魔王生まれ変わる 4
非常に教育欲に溢れたアルベルに対し、午後から行われる剣術指南の教師である女性騎士は、真面目ではあるものの、教育に対する強い意欲はあまり感じられなかった。
身長は150センチ台後半ほどで、筋肉質で筋骨隆々とした一般的な騎士とは異なり、全体的に細身の印象を受ける。皮を鞣して作られた鎧を纏っており、騎士というよりも剣士のような雰囲気だが、それは訓練の際に最小限の装備を身につけているにすぎない。顔立ちは、前世の記憶を持つザインからすれば中の上といった整い具合だが、このルックスで男中心の騎士団に属していれば、ファンクラブができるほどには整っている。栗色の髪の毛は後ろで一つに束ねられており、本来の長さは想像できない。アシンメトリーな前髪は右側だけが長いが、目にかからないよう中央で分けられていた。瞳の色も髪と同じく栗色で、成人は迎えているにしては少し幼い印象を与える顔立ちだった。
その理由は単純だ。魔法の教師であるアルベルが引退後の余暇としてこの家庭教師になったのに対し、彼女は騎士の任務の延長線上で貴族の子息に剣術を指南する、あくまでも仕事としてこの役目を引き受けているからである。
「剣術指南役を拝命いたしました。イリアス・アイギスと申します。ザイン・メフェリム殿。本日よりよろしくお願いいたします。」
「はい。先生。早速何をなさいますか?」
「まずは、体力測定ですね。その後、訓練メニューを作成いたします。」
「体力測定…ですか。」
提示された測定メニューは、筋力、持久力、筋持久力、肺活量、柔軟性の五項目に関するものだった。これらの項目は、帝国騎士団への入団時に行われる体力測定を、ザインの年齢に適した数値に調整して実施された。一通りの測定を終えると、イリアスは眉をひそめた。
「?。筋力、筋持久力、それらに類する項目に対しては異常に低いのですが…子供とはこういうものなのでしょうか?」
「いえ、自分は特に筋肉がつきにくい体質のようです。」
「…確かに。持久力に関する項目は非常に優秀ですね。」
自由に活動できるようになってから、ザインは体力の限界が来るまで走り込みを続けてきたため、平均的な五歳児と比べて異常な持久力を身につけていた。しかし、転生時のステータスの不均一さのせいで、筋力に関わるステータスは軒並み地を這うような成長性しか見せていなかった。自身のステータスを数値で確認する術は、調べた限りでは存在しない。他人についても同様なのだが、自身の筋力が筋力トレーニングに比例して上がらないことは、彼自身も実感していた。
「年齢に見合わない知性、確かな持久力、魔術の才と努力量から、筋力トレーニングのみを怠っているとも思えませんね。その方向で剣術トレーニングを作成していきましょうか。」
「そんなことが可能なのですか?」
「ええ。修練のメニューは多種多様です。筋力が少ない人や、同様につきにくい方向けのメニューはありますので、その方向で進めてまいりましょう。」
ザインは前世で数百年以上の時間を過ごしてきたが、種族的に肉体性能には恵まれていた。また、自分自身を高めることには「死にたくない」という行動原理から惜しみなく努力を重ねてきたが、他人の能力を向上させることには一切の興味を示してこなかった。さらに、前世で知識をつけた時と今とでは、あらゆる種族特性やステータスの上昇率などが異なるため、参考になるような能力向上手段が見つからずにいたのだ。
「(やはり、先駆者の意見を求めることは非常に有用だな。前世の知識も役に立つが、この体での最適ではないことも多い。)」
「本日のところは、この辺りにしましょうか。」
「先生。申し訳ないのですが、一本手合わせをいただいてもよろしいでしょうか?」
「私とですか?」
イリアスとザインでは、肉体的な差があることは明らかだ。筋力や剣の技術にも大きな隔たりが存在している。そのため、手合わせを行うことにイリアスとしては意味を見出すことができなかった。
「はい。ぜひ一度試しておきたいことがあるんです。」
