される。しかし、リリシアは、ザインの隙を見て再び近くに立っていた女子生徒に話しかける。
「ね、ちょっといい?」
「え、あ、わ、私ですか?」
「うん。今日入学した子でしょ。ワタシねリリシア。これからよろしくね。」
「えと、あの、その……。」
女子生徒が何かを言おうとしたとき、今度は首根っこを掴まれる。
「おい。」
「あ、もうちょっと――」
「来い。」
抵抗する間もなく引き戻される。
同様の手がなんども通用する事なく、三人目の大柄の男子生徒に話しかけるときにはすでに、視界にザインが立っていた。
学園長の挨拶。来賓の紹介。ありきたりな式典にリリシアは退屈し、小さくあくびをする。背筋を伸ばしたくなる気持ちもあるが流石にそこまで非常識ではない。
そして壇上に姿を現した人物を見て、会場がわずかにざわめいた。皇帝ヴァンドリヒ・カサンドラ。歴代でも珍しい女帝であり、ダンジョン攻略でも功を持つ戦える皇帝である。
試験会場で見せた、深紅の鎧ではない。深紅のドレスを身に纏い、胸元には同色の胸当てが輝いている。その全身から気品が溢れる。
リリシアはぼんやりとそれを眺めていた。
そのとき。
胸の奥で、何かが鳴った。
音ではない。
その耳には周囲の布が擦れる以上の音は聞こえない。
光でもない。
その目には窓から入る太陽の以外目を覆いたくなる光源はない。
ただ、そちらへ向かわなければならないという感覚が、意識より先に体を動かしていた。それが何なのか、言葉にならない。しかし、リリシアには経験があった。
もう、遥か昔に感じるほどの――
そこで、リリシアの意識は途切れる。
異変に気づいたのは、隣の気配が変わった瞬間だった。
いや厳密には、視界の端にリリシアの行動が入って来たからだ。
視線が壇上に固定されたまま、体が一歩前に出ていた。歩き方がおかしい。明確な違いを説明することは難しいが、普段の彼女らしさというものを感じることができなかった。
「……おい、どうした。」
小さく声を掛けるがそれに対する反応はない。呼び止めようと手をゆっくりと伸ばすがそれよりも早い速度で、リリシアが歩みを進める。
もともと整列を求められていた会場ではない。出席者は思い思いの場所に立っているに過ぎず、移動する事はめずらしいが可能だ。
しかし、皇帝陛下という特別な人物が現れてから動く人間は特別な意味が出てくる。
故に、皇帝陛下もあわせた全員の視線がリリシアへと向かう。
その全ての視線に乗った感情は、負の物が占めていた。
会場がざわめき始める。壇上に控えていた数人の警護が動く。初めは、突然登場した皇帝に動揺した生徒を制止を促すつもりだった。しかし、その生徒の尋常ではない様子に、急いで反応する。
リリシアの進行方向を押さえる形で、行く手を阻む。
同時に、ザインもまたただ事ではない状況を察知し動き出す。
動揺する人垣をかき分けて、リリシアの元へ急ぐ。その動きはより大きな混乱を起こさないよう細心の注意を払いつつも、全速力で前へ進む。
「君止まりなさい。」
警護の男性がリリシアに制止の言葉と共に腕を掴もうと右手を伸ばす。
瞬間、リリシアの動きが変わる。
今までのゆっくりとした動きではない。明らかな制止行動に反応し、鋭く、そして素早く跳躍する。
「(それは、まずい!)」
頭上を越えられた警備の男性よりも早く、思考を巡らせたのはザインだった。
(武器は持っていないが、警備兵の制止を振り切っての接近は、その場での極刑もあり得る。しかし、ここからではあいつに追いつけない。)
幼少期から身体能力の向上には積極的だったが、それでもリリシアには及ばない。今の彼女が全力で動けているかは不明だが、それでも五メートル以上離れたこの場所から、すでに着地しようとしている彼女に追いつく事は不可能だろう。
「(こんなところで、使う羽目になるとは……)」
ザインには前世の知識も含め多種多様な魔法の知識はある。
しかし、その力は、この世界の常識から逸脱したものであり、前世を終えることになった原因を考えれば、忌避すべき力でると考えていた。
だからこそ、今まで十四年間ひた隠しにしてきた力。この世界の外の力。
『愚者の左腕』
刹那、ザインの背後に魔力が収束する。その本来物理的な質量を持たない魔力が形をなし、視覚で認識できるほど濃縮される。
厳密には魔力を媒介にして顕現した骸の左腕。
周囲の人間が視認することができる頃には、その骸の腕はリリシアをしっかりと掴んでいた。
式場に悲鳴がこだまする。
成人を迎え、これからダンジョン攻略に身をおくと言っても十四歳の少年少女が半数を占める新入生。そんな中、皇帝陛下に危険を与えかねない危機が発生し、自身の知識の外にある魔法が人間の骸のような形状で姿を表せば平常心でいられるものの方が異常だと、ザインも思ってしまう。
「……メフェリムのところか?」
「はい。陛下。」
その中でも最も冷静だったのは、危険にさらされた皇帝陛下。カサンドラ本人であった。
「私の連れの者が大変な失礼を致しましたこと、ここに伏してお詫び申し上げます。」
リリシアを骸の腕で掴んだまま、これまでの最高速度で、カサンドラの前に跪く。
骸の腕に気を取られ、ザインの接近に気がつかなかった警備兵をカサンドラが片手で制する。
「君が止めた。それだけで十分だ。」
そこでカサンドラは一度言葉を止め、リリシアに視線を向ける。
彼女らは全くの初対面のはずだ。しかし、カサンドラが彼女に対する警戒心がないことが理解できる。
それほどまでに、皇帝はザインの父——オルトリア含むメフェリム家を信頼しているのだろう。
「……ただ、後で話は聞く。今は控えろ。」
その言葉の裏には、いまはこの会場から即座に退場を促す意味をザインは理解する。
「陛下の仰せのままに。」
最敬礼の姿勢を崩すことなく、骸の腕で掴んだリリシア共々入学式典の会場を後にする。
「何が起こった。」
そのザインの言葉に未だリリシアは反応しない。




