秘めた願い
およそ二時間。
たっぷり時間をあけたのち目の前には一組の女性があらわれた。
一人には面識はある。それは良い皇帝とともに面会を行った魔族領の特使の女性であり、顔の大半を布で覆っている。
一方でもう一人の女性。というよりは少女に見覚えはない。
白髪の少女の顔は、非常に薄いベールで口元を覆っているが、特使と異なり、それより上に覆いはない。黄色に近い金色の右目と、真紅の左目を持ち、頭部に魔族特有のツノが一対。ねじれた形状の黄金のツノ。
そのどれもが普通でないことを物語っていた。
「では、改めまして。このたびはこちらの物が大変なご迷惑をおかけいたしました。」
「いえ。その件はもう。今後の両国の不和は私共もの望むところではありませんので。」
およそ14歳の少年の所作とは思えないほど落ちつたザインに特使は多少の驚きを覚えつつも、帝国貴族の教育の高さを再認識する。
「バルドルの独断先行。弁解の余地もございません。しかし、問題はそれだけではないのです。」
そう慎重に切り出した特使の言葉いに、隣の少女の方がピクリとゆれる。
「ザイン殿。戦闘の際。バルドルと結んだ契約。その意味に関してどこまでの知識がおありですか?」
その言葉に、ザインは右手の甲に広がる紋様に目線を飛ばしたくなる衝動を必死に抑える。
彼は、この手に広がる紋様のことを『令約』と表現した。それについて聞く暇もなく、戦闘になり現状に至るため、これがどういうものか一切理解できていない。
「……全くだ。この紋様についても、その意味についても。」
その言葉とともに、ザインは二人に右手の甲に出現した紋様を見せる。その瞬間特使の目線がわずかにそらすように動く気配を感じる。
「そうですか。それは、我らが故郷に伝わる古への秘術。令約を持って命令を下し、令呪を体に刻みます。」
そこで一度目を伏せる。
「……しかし、彼は古語に精通しておらず、その内容は完全隷属に近いものとなっております。それと同じモノが、神子様にも刻まれてしまったのです。」
確かにあの時、バルドルは監視を行っている者にも同様の契約を行うように促しており、その契約が先に完了したことを言っていた。それが、目の前にいるオッドアイの少女ということなのだろう。
表情一つ変えることなく、瞬時に状況判断を行ったザインは状況を整理し、口を開く。
「(問題行動の責任はあるが、それ以上に『神子』と評される彼女に令呪がかかった事の方が問題だと言う口ぶりだな。)……解呪の手段は?」
「ございます。主人側。すなわち、あなた様が、契約破棄の祝詞をあげていただく必要がございます。」
「……古語か。」
「御理解が早くて助かります。左様でございます。」
二人の間にわずかな沈黙が流れる。
状況は整理出来た。
現状のザインに魔族領の神子を隷属していてもメリットはない。しかし、ザインの命を狙ってこないことを考えると単に、主人側が死んでもその呪が消えないのだろう。一生残るのか、はたまた主人とともに生き絶えるのか。その結果はいまはどうでもいい。
問題なのは、解呪の方法が魔族領の古語による祝詞という点だ。
「生憎だが、帝国に魔族領の関連資料は一切ない。それなりに時間のいる作業になる。」
その言葉に特使の表情が歪むのがわかる。
焦りと怒り。そして、強く出る事のできない現状に対する葛藤。古語の習得には魔族領の住人でも苦戦をしいられるものはいる。それを14歳になったばかりの少年に強いるのに。彼女の立場から強くいう事のできない現状を最も理解しているからだ。
「……畏まりました。可能な限りこちらで資料を用意いたします。」
その時だった。
「あ、あの。」
そこまで静かに座っていただけの神子が口を開ける。
鈴の音が響くように静寂を作り出す。
「令呪のこと。解決して頂けるのであれば、急がないの。それよりも……。」
金と真紅の瞳の中の熱がわずかにます。
「あなたは何者、なの?」
その質問にザインの心音は一音上がる。
表情には出ていない。それは目の前で神子の少女を制止しようとしている特使の行動から、ザインに変化がないことは明白だ。
「神子様。いまは――。」
「いいえ。今しかないの。あの時、令約を結び、繋がりが強まった今もなお。魔族領でも感じた事のない『何か』を其方から感じるの。」
その感じる者は『神子』としての権能なのかという疑問がザインの脳裏をよぎるが、言葉に出して質問する訳にはいかない。
ザインが依然として沈黙を続ける以上相手の言葉は止まらない。
「此方は特殊な権能を持っているの。それは――。」
「神子様!」
叫ぶ特使を神子の少女は、左手一本で制止する。
「――しかし、その力は今失われているの。その原因はあなたでは? と、我々は考えているの。」
神子が力を失っていることは、彼女らにとっても話したく無い事実なのだろう。
それは、特使の女性の苦虫を噛み潰したような表情から、伺える。
「その状況に関しては、直接的な関与をしていないことを誓おう。」
それは間接的な関与があった場合での免罪符としてもザインは話していた。
考えられる原因は、この世界への転生だ。この14年間の中で、ザインやリリシアが異常な存在である事は十分理解している。平均値を逸脱し、常識では測る事のできない存在だ。しかし、世界そのものに影響を与えるほどの存在ではなかった。
しかし、彼女の状況を考えると、少なからず影響を与える可能性を今後は考慮する必要が出てきた。
「……分かりました。そのことも、まだ追求するつもりはありませんので。」
