会合
未知の遺跡群から持ち帰ったサンプルと、その詳細を記した報告書を二日間でまとめ上げ、実家へと送り届けた。
その慌ただしい作業を終え、ようやく一息ついたと思いきや、翌日には再びエルドアに呼び出され、彼はあの遺跡群へと足を踏み入れていた。一度は踏破したはずの場所へ、これほど早く戻る事態になるとは、想像もしていなかった。彼の心には、一抹の予感がよぎっていた。
エルドアの表情は、これまでにないほど険しく、沈黙が二人の間に重くのしかかっていた。ようやく彼が口を開いた時、その声にはかすかな緊張が滲んでいた。
「今日は、俺の娘も途中で合流する。……最悪、戦闘になることも覚悟してくれ。」
そう告げられた時、ザインは自然と周囲を見回した。そこにいたのは、エルドアの他に、前回の探索でも同行した壁役のドーンと呼ばれる男性だけだった。前回の探索で、索敵や近接戦闘に長けた他のメンバーがこの場にいないことに、ザインは即座に疑問を抱いた。
「今日の戦力は、この僕たちとドーンさん、そしてエルドアさんの娘さんの、合計四名ということになるのでしょうか?」
ザインの率直な問いに、エルドアは静かに首を振った。
「いや、向こうにもう一人、別動隊がいる。ただし、彼女の専門は神聖系統の魔法だ。つまり、実質的な火力は、お前一人にかかっているということだ。」
十二年の少年に対する期待ではないと思うが、接近戦当職に比べ魔法職に優位に傾いていることは理解できる。
それは、何よりも「最低攻撃力」という根本的な問題に起因している。魔力あり適切な詠唱が可能であれば、安定した火力を誰でも引き出すことができる
しかし、接近戦闘となると話は全く異なってくる。武器の切れ味やその重量、それを使う者の技量、そして絶対的な筋力など、様々な要素が複雑に絡み合い、その結果は大きく左右される。
そのため、広大なダンジョンの攻略や、そこに巣食う凶暴なモンスターたちの討伐において、魔法職がチームに加わっていないという状況は、文字通り生存率に直結する問題だ。
「前回の探索では、危険な兆候はなかったが、何が確認されたんですか?」
ザインは、率直な疑問をエルドアにぶつけた。エルドアは表情をさらに硬くし、重い口調で答えた。
「ああ、俺らも盲点だった。瓦礫の山だと思っていたが、とんでもないやつが潜んでいたんだ。」
それは、前回ザインたちが探索を終え、帝国の派遣される調査員たちが到着した後に、本格的な調査を決めていた遺跡群の中央部。
ザインが報告書をまとめている間に、念のため確認を行なった際に発見したとのことだった。
「とんでもない奴は、やはりモンスターか?」
「ああ、間違いない。おそらく、以前壁画で確認したあの存在だろう。ボスクラスの可能性も考慮して、今回は戦力重視で臨む必要があると判断だ。」
ザインの知識は、あくまで書物からの情報に限られていたが、ダンジョンの壁面に描かれるモンスターの意匠が、特定の階層や大きな区切りの節目に現れる強大な存在を示すことが多いことを彼は知っていた。
現在確認されている事例は2体。
帝都中央にそびえ立つ『摩天楼バベル』と呼ばれる巨大ダンジョン。
その内部の壁画に描かれたモンスターは、それぞれ二十階層と三十階層で、実際に強大なボスモンスターとして顕現し、多くの冒険者の前に立ちはだかったという記録がある。今回の相手が、そのレベルの可能性があるとすれば、確かに容易な相手ではないだろう。
「そのレベルのモンスターを、この人数で本当に対応可能か?」
「……正直なところ、確実とは言えない。もし十階層レベルの相手であれば、どうにか対処できるだろう。しかし、それが二十階層クラスとなると、撤退だ。」
エルドアの言葉の裏には、それ以上の存在であれば、もはや撤退すら叶わず、即座に全滅する可能性が隠されていることを、ザインは瞬時に察した。しかし、その懸念を口に出すことはしない。
その理由は、ザイン自身が秘めた「奥の手」だ。万が一、現状の戦力では到底太刀打ちできない事態に陥ったとしても、周囲への被害や自身の評判を無視してでも自身の身を守る術を持ち合わせている。
その力の対応できる範囲は、元探窟家であった師匠の話から推察するに、現状で確認されている最大階層の脅威にも十分に通用するレベルであると、彼は踏んでいる。
もし仮に、そのザインの奥の手をもってしても対処できないような存在であるならば、遅かれ早かれ、このメフェリム領一帯は焼け野原となることは明白だ。彼の決断には、そんな諦めにも似た覚悟が滲んでいた。
エルドアらは躊躇することなく歩みを進め、前回の半分の時間で遺跡群に到着した。