「……わかりました。では、修練場に移動しましょうか。」
屋外で体力測定を行っていた家の敷地外から、敷地内にある修練場へと移動する。そこには、メフェリム家に所属する兵士たちが数人修練を行っていたが、三男のザインが現れると、口々に挨拶をした。来たばかりの剣術の家庭教師であるイリアスと手合わせを行うことを告げると、彼らは即座に場所を空け、周りで見物し始めた。二人の間の体格差は圧倒的だ。イリアスも女性であるため、男性騎士の平均的な体格からは劣るが、それでも五歳の男の子と比べる体格ではない。
しかし、ここでザインが行いたかったことは、そんな単純な体格差による戦闘能力の確認ではない。単純に二つのことの確認。前世で習得した剣術がこの世界でも同様に扱うことができるのか。そして、イリアスの教育者としての実力を確認するためである。前者の技術的な話は、前世で身につけた技術の中には、身体能力差がある戦士でも同等に戦うための技術が存在する。その技術が、この体でもしっかり扱うことができるのかどうかを単純に確認したいという探究心があった。後者の理由は、今後、ザインが活動していく上で、魔法の技術よりも剣術を含む身体能力の方が重要なステータスになってくるだろうと判断していたからだ。
「では、一本勝負。私からの攻撃は基本的には行いません。思うように打ってきてください。」
イリアスは、木剣が収納されている場所から剣を取り出し、腰のあたりで構えた。剣先をこちらに向け、ザインとの距離感を測っているのだろう。足元は右足に重心を置いているようで、わずかに半身になっている。
「いえ。自分は剣を捌くことを覚えましたので、どのくらい通用するのか確認したく思います。ぜひ、打ってきてください。」
対してザインは、両手で木剣を構える。どちらの手にも強く力を入れることなく、イリアスと同様に剣先を相手に向けることで距離感を測る。足元は左足にある程度の重心を置き、相手の攻撃を受けるために左足をわずかに前に出した。
「良いのですか?しかし、ご子息に怪我をさせるわけには……」
「大丈夫です。父にそう伝えます。証人もこれだけおりますので。」
ザインの視線の先には、修練場に元々いた騎士たちがいた。イリアスが攻撃することに抵抗があるのは当然で、赴任した直後にその家の息子に怪我をさせるようなことがあれば、失職することだって容易に想像できる。だからこそ、そこにザインが配慮することは必要なことだった。
「では、参ります。」
イリアス自身、相手の攻撃を受けるよりも自ら積極的に剣を振るうほうが得意だ。そのため、剣を受けるところで耐えるよりも、自ら振ったほうが十分に手加減することができる。五歳の子供にしては、体に染みついたような姿勢に驚きながら、イリアスは足を踏み込んだ。修練を積んだ人物であれば避けることは造作もない大振りの一撃。あからさまな反撃可能な隙はないと自負した右上段からの大振りの一線。先端の速度は優に100キロは超えてくるであろう一撃を、ザインは何の事もなく回避した。
「そこまで、手を抜いて頂かなくても結構ですよ。」
「……なるほど。では、もう少し速度を上げますよ。」
振り下ろした剣を即座に腰の高さまで戻しつつ、反撃を受けないよう大きく後ろに飛び退いた。そんなイリアスに反撃もせず言葉をかけるザイン。イリアスは、生意気な五歳児に対して多少の苛立ちを覚えつつも、体に染みついた次の行動に向けた準備を進める。目の前の少年の発言は、年齢にそぐわない実力を有しているための自信の表れであると結論づけたイリアスは、今度の講義のためにも、その伸びた鼻を正しく折ることを決意した。構えは同じく右上段に剣を両手で握った状態だ。距離はおよそ二メートル。一足で飛び入るには少々距離がある気もするが、イリアスからすれば造作もない距離である。
「(――難なく避けることができた。この体の反射神経は悪くない。動体視力は前世での経験がきちんと役に立っているな。)」