神子が必要以上の言葉を発さなかったことに対し、特使は胸をなでおろした瞬間。
「……ただ、この令呪が説かれた後も、こうして、此方とおしゃべりしていただけますか?」
その言葉にこの場の空気がガラリと変わる。
神子は面布の下で仄かに赤面し。
特使はキャラが崩壊するほど狼狽し。
ザインは目が点になるほど驚く。
全員が静止する中、すでに楔が外れ、饒舌になった神子が続ける。
「此方歳の近い友人はそう多くなくてですね、友達がいないわけでは無いのですよ、しかし、此方は神子として特別なわけで、その中でも貴方は、理知に長け、魔族領としても重要な家であり、私にとっても令約の――」
「神子様! そのあたりで。」
息つく間もなく話し続ける神子を、特使が両手で押さえつけるように制止する。
その後も抑えられながらも話しを続ける、神子を無理やり引っ張るように特使が連れ出して行く。
数分の後、落ち着きを取り戻した神子とともに特使が席につき話し出す。
「――失礼いたしました。資料に関しては、こちらで用意いたします。が、早急な解決をこちらは求めております。神子様は魔族領にとって重要な存在。その方が、隷属状態にあることは、いかなる理由であれ、看過できるものではありません。」
咳払いを交えつつ、先ほどの狼狽をなかった事のように会話を再開する。
その会話の方向にザインも乗っかる。
「理解はしている。が、理解できない言葉での令約を扱った失敗はすでに経験している。そのリスクはそちらとしても負えないだろう。」
「……おっしゃる通りです。」
現にこの状態を招いたのは古語を理解していないバルドルが、安易に令約を使用したことが原因である。
「それともう一つ。こちらとしては、条件を提示したい。」
先程までの会話と異なり、ザインのトーンが一段変化する。
いや、厳密には彼の声のトーンは変わらない。しかし、場を支配する空気の変化を感じ取る。
「私個人としては、解呪には前向きに動こう。しかし、彼の独断専行はそちらの責任。その上、そちらの要望を秘密裏に行うのであれば、相応の誠意を示していただきたい。」
「……誠意、ですか。」
ここからがこの対談の本番であること特使は理解する。
帝国でも屈指の権力を有するメフェリム家。その中でも、これほどまでの実力を有しつつ、権力争いから落ちた貴族の要望に身構える。
「帝国との条約。一つ追加していただきたい項目があります。大穴――アビスへの帝国並びにそれに準ずる、探窟者の攻略の許可だ。」
それは、ダンジョンの攻略を第一に考えるザインにとって最重要な条件である。
現在、帝国、王国と聖王国が攻略を行なっているバベル。協商連合と帝国が面しているランビリス。に加え、魔族領のみが攻略を行えているアビスに帝国が(ひいてはザインが)攻略に参加できることは非常に意味を持つ。
「……それだけ、でよろしいのでしょうか?」
「ああ。それだけだ。」
拍子抜けだと言わんばかりの声で特使は言葉を発する。
「ア、アビスはその性質上、一度はいれば簡単に出る事のできないダンジョンです。帝国が攻略を開始できるものではありませんが。」
「ああ。理解している。」
その言葉に、特使は沈黙し、しばし考え込む。そしてゆっくりと口を開く。
「かしこまりました。アビスへの帝国の攻略許可。承認されるように働きかけましょう。しかし、最終決定は上層部との話になりますので、私の一存ではここまでが限界であることをご了承ください。」
「それで構わない。互いに時間はあるのだから。」
そこにきて、初めてザインは目の前に用意された飲み物を口にする。長時間の会話の末に、冷め始めてしまった紅茶。しかし、それは勝利の美酒のように格別に感じた。
一方、特使もこの状況に思考を巡らせる。
バルドルの大失態に神子の隷属化。それを解決するためにでた要望が、帝国としてはすぐに行う事のできない大穴の攻略許可一つ。損得だけの話で言えば、魔族領にとっては悪い話しではない。
もちろん、問題はある。
聖王国だ。
長年、聖王国はアビスに対して攻略を開始したいという打診を魔族領に出してきた。しかし、信仰の対象ともなっている大穴に魔族以外の種族が入ることに反対する派閥は多い。その彼らと、聖王国をねじ伏せて、帝国の攻略許可を出すことは困難を極める。しかし、それ以外に神子を救う手立てが無いのであれば、全力で行うまでに過ぎない。
「資料の方は、明後日までには用意し、お届けに上がります。解呪の準備が整いましたら、ご連絡を。」
「ああ、その方法の確立も頼む。」
簡単な言葉だけを告げ、ザインは立ち上がる。合わせて、部屋の扉が外から開けられる。
「……ザイン様。」
部屋を後にしようとするザインに神子が再び口を開く。
「お約束。忘れないで欲しいの。」
金と真紅の瞳がまっすぐにザインを見つめる。
「ああ。」
再び簡素な言葉だけを残してザインは、魔族領の館を後にする。
あくまで秘密に行なわれた対談。それ故、見送りのものなどいるはずもなく、馬車による送迎もかなわない。
完全に落ちきった夜の帳。冷たい風が頬を撫でるが、それでもザインの気持ちは晴れやかであった。
「(古語の習得は優先するとして、可能な限り、彼らからアビスや魔族領に関する情報は引き出すとしよう。)」
帝都の灯りがきらびやかに光る方へ歩みを進めるザイン。
あらゆる面においてうまくいったことに珍しく満足感に包まれていたが、この後、鬼神の如き形相の人物に会うことになるとは夢にも思わないザインだった。