戦闘前に彼らはしばらくの間、ここで休息を取ることに決め、野営地を設営した。
全ての準備を終えても、合流地点に誰も現れない状況が続いた。
時間だけが過ぎていく中で、ザインは目標のモンスターを一度確認しておきたいとエルドアに提案する。
「もし合流がまだ先になりそうなら、一度そのモンスターを見ておきたいんだがいいか?」
エルドアは腕組みをしてしばらく考え込んだ後、静かに頷いた。
「……ああ、そうだな。一度見に行ってみるか。実際に目にすれば、何か別の対策案も浮かぶかもしん。」
今日のエルドアは、ザインが今まで見たことのないほど、その思考の全てを集中させているように見えた。その姿を見るたび、今までに類を見ない事態がこの場所で起きていることを、彼は改めて認識させられた。
「一応聞くんだが、複数の意匠の中で具体的にはどのモンスターかわかるのか?」
ザインは、報告書を作成する際に注意深くメモしていた。壁画に描かれていた意匠は、一種類の統一された姿ではなく、いくつかの異なるモンスターらしき存在が描かれていたのだ。もし、その中のどのようなモンスターであるかを事前に知ることができれば、それに越したことはないだろう。
「俺も全ての情報を頭に入っていないが、翼を持ってるやつだ。体表は、トカゲみたいにツルッとしてたな。」
ザインが確認した限りの壁画からは、各モンスターの体表の質感を具体的に判断することはできなかった。しかし、「翼を持つ」という点から、その姿を漠然と想像することはできた。
そのおおよその造形は、ザインが前世で見たことのあるワイバーンに近い。
しかし、壁画から読み取れる最も異なる部分は、その頭部と翼の表現にあった。壁画に描かれている内容であるため、分かりやすく神格化されたり、意匠的な表現がなされている可能性も捨てきれない。
それでも、無視できない要素として、その額に描かれた「第三の目」が存在感を放っていた。また、同じ形状でありながら、口の部分が三方向に裂け、その中から四、五本の触手のようなものが伸びているものも確認されていた。
これらが同じ形をしているだけで、全く異なるモンスターである可能性も考えられるが、現状では同種の変異体、あるいは異なる進化段階にある存在だと考えても、大きな問題にはならないだろう。さらに、皮膜を有する前腕の最も長い部分が、鋭利な刃物のように表現された壁画もあったことから、それを攻撃手段として利用する可能性も十分に想定できた。ザインの頭の中では、断片的な情報が繋がり、一つの仮想敵の姿が形作られ始めていた。
「情報は多いに越したことはないが、想像はあくまで想像だ。実際にこの目で見て、経験した以上のことは、可能性の一つに留めておくべきだぞ。」
エルドアは、ザインの思考を見透かすかのように忠告した。ザインも、エルドアの言う通りだと心から同意する。経験から得られた情報であれば、その限りではないが、ザインが今頭の中で組み立てている想定は、あくまで過去の経験から類似の事例を引っ張り出したに過ぎない。そのような段階の想像をどれだけ重ねてみても、結局は意味をなさない経験を、彼は前世で何度も繰り返してきたのだ。
そんな言葉を交わしながら、彼らがさらに足を進めていくと、エルドアは突然足を止めた。そして、右腕を軽く伸ばし、後ろに続く全員を制止させた。彼の視線の先に何かがあることを、ザインは瞬時に察知した。
「あれだ、見ろ。」
エルドアの言葉が指し示す先には、到底ワイバーンとは思えない、巨大な卵形のオブジェが鎮座していた。
その高さはおおよそ三メートルほど。表面はまるでトカゲの肌のような質感で、周囲の瓦礫や草木が少ない、まるで祭壇のような中央部に、その卵は静かに横たわっていた。その異様な存在感は、見る者の心を締め付けるようだった。
「あれのどこに、翼の要素があるんだ? エルドア。」
道中、ほとんど口を開くことのなかったドーンが、目を細めながら、疑問を隠そうともせずにエルドアに問いかけた。確かに、彼の視線の先にある卵型のオブジェには、その形状からして羽らしきものを見て取ることはできない。しかし、エルドアは静かに言葉を続けた。
「よく見てみろ。あの表面の模様だ。いくつもの羽が重なり合っているのが、一目瞭然だろう。」
「悪いな。俺の目にはそう見えん。どうだ? ザイン。」
「いえ、僕の目にも羽の継ぎ目は見えないです。わずかに大きさが変わっているようにも見えますが。」
ザインもドーンも、決して目が悪いわけではない。むしろ一般的な尺度で言えば、かなり良い方に分類されるだろう。しかし、遠目が利くことが有利に働く森番の中でも、エルドアの目は際立って優れている。その豊富な経験から導き出された彼の意見を、彼らが軽視する理由などどこにもなかった。