前世においては、種族特性を活かし近接も後衛の魔法職もすべてこなしていたが、この世界ではザインのステータスには致命的な欠陥がある。それがある以上、前衛として剣を扱う道で生きていくことは難しいと判断している。しかし、この世界における剣士の実力を測りかねている点、また前衛職は不可能でも、運動能力が高い方が魔法使いとしても何かと便利であると判断し、これまで肉体的な鍛錬を行ってきたのだ。
「(彼女は、帝国騎士団の中でも精鋭に分類できると父上も言っていた。であれば、彼女の実力に動体視力でついていければ、魔法職としては申し分ないはずだ。)」
そんな打算でイリアスの実力を測っているザインに対し、イリアスは純粋な敬意を示した眼差しを向けていた。それは、彼女の一撃を五歳の少年が難なくかわして見せたことだ。動体視力や反射神経は才能で手に入れることができるものでもあるが、彼の動きからは泥臭い修練の匂いがした。それは、元魔王時代から考えて数百年にもわたる研鑽の果ての技術であることを知りもしない彼女からすると、この歳になるまで寝る間も惜しまなければ手に入れることのできない技術であると感じてもおかしくないだろう。
「(才能はある。家柄も破格。その上、努力を惜しまない性格。貴族の息子と気乗りしなかったが、彼なら心から生徒であると言える気がする。)」
自然と期待から剣を握る手に力が入る。次は、もう少しだけ早い一撃を振るうため、他人にはわからないほど一瞬で精神統一をイリアスは行った。相変わらず体に染みついたような自然な構えを崩さないザインに対し、再度大きく踏み込みながら右上段からの一撃を与える。木刀による袈裟斬りであれば、痛みで失神する可能性はあるが、死ぬことも大きな怪我をすることもないと加減した一撃。
しかし、イリアスの剣はザインの体から外れた地面に着地する。その理由は簡単で、ザインによって剣の軌道を変えられたからである。構えていた剣を、反応できるかギリギリであると判断したイリアスの剣の軌道上に置くことで、自らの力を使うことなく簡単に自分自身の体からずらしてみせたのだ。それはかわすよりも非常に高度であり、完全に見切っていなければ不可能な芸当である。
「ッスゥ!!」
衝撃は大きかったが、ここで体を止めてしまっては師としてのイリアスの立場がない。何より武人として、五歳の少年にいいようにあしらわれ、あまつさえ反撃を喰らうようでは目も当てられない。そう本能がイリアスの中を駆け巡り、針のように鋭い息を吐くと、地面に突き刺さった剣を振り抜き、左逆袈裟斬りを元々二連撃であったかのような連続性で振り上げた。明らかに五歳の子供に対する手加減の域を超えた一撃。ザインも多少驚きつつも、最小限の足捌きと重心の変化、イリアスの剣の重心をとらえた剣の軌道の変更を行い、イリアスの木剣に空を切らせた。流れるような二連撃をすべていなされたイリアスは、停止しそうになる思考をフル回転させ、なんとか大きく切り払いを行いながら後方に大きく飛び退いた。素早く大きく息を出し、停止しそうな脳に対し酸素を送り込む。
「(いなされた!?あの二撃を?切り払いまで当たらないことがわかっていた?そんなことがあり得るの?いや、事実、今。実証されたところよね。)」
この一連の防衛術だけで、この少年は並の騎士以上の動体視力と反射神経を持っていることは明白だ。それだけで、イリアスの基準は優に満たしている。しかし、今イリアスの足を前に踏み込ませる原動力は、純粋な武人として相手の力量を測りたい一心だった。大きく後方に飛び退いたイリアスは、瞬時に思考を終わらせると、再度ザインに向け剣を振るう。次に放たれたのは、腰のあたりに剣を構えたところからの一文字斬り。同程度の体格であれば腰か胸あたりに打ち込まれる一撃は、ザインには頭部への一撃へと変わる。
「(この先生。冗談じゃないぞ。早めに切らないと、殺されかねない。)」