「なら、仮称として『トビトカゲ』でいいか? 合流し次第、遠隔から魔法で攻撃を行う手はずになっている。」
「いつも通り、安直だなぁ。――まあ、下手に刺激する必要もないな。」
命名に関してドーンは呆れたように呟き、エルドアの決定を受け入れた。その時だった。不意に、ザインはどこからか視線を感じ取った。そこには、殺意も敵意も乗っていなかった。しかし、その視線は、彼の背筋に冷たいものを這わせた。
嫌な予感がザインの脳裏を駆け巡った。それは、彼がこの世界に来てから、五歳から七年間にわたる戦闘経験の中で、いつの間にか失ってしまった習慣だった。この世界では魔力を持つ者が極端に少ない。だからこそ、彼は今まで行う必要もなかった、戦闘のルーティンの一つだ。
魔力の流れの感知。
この体になってからは、その感覚が実際に役に立った事例など、片手で数えるほどしかなかった。それゆえに、その能力を意識的に使うことは、ほとんどなかったのだ。
「エルドア、ドーン。八割程度の確実性しかないが、あの卵は、おそらく自己回復を図っている。」
ザインは、緊急性を帯びた声で告げた。ドーンはすぐに眉をひそめる。
「その根拠は?」
「魔力の流れを観測した。ごく僅かだが、空気中の魔力が、あの卵に向かって集まっている。」
魔力が集約される現象。それを主目的として作られた魔道具以外で、生物(モンスターや魔獣を含む)が自ら魔力を集約し、回復を図るなどという現象は、この世界の文献記録には一切残されていなかった。それは、尋常ならざる事態の証だった。
「もう少し、詳しく調べることはこの距離からでも可能か?」
「ええ、可能です。ただ、万一の不測の事態は避けたい。今は合流が最優先でしょう。」
ザインは、自身の能力に確信を抱きつつも、エルドアの判断を尊重した。「理解している。」そう告げると、ザインは即座に視覚と聴覚を、自身の魔力によって強化し始めた。嗅覚も強化することは可能だが、人間種においてこの感覚を索敵や観察に活用できる者は、ごく限られているだろうという認識が、彼の中にはあった。
――――
周囲に、微かながらも確実に魔力の高まりを感じる。
かつて類を見ないほどの強大なダメージを受け、どれほどの時が流れたのか、この「彼」には分からなかった。しかし、休眠状態に入ってからも、周囲の環境から魔力をほとんど吸収することができず、回復は思うように進まなかった。
「――――この魔力の高まりが、回復を妨げていた原因なのだろうか――――」
休眠状態では、周辺の魔力の変化を捉えることしか叶わない。そこから得られる情報は、休眠を継続することが有利なのか不利なのかを判断するための材料にしかならなかった。最小限の情報収集しか行えない反面、魔力の吸収などの副次的な効果を得ることはできる。しかし、それではあまりにも遅すぎた。
今、この彼が取ることのできる選択肢は二つあった。このまま静観し、この魔力の高まりを無視し、ほんの僅かな魔力の吸収で、途方もない時間をかけて回復を待つか。それとも、この周囲の魔力の高まりを、自身の回復を阻害し、枯渇させようとする明確な脅威であると断定し、概ね三割ほど回復した体で、その排除を行うか。そのどちらの選択をするかで、今後の自身の運命が大きく左右されるのは明らかだった。
「――――そこまで悠長に判断もできないか――――」
まどろみに近い半覚醒状態では、このまま思考を続けても最適な判断を下すことはできないだろう。何よりも、今まで感じたことのないほど異常な魔力の高まりが、今もなお続いている。それが自身に対して害意を持っているかどうかの予測など、もはや必要ない。問題はただ一つ、排除するか否かである。
「――――なまじ知性を有すると、こういう決断のときに、かえって判断に困るものだ――――」
そういった状況では、過去の理性的な行動がもたらした後悔が、今この瞬間の行動の足かせとなることが多々あった。そのような場合の対応法は、彼の中で既にはっきりと決まっている。
本能に任せる。
そして、彼の本能は、明確な声でこう告げていた。
「違和感は、排除せよ」
と。そう決まれば、次にとるべき行動は自ずと一つに集約されるのだった。
ようやく予定も終り投稿を再開します。
みてみんは定期更新をすると言ったのですが、そちらもできないほど忙しかったです(T ^ T)
来週以降はまた月木もしくは火金での投稿を行ってまいりますので、楽しみにして貰えれば嬉しいです。