武人としてザインを認め出しているイリアスに対し、ザインの方は既に上限を迎えつつあった。動体視力的にも先ほどの燕返しの一撃が反応できる最大速度。そして、反射神経や運動性能的に、今の突進からの一文字斬りをいなすのがやっとである。しかし、これ以上のものはザインには存在しない。いなし、躱した先に反撃できる余力はない。これほどまでの連撃の合間にこちらから剣を入れることなど、もってのほかだった。
「(まずい、まずい。魔法を使うか?この状況で?防御魔法なら挟み込む余地はあるか?)」
頭に向けられた一撃を寸前のところで、頭より上方に弾くように軌道をずらすことに成功したザインは、そのままの勢いで後方に移動するイリアスに体を向けつつ、思考を巡らせる。元々、ザインから持ちかけた手合わせだ。ザインから幕引きをつくるのは不自然ではないだろう。しかし、「もう終わりにしたい」の一言を、イリアスが動作を止めることのできるタイミング、速度で言うことができる自信はない。攻撃魔法で吹き飛ばせば遺恨は残るだろうし、第一、対応されればこれ以上の速度になる可能性も高い。
「(今打つべきは、交戦意思を示さない壁の生成。)」
未だ詠唱内容が不明な前世の知識での魔法の行使は非常に危険を伴う。それは、単純な発動するかどうか、そして、その規模が適切かどうかの判断がつかないからである。膨大な魔力を有するザインであっても、一回の魔法でどの程度魔力を消費しているのかは体感でわかる。その感覚を頼りに無詠唱での魔法の発動を行っているのだが、詠唱で発動したことのない魔法は、その規模が不明な状態で打つ博打のようなものだった。
「(しかし、背に腹は変えられない。多少強引になっても。)」
と、ザインは左手に自身の中に流れる魔力の流れを集約させる。常に循環させているごく一部の魔力の十分の一を魔力の行使に利用する。
「(属性は風。大気中の元素も魔力の代用すれば)……アストスフィア!」
剣を持たない左腕を前に出し、集約した魔力で魔法を形成させる。体内から魔力が失われる感覚と共に、大気中に不可視の球体が出現した。人間の視覚では見ることはできないが、魔力が空間に干渉しているため、凝視すればわずかに歪んでいることが見える。本来の目的はその不可視の球体を射出することで相手を弾き飛ばしたり、球体内に閉じ込めることで窒息させることを狙う魔法だが、今回はその場に留めることで侵入不可能な場所を作り出すに留めている。直径はおよそ一メートル。あまりにも小さい不可侵空間だが、先ほどまでの速度での攻防を止めるには十分な大きさだった。
ザインにかわされ、背後を取られたイリアスは、振り返りざまに薙ぎ払おうとした剣を腕ごと吹き飛ばされる。それは、何か硬いものに衝突した時のように手が痺れる感覚ではなく、何か重く非常に柔らかいものに埋まった後に、腕ごと押し返されたような感覚だった。肩と肘の関節が悲鳴をあげ、痛みのあまり顔が歪みながらも、イリアスは再度距離を取った。
「先生!待ってください。もう限界です!」
魔法を発動されたことに警戒し、次の一撃を組み立てているイリアスにザインの悲痛な叫びが届く。幸い、不可視の球体に弾かれた経験のなかったイリアスは次の一手の組み立てに難航していた。その一瞬の行動の隙間にザインの叫びが入り込んだため、イリアスの臨戦態勢が解かれる。
「いや。申し訳ない。思いの外、我を忘れてしまったわ。」
「本当ですよ先生。危うく、木剣で大怪我するところです。」
「いや。貴族子息と聞いて……。今後ともよろしくお願いするわ。」
と、木剣を握り直し、イリアスが握手を求めてくる手に応える。その手に間髪入れずにザインは答える。
「はい。こちらこそです。」
両方の師匠との対面は概ね成功だと言えるだろう。想像以上の将来性を同時にプレゼンできたとザインは自負している。さらに、好都合な結果になったのは、一発目からザインの期待以上の師匠が来てくれたことだった。剣士であればこのメフェリム家の私兵以上の実力を有していて欲しかったし、魔法であれば、有名な固有魔法の使い手ではなく、知識に優れたものを望んでいた。
計画の第一段階。有意義な育成期間の形成は完遂された。




